X 複合症候群

 

      病理編

 

 

 

                      重合と並症

 

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-5.htm

            <主体性の様態と疾患>

 

 

 この全9講座からなる入門講座は、人間が罹患するすべての精神疾患の病理

を明きらかにしてきました。それらの疾患はすべて、存在の中に『重合』する

疾患群の軋轢(あつれき)がもたらしたものです。

 

 

 精神疾患は、「主体性」に生きる人間に特有のものです。人間存在とは、

「動物性」に「主体性」を無理矢理乗せた存在です。

 『重合』というのは、一個の人間の中に二つ以上の精神疾患が互いに力学を

及ぼし合いながら共在することで、それぞれの疾患は共在する疾患から影響を

蒙りますが、疾患自体のアイデンティティは持続します。単一疾患として、そ

の病態に変化はありません。

 

 

 つまり、精神疾患は重合の中での軋轢によって生成してくるのです。例えば、

「自由」にアイデンティティを置く「自由拡張症候群」が、「仮設自由損傷症

候群」や「価値不全症候群」を形成する力学的関与をなします。

 自由の力学的関与は、動物性と主体性が内部対峙する人間存在の必然的な運

命であり、その意味で先天的なものです。言い換えれば、精神疾患はそれ単独

では生成せず、他の疾患を前提としてのみ生成します。それは「これあれば、

あれあり」という、互いに原因と結果を為す関係だと言うことができます。

 

 

 一個の人間の中には、人間が罹患し得る”すべての疾患”が『重合』してい

ますが、『重合』に於ては重なり合いながらも各疾患が単一疾患として現象し

ています。

 

 

 存在していくことは存在観を持つことです。行為のそのつど、存在観は内省

によって確認されます。存在観は”私”という自己と同義です。自己とは世界

の中に在る一個の存在であることを知る能力です。存在観は変遷していきます

が、その変遷の過程をも含んだものが存在観で、また自己です。この存在の内

省に関する内的時空に観想されるすべてを、「アイデンティティ(自己同一性)」

と言い表わします。

 

 

 刻々に移行していく現実の対社会、対自然の生活場面では、このアイデンテ

ィティに基づいてリアクションを繰り出していく必要に迫られます。対環界の

接面で発揮されるこの自己が「パーソナリティ」と言われるものです。「自己

存在」は、自己のすべての歴史を踏まえたアイデンティティと、このアイデン

ティティに基づいて行動されるパーソナリティの総合です。

 

 

 アイデンティティは「自己意識」です。パーソナリティはこの自己意識に基

づいて為される、対環界に築かれる個々の関係です。外界に対する現実の行動

では、外界は例えば食物として質量で取り込まれますが、この食物を取り込む

「行動の過程」と、取り込まれた「質量の感受」がパーソナリティです。

 

 

 生活の刻々は、「時」と「場所」に在って行なわれます。自分の”今”の

「物理的生活」の時空は、社会や自然という環境世界に対するリアクションで

成立するということです。 アイデンティティを「存在観の観想」、パーソナ

リティを「存在の現実行動」と考えればよいでしょう。

 

 

 パーソナリティは、刻々に変化する現実に印された行為の軌跡ということが

できます。アイデンティティという球体状をした核の周りに、刻々に異なった

行為によって多面体の層を形成していくことがパーソナリティです。

 

 

 普通には、他者があなたの現実の行為を評価してあなたの人格を語るとき、

あなたのすべてではなく、この多面の一個の面を持つ層を対象としているので

す。しかし、あなたがいま行為した行動を自己評価するときには、アイデンテ

ィティを尺度として評価します。あるいは、これからパーソナリティを打ち出

そうとするときにもアイデンティティがその尺度を提供します。

 

 

 無責任に行動していないかぎり、一つひとつのパーソナリティは自己の存在

のすべてを以って評価されながら、行動に賦されます。自己の”存在を負わせ

た”パーソナリティは、アイデンティティの「自己意識」に対して「存在の意

識」と言われます。「存在の意識」と言われるときのパーソナリティはアイデ

ンティティを含んだ、存在の全体のことです。

 

 

 パーソナリティの各面層で見ると、人格は一定ではありません。家庭と、通

勤時や会社とでは当然異なってきます。友人関係でもそれぞれの友人で対応は

異なっています。友人が苦境のときには、親身になって”面倒を見る”関係で

は、「精神主体性」や「無意識的摂理主体性」があなたの人格となるでしょう。

 

 

 張り合いのない仕事しかできない会社では、「根本情態性遮蔽症候群」や

「判断停止症候群」が前面に出てくるでしょう。同僚に比して仕事がうまく行

かなければ、「自由損傷症候群」となるでしょう。家庭が面白くなければ、帰

りに一杯引っかけたくなり、「行動精神病」を顕にするでしょう。

 

 

 このように、パーソナリティは現実的形姿を顕にすることで、ひとつのパー

ソナリティ(疾患)は他のパーソナリティを仮想形姿として自らを対照化しま

す。これは重合していた多数の疾患が、現実の明瞭な姿を帯びて互いに並立す

ることです。この状態を『並症(並症状)』と呼びます。

 

 

  アイデンティティはこれらパーソナリティの時空複合体(コンプレックス)

ですが、現実の行為としては「未然体」です。存在観(つまり人格、ある場合

には疾患)の観想に留まり、現実性を持ちません。アイデンティティは行為前

の内省で為される暫定的指針であり、また行為後に為されるその暫定性の内省

なのです。

 

 

 精神疾患が顕れるのは、従って、必ず「未然体」ではないパーソナリティの

場面、即ち”存在を打ち出した”「已然体(=いぜんたい、:既然体)である

ときです。それぞれの精神疾患は、あるシチュエイションに呪縛されたパーソ

ナリティです。

 

 

 あなたの将来にはどんなシチュエイションが待ち受けているやも知れません。

すべての人のアイデンティティには、鬱病や分裂病などの精神病の芽がありま

す(=重合)。来るべき思いも掛けないシチュエイションは、精神病の発病と

いう事態を引き起こすかも知れません(=並症)。現在、自分には無縁の疾患

ではあっても、”何となく分かる”のは、各人間のアイデンティティの中で、

すべての疾患の芽を『重合』して育てているからです。

 

 

 下の参照図では左から右へ生育史が流れています。「疾病実体」は本能が

「疾病触媒」としての「扶養者」に影響を被った結果であることが示されてい

ます。アイデンティティの基礎がここに出来上がります(=摂理主体性と自己

主体性の『重合』)。

 

 

 「疾病触発」としての「人工及び自然環境圧」が「誘発因」として本能に係

ってくるのは、自己主体性と摂理主体性が、あるいは自己主体性内の自由拡張

症候群と自由損傷症候群が、一方が仮想的形姿として、他方が現実的形姿とし

て『並症』しながら発症(=疾病解発)したことを表わします。自由損傷症候

群と自由拡張症候群が互いに対照性の関係を結び得るのは、「本能的生長」が

被扶養者(自由損傷)の立場から社会的自律、人間の場合には自由拡張を求め

ているからです。

 

 

 アイデンティティは生育史、即ちパーソナリティをすべて含みます。上に述

べた生育史上の外界圧はアイデンティティ化しているのです。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-4.htm

            〈精神疾患の発症力学〉

 

 

 

 

 

 

 

 

                                       複合と境界

 

 

 

 アイデンティティに於ける”未然に於て『重合』する各疾患”は、パーソナ

リティに於ては、一般に「自由拡張症候群」との『並症』へと顕現する力学に

よって顕となります。この場合、自由拡張症候群は顕となる疾患に対して浄瑠

璃の黒子のように操るので、疾患それ自体には食い入って来ません。「操る」

というのも、こゝでは対照性の概念です。

 

 

 これに対して、自由拡張症候群や自由損傷症候群が、対となる疾患に食い入

っていく場合には、『複合』と呼ばれます。食い入って、そこで自己を変態さ

せます。自由拡張症候群と自由損傷症候群は自己主体性のカテゴリーに括られ

る症候群です。主体性は自己主体性と摂理主体性の二つに分類されますが、自

己主体性と摂理主体性が対となる場合は、必ず摂理主体性へ自己主体性が食い

入ります。

 

 

 摂理主体性は”先天的な全体調和”をこととする主体性です。先天性である

ので、その価値は変態することはできません。また他に侵入するという概念は

この主体性にはあり得ません。

 

 

 『複合』は自由拡張症候群と自由損傷症候群の自己主体性同士で行なわれる

ことがあります。この場合は存在の理念を同じくするので、力は自由拡張症候

群の方が大きくても、”所有、支配、権力、翻弄”という存在の理念を巡って、

そのシチュエイションで得策な方に優位を持って来る演出を行なうことが可能

となります。

 

 

 『複合』は対であるとは限らず、3つ巴であることも可能です。その場合に

は必ず摂理主体性の疾患がひとつ含まれることになります。

 自由拡張症候群は4つの疾患主体で構成されますが、これら主体性は価値度

が自己主体性価値にあり、その自由力の強度を異にするだけです。従って、ひ

とつの複合状態を4つの自由力の大きさで展開するだけです。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-21.htm

            〈自由拡張症候群の存在度〉

 

 

 『複合』は、他に力を及ぼして自己をそこで変態する力学ですが、「『境界』

症候群」は二つ以上の疾患を同時顕現させて、パーソナリティがこの『境界』

を自由に出入りするものです。互いに影響力を行使することはありません。ま

た混じり合うこともありません。各面層を形成する単一疾患を、パーソナリテ

ィが移動していきます。これを多重人格のように見事に切り替えられるアイデ

ンティティが支えているのです。

 

 

 厳しい上司が留守である社内では、砕けた冗談が飛び交うリラックスした仕

事場の雰囲気ですが、やにわに上司が現れたなら、一転して、真剣な振りで満

たされた雰囲気を漂わす努力がなされます。『境界』を上手くすり抜けたので

す。パーソナリティは見事に移行できたのです。

 

 

  この場合は息詰まる上司の下での仕事で胃が痛くなれば、心身症でしょう。

リラックスが馬鹿話や上司の悪口であったなら自己主体性の疾患です。あるい

は、鬼上司の下での互いの境涯を慰め合うなら、摂理主体性ですが、無意識的

摂理主体性であれば、摂理価値を持ってはいるが自律できないという精神神経

症(摂理性自由損傷症候群)です。

 

 

 『境界』は基本的には『並症』と同じで、それぞれの疾患は単一疾患です。

しかし、その『並症』の時空の混淆の度合いが余りにも目まぐるしい場合に、

複数の疾患の『境界』にあるのではないか、と思わせるのです。

 現実には「境界症候群」という疾患群をカテゴライズする必要性はありませ

ん。それは単一疾患の目まぐるしい混淆状態に過ぎないものです。

 

 

 しかし、治療者にとっては手強い患者となるでしょう。「こう言えば、ああ

言う」で、治療の指針を与えても、その途端にするりと逃げられてしまうから

です。治療では当然、罹患しているすべての疾患を指摘しますが、具体的な治

療は個々の疾患単位で普通は為されます。ここで全体の俯瞰を示すと、患者は

個々の疾患の方に逃げて行くでしょう。それではと、ひとつの疾患に焦点を合

わすと、他の疾患や漠然とした全体の印象で切り返されるでしょう。

 

 

 患者自身が整理の着かないこの病像は、爛熟する資本主義の申し子が身に纏

うものです。

 

 

⇒{http://www2.dokidoki.ne.jp/planetx/bbs-log-2.htm

⇒{http://www2.dokidoki.ne.jp/planetx/bbs-log-3.htm

             〈29番〜36番〉

 

   注:この例の治療法は、「治療編」で詳しく述べます。

 

 

 

 

          目次         倒錯症候群

                               道徳倒錯

                 〔存在観〕

                 〔自由拡張症候群の4病型〕

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

         [ 精神病理学・参考資料1・参考資料2 ]

 

  上の Web Page を取得して、そのテキストの中の図表を以下のように参照し

ながら、お読みください。Web Adrress は、このマガジン末尾のフッターに記

しています。

 

 右のような意味で ⇒{テキスト名}<図表名>、下の例のように、この基

礎編の本文が必要とする箇所を示します。

    ⇒{参考資料1}<本能存在の上下位統覚の構造>

 図表名のないもの、あるいは文章中の箇所の場合は、その最初の数語が図表

名となります。

  各テキストの目次から辿れる場合もありますが、<>内の文字をコピーして、

ブラウザの編集→検索に掛ける方が早いでしょう。

 

 

  テキスト中で参照する図表と文は、text形式にしてはめ込むか、キャッ

 シュファイルが生きている場合は不要ですが、取得したすべてのファイル

 を、html形式で保存して、リンクを設定し直せば楽でしょう。

    htmlエディタで新規ファイルを開いて、配信メールをコピー&ペースト

 することもできます。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

                    参照URL

 

 

  {精神病理学}

       〈自由拡張症候群に、行動精神病と神経症の複合症状である。〉

 

 {精神病理学}〈自由拡張症候群〉〈虚偽症候群〉〈狂気症候群〉

             〈判断停止症候群〉〈根本情態性遮蔽症候群〉

                           注:〈〉カッコ付き検索

 

     http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-31.htm

                      〈自由損傷症候群〉

                      〈偽自律と自律葛藤、及びその存在度〉

                      〈通常神経症と精神神経症〉

 

     http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-6.htm

           〈価値不全症候群の各存在度〉

 

    {精神病理学}<存在度(主体度、個体度)>から

           <存在度―生きる意欲の判断>までの3座標。

 

     http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-8.htm

              <精神主体性の存在度>

 

    {精神病理学}<道徳倒錯(意志了解型)>

              <性倒錯(運動表現型)>

 

     http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-1.htm

           〈存在の意志発動の強度=自由力強度〉

 

 

            ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

                                          倒錯症候群

 

 

⇒{精神病理学}〈自由拡張症候群に、行動精神病と神経症の複合症状である。〉

 

 

  行動精神病、自由拡張症候群、及び自由損傷症候群の複合は、「自由損傷性

行動精神病」と「自由損傷性自由拡張症候群」の二つの複合症候群の更なる複

合を示します。

 両複合症候群とも、自由損傷症候群が、残る二つの並症する疾患に関与して

いきます。これら二つの複合症候群については次回以降の配信で明きらかにし

ますが、上に記した参照には「神経症性行動精神病」と「神経症性虚偽症候群」

として症状が一覧できます。

 

 

⇒{精神病}〈自由拡張症候群〉〈虚偽症候群〉〈狂気症候群〉

             〈判断停止症候群〉〈根本情態性遮蔽症候群〉

                           注:〈〉カッコ付き検索

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-31.htm

                      〈自由損傷症候群〉

                      〈偽自律と自律葛藤、及びその存在度〉

                      〈通常神経症と精神神経症〉

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-6.htm

           〈価値不全症候群の各存在度〉

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-41.htm

              〈行動精神病〉

 

 

 「行動精神病」は摂理主体性の疾患です。tenp-6 tenp-41 に見るように、

行動精神病はその主体度を(−・−)域に転落させています。先号で、他の疾

患と複合することによる調和価値自体の変質はないことを述べました。主体度

に於ても、摂理価値はその理想から転落しても価値に変質はありません。「怒

り」や「呪い」は理想からの転落であって、価値概念(理念)の喪失ではあり

ません。

 

 

⇒{精神病理学}<存在度(主体度、個体度)>から

        <存在度―生きる意欲の判断>までの3座標。

 

 

 しかし、行動精神病は、tenp-41 の〔行動精神病主体の対社会力学〕の項に

述べているように、その病態が「外界からの代償を得る」ことにあることから、

外界のモノに向かって所有、支配の行動を起こすことを本分とする自己主体性

に利用されます。 

 

 

 この病理編の最後に挙げることになると思いますが、「パラノイア(偏執狂)」

は自由拡張症候群と精神病の複合です。しかし、この複合は精神病そのもので

はなく、精神病が主体性崩壊した様態で、その「妄想と幻覚」に限って、自由

拡張症候群が利用するものとなったもので、精神病主体は何ら関係しないもの

です。

 

 

 倒錯症候群では行動精神病主体は主体性としてあり、自分を喪っていません。

覚醒した意識を以って、自己主体性が自分を利するのを、じっと見ていると言

えるでしょう。「代償行動」は、まさに代償であり、摂理に基づく調和価値の

顕現ではありません。

 

 

 例えば、「情愛」や「性愛」行動は、生涯を決するような異性に感応しての

ものではなく、「愛される」ことが可能ならばそれで良いという基準で相手が

求められます。腹八分目を越した「過食」の行動は了解できると思いますが、

そのようなフローする「愛」であり、あくまで受け身で求める愛です。

 

 

 精神主体性は価値実現の能動性を知っています。ドイツの哲学者のヤスパー

スは、この能動性を「愛の争い」と定義しましたが、「愛」は相手から愛を引

き出す闘いに於て、成就します。「愛を引き出す」という、この作業が相手を

「愛する」ことに他なりません。共に「愛」に向かって、自他の存在を引き上

げる作業が愛と呼ばれるものです。

 

 

 [自由拡張症候群]の講座の治療編で、「プラトンの椅子のイデア」につい

て述べましたが、自己主体性に於けるイデアは「椅子の”自由”」であり、自

由へと赴く椅子の実在は不能となるでしょう。「自由の欲望は無制限性である」

からです。次講の【物質存在】では、これを「仮象の存在」として論じます。

 

 

 翻って、精神主体性に於けるイデアは、存在を《実有》の中へと帰入させる

でしょう。彼の理念は概念から生じたのではなく、本能身体から生まれ出たも

のだからです。自己主体性は仮象の概念に終始するが、精神主体性は彼が生ず

る以前に有った物自体に始まり、またそこへと還って行くのです。

 精神主体性は《有》から生じた現実のありのままを観想しているが、自己主

体性は傲慢にも「無」から生じたと考えているのです。

 

 

        ∴プラトンが言うイデアは、存在の在り方を規定する定義という意味

      で、イデアは悟性概念(=現象を規定する定義)や理性概念(=存

      在の価値:理念)となります。その文脈では、「椅子が”腰掛ける

      物”として概念される」ときは、認識主観の作業であると言ってい

      るだけです。つまり、プラトンは単に理性概念は現実の物とは別に

      思念上に有ることを言及しただけでした。

      (∴プラトンに於ての人間のイデアは《善》です。)

 

      上の本文でのイデアは、自己主体性の自由の理念と精神主体性の摂

      理調和の理念を、「椅子が主体となって理性概念を持つ」ことに喩

      (たとえ)て示したもので、自己主体性の「自由=無制限性」の理 

      念では、椅子は自分の存在の理想を遂に現実化できません。

      しかし、精神主体性はその存在の理念を環境世界との調和に置いて 

      いるので、椅子は自分が猫であろうが、鼠であろうが、環界との調

      和恒存を目指して生き、その寿命に於て存在を全うできるのです。

 

 

 人間の主観を「概念質量」とも呼びますが、自己主体性は存在の実有なき、

単なる概念上に生成された仮象なのです。その存在は概念であるので、「無制

限性」へと膨張して、そこで自己を破裂させてしまうのです。自己主体性は一

切の存在性(肉体性)を持たないので、金品や地位などのモノに自分の存在を

託す他にありません。これが資本主義の原動力なのです。

 

 

 その人間の為に「愛を引き出す」ことは、「愛を与える」ことに同じです。

どちらも私が彼の為になす能動性であることを言っています。私は食物として

他の生物を自分の体の中に摂り入れます。私は満腹して、私の命の死を食い止

められたことに感謝します。私は食物となる他生物に感謝するために、他生物

が私に差し出すべき”恵み”を、その生物から引き出したのです。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-8.htm

              <精神主体性の存在度>

 

 

 行動精神病主体にはこの能動性はありません。彼は社会や自然に対して、

「愛がない」という「恨みつらみ=呪い」の情官の中に「閉塞」してしまって

います。この閉塞状態は彼のうちなる自己主体性が自分自身(摂理主体性)を

圧迫している故に生じたものです。

 

 

 行動精神病主体は自律した主体ではなく、自由損傷状態にある主体です。自

由損傷症候群(神経症)一般も同じですが、自由損傷主体は「仮想主体性」と

呼ばれ、一般社会人と伍してはことを行なえない存在です。行動精神病主体は

それ故、他者に対して「愛がない」ことを指摘できないのです。

 

 

 同じことは、自分自身の自己主体性に対しても「愛がない」と指摘できない

でいます。これが閉塞です。仮想主体性はまた、無意識的摂理主体性と呼ばれ

すが、自律した理念(意識)で社会や自分を批判できる力量に欠いた存在です。

 

 

 それ故、「愛がない」という無意識的のうちの批判は自己自身へと内屈しま

す。この内屈が、行動精神病の場合には「代償行動」へと吐け口が求められる

のです。

 

 

 自分の中に存在する資本主義的な自己主体性を優先しながら、他方でその圧

迫に喘いでいるのです。この能動性を欠いた「代償」を求める受動性が、自分

のうちなる自己主体性に利用されます。自己主体性は仮象の存在に過ぎないの

で、その仮象性を拭い去る必要から、常にタンタロスのようにモノへと走り続

けねばならない存在です。

 

 

 行動精神病主体も自己主体性も、共に外界に与えず、求めようとする、その

さもしさに於て一致します。自己主体性は行動精神病主体をここに於て自分の

仲間に引き入れるのです。

 

 

 

 

 

 

 

                    道徳倒錯

 

 

 参照表の左項に示された症状には、単症型の自由拡張症候群(とくに狂気症

候群)に匹敵する行為の数々が並んでいます。単症型自由拡張症候群では特定

の相手に行為されますが、ここでは不特定に為されます。

 

 

⇒{精神病理学}<道徳倒錯(意志了解型)>

 

 

 一瞥するだけで、戦争に於ける破壊の手段とよく似ていることが分かります。

「放火」はイラクの油田爆破や、木造家屋が多かった当時の日本に対する焼夷

弾投下、更には原爆による文字通りの焦土化で、戦争での効果的な手段である

ことを私達は知っています。

 「爆破」「破壊」は言うまでもなく、戦争の主たる手段です。

 

 

   ∴戦争は狂気症候群が引き起こすものですが、戦争行為中は、敵味方を

     問わず、性倒錯も道徳倒錯も混じます。

   ∴晴れ着魔は「器物損壊」と「放火」です。  

     トラックの荷台に投げられる煙草は「放火」です。

          空き缶の投げ捨て、廃棄物遺棄&投棄は、不特定の対象の典型である

 

     「(環境という)器物の破壊」です。

     「ハッカー」は「暴走行為」に入るでしょう。

 

 

 最近騒がれ続けた「毒薬」もまた、戦争では化学兵器として使用されます。

枯れ葉剤も同じです。その他今回のイラク攻撃の破壊目的のひとつでもあった

細菌兵器もこのカテゴリーです。

 「針等異物混入」事件もよく流行しますが、著名人に対してよく行なわれる

「カミソリ送付」を含めて、戦争での地雷敷設と同じものと言えるでしょう。

 

 

   ∴ダイオキシンなどの垂れ流しも、不特定の人体と生態系への「毒薬」

     の意図を、間接的に持つものということができます。「忙しい」

     「それは役所の仕事だ」と言うとき、私達は間接的殺人の手を下し

     ているのです。ゴミを捨てているのはあなたであり、私なのです。

 

     「人のこたぁ知っちゃいねぇ」という心は、紛れもなく、〈道徳倒

     錯症の「自律できない」〉症状なのです。

 

 

 「リンチ」は、独裁恐怖政治や戦争での情報獲得の常套手段である拷問に類

似します。学校内外での「いじめ」や会社での「セクシャルハラスメント」な

ども軽重はありますが、リンチのカテゴリーです。

 

 

   ∴「拷問」は、単症型の狂気症候群の症状へ移行させます。

     狂気症候群の座標には実際の暴力形態の記載は僅かしかないように見

     えますが、その(+・+)域は、独裁政治の重税や戦争時の略奪行為

     に比類される症状群です。(+・−)域以下の領域でも暴力は振るわ

     れます。意に従わない者には「殺人(暗殺」)等のアクションが為さ

     れます。

 

      ∴「セクシャルハラスメント」の中には痴漢行為も混じっているものがあ

     ります。

 

 

 「家庭内暴力」はリンチや「通り魔殺人」と同じで、やはり不特定の人間を

対象とした暴力に相当します。これらの暴力は家族と社会を含めた全体に対し

て、しかし、存在の空間の終わりの意義である「家族の本能の領野」に生ずる

症状です。

 

 

 確かに家庭内暴力で口喧しい親や祖父母が標的にされますが、もし家族の中

の誰かひとりでも、彼に愛情を注いでいれば、重症を負わせたり、殺人にまで

至ることは決してなかったでしょう。特定の標的ではなく、家族や、社会の中

の家族的近隣にある者の中から、恰好の標的があってはじめて為されるもので

す。

 「通り魔殺人」がそのあたりのことをよく語っています。

 

 

        ∴通り魔殺人には、精神病の主体性崩壊時に為されるものがあります。

           このときの精神病主体は、いわゆる「心神耗弱」や「心神喪失」

      状態にあります。

 

 

 親子間の他に、嫁姑や兄弟や夫婦の間などでも暴力(いじめも)は生じます。

夫婦で、妻が道徳倒錯の表の、「自律したくない」項や、「自律しなくともよ

い」項の症状を持っていれば、「隷属」や「忍従」、また「休息の領野」の

「苦行」で、暴力を受けることになり、毎日、眼を標的に殴られ続けて失明の

危険がありながら、なお夫の暴力を受け続ける、といったこともあります。

 

 

   ∴夫の暴力:両者が共に「神経症性(自由損傷症候群)行動精神病」な

     ら、互いに対抗して、暴力の傷跡はそう残らないようですが、例えば、

     次のような例があります。

     両親に甘やかされて育ち、自律不能で、「忍従」に於て夫から永く暴

     力を受け続け、子連れ再婚したものの、この体験に圧されて行動精神

     病のヘビースモーカーとなり、自由損傷症候群の「過呼吸症候群」に

     罹患して病院通いの日々となり、家族に甘える状態で家事も疎かにな

     って、遂に夫は結石(心身症)で入院し、娘も関節障害の心身症で家

     に篭もり、福祉対象家庭となった例。

 

 

 親が小さな我が子を「折檻」するのは、現在でもありますが、ひと昔前には

これが家庭内暴力の主力でした。乳幼児期に、フライパンの中に入れられて炒

られ炙られ続けて、癒しがたい心の傷を受けた少女の手記と、その治療者の治

療記録がUSAで出版されたこともありました。

 

 

  表の縦ラインは自由損傷症候群の症状で割り付けられていますが、左の「自

律できない」項は自律葛藤がもっとも強度にある主体性です。「隷属」や「献

身」、「滅私奉公」は日本の高度経済成長期を支えた動機のひとつともなった

ものです。

 

 

 これらはまた、日本の戦争体制を支えていたものでもあり、戦前までの為政

者に仕えていた国民の心理でもありました。

 武力戦争と経済戦争はルールを代えた同じ仕掛けなのです。現在の私達の経

済戦争がホロコーストの仕掛けで動いていたことが、ようやく私達自身にも解

り掛けてきました。後暫くすれば、もっと明瞭になってくるでしょう。

 

 

 道徳倒錯症が生じることは、当然その複合を為している個々の単一疾患が先

行していることを示しています。人類が血塗られた歴史を編み続けて来たのは、

何よりもまず。自由拡張症候群であったからです。自由拡張症候群が行動精神

病を並症させます。自由拡張症候群があれば、その力関係により必ず自由損傷

症候群が生じます。3疾患が複合するのは当然の帰結なのです。

 

 

 資本主義では不況は人為的な仕掛けで生じますが、この状況の中で起きてい

る自殺の比較相対的な増加現象は、倒錯症候群に複合する自由損傷症候群の大

勢を、自律葛藤の最下底に押し下げて、「登校拒否」や「出社拒否」、また

「拒食」や「浮浪(乞食)」症状を蔓延させる予兆でもあります。

 

 

    ∴自殺:自由拡張症候群の症状で、4疾患主体のそれぞれの主体に

      於て、(−・−)域に転落したところで、更にその自由力度が最

      小に近付いたとき決行されます。

      下の参照座標で、右の主体度の座標に、左の自由力度の座標を重

      ね合わした、その(−・−)域の(・)で表わされた領域が自殺

      危険域です。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-1.htm

       〈存在の意志発動の強度=自由力強度〉

        注:右の座標は90度時計回りに回転させます。

 

 

 刑罰を受けた服役囚は、道徳倒錯を含む複合症候群主体が大半を占めていま

す。虚偽症候群の「窃盗」は、いわゆる「こそ泥」といわれるものです。狂気

症候群の「強盗」では殺人も辞さない「凶悪犯」になるでしょう。休息の領野

の「ゆすりたかり」はやはり不特定の被害者に対してのもので、狂気症候群の

「大悪の驕り」や「怒りの解消」に記載されるべき諸症状とは区別されます。

 

 

   ∴食の領野と休息の領野の相違は、後者では得た金品は家屋や衣服

     などに使われ、前者では食べるために使われます。食の領野の

     「自転車やバイクの借用」は歩くエネルギーの節約ということ

     になります。節約された分、食費が浮くからでしょう。

 

 

 狂気主体では「法を破る」ことに主眼があり、それが内省に於て根本情態性

を破砕して突き進む、彼のアイデンティティにフィットするパーソナリティな

のです。彼らはその生活のために、まず仲間を組織して「縄張り」というもの

を土台にします。つまり、社会を牛耳る醍醐味こそが彼らの悦びとするところ

なのです。これに比すれば、倒錯主体は一見客に過ぎない存在です。

 

 

 高い塀で封じられた刑務所内は、いわゆる「娑婆」より以上の諸疾患の発症

 

をもたらすでしょう。USAでは、比較的自然に恵まれて土いじりもできる、

開放的な柵のみの軽犯罪者用の刑務所もあるようですが、通常の監獄では、倒

錯症候群も亢進します。性倒錯はもちろん、リンチを武器に服役囚同士の隷属、

忍従の上下関係の版図を形づくることもあるでしょう。日々の息詰まる単調な

生活からエスケープしたいばかりに、土を「異食」して病院収容を望む収監者

も出て来ます。 

 

 

 

 

 

 

   〔存在観〕

 

 

 上に述べた諸症状は患者の存在観を如実に表わしています。しかし、彼は3

つの疾患が複合を解いた状態にある単症状の各疾患をも罹患しています。その

ひとつの自由拡張症候群は、その悪の行動を確信犯として行ないますが、行動

精神病は無意識的ではあるが、善に基づいた社会批判を行ないます。これに加

えて自由損傷症候群(通常神経症)が生育史的退行を求めています。

 

 

 彼の存在観はまず3つの単疾患がそれぞれの世界解釈と自己了解を主張し、

序で3疾患が複合して、それらとは別の存在観を主張するに至ります。複合は

自由損傷症候群と行動精神病、自由拡張症候群と自由損傷症候群のそれぞれの

間でも為されます。

 

 

 しかし、自由拡張症候群と行動精神病の複合はありません。境界症状として

はあるでしょう。この複合がない理由は、一個の主体性の中で、自律した相反

する二つの価値が結託することはあり得ないという、単純な理由です。

 

 

    ∴境界症状:境界症候群は複数の疾患の並症状であるので、

             このように呼ぶことが妥当です。

 

 

 自由損傷症候群は自己主体性ですが、自律した理念を保持していないので行

動精神病との複合が可能なのです。自由損傷主体は自由拡張症候群に他発理念

を付与されてはじめて、主体的な行動を起こすことができる主体性です。

 

 

 ”付与される”理念は、他者がそのつど指示に及ぶというものではありませ

ん。そういう場合ももちろんあるでしょうが、成人では多くの場合は、マスメ

ディアをはじめとするメディアの影響を受けて動かされます。社会の趨勢が他

発理念であると言ってよいでしょう。他ならぬ彼を育んだ両親もこの社会に連

なっていたのです。

 

 

 主体性は言語概念の体系に他ならないので、その他の言語的環境も影響を及

ぼします。序で生活環境一般が無言のうちにその立ち居振る舞い(様相)で彼

に示すものを受け取るでしょう。彼は受けたものを言語に変換することは自分

で行なえます。言語ははっきりしたものでなくてもよいことは、基礎編で述べ

ました。左脳には前言語の能力があります。

 

 

 道徳倒錯の患者は個々の疾患が複合していないときは、また並症状態が「拮

抗」にあるときは一種の戸惑いの中に住しています。行動精神病を並症させて

いる力は自由拡張症候群です。この二つの疾患は水と油のように互いに対照的

な性質を相手に見ています。その状態での主体は存在観の混乱を知るでしょう。

これに加えて自由損傷症候群が拮抗すると、主体は周囲の同輩に比して、生育

的な成熟から遠のく自分を呆然と眺めることになり、”焦り”が生じてきます。

 

 

 この焦りが、他ならぬ倒錯症へと並症状を収束させていく力学の原動力とな

るのです。

 

 

 

 

 

 

   〔自由拡張症候群の4病型〕

 

 

 表には虚偽症候群と狂気症候群のみ記載しましたが、根本情態性遮蔽症候群

と判断停止症候群も当然、ここに複合します。根本情態性遮蔽症候群は虚偽症

候群が「会社主義」であるのに対して「マイホーム主義」です。判断停止症候

群は更に存在的に自己収斂するもので、「自己耽溺主義」です。

 

 

 判断停止主体の生活様態は、{精神病理学}のWeb頁の座標に記された各

症状を、映像や活字などで追っていくものです。従って、道徳倒錯でもやはり、

そうした白昼夢の中で行なわれます。

  根本情態性遮蔽症候群の症状は虚偽症候群に準じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

                                         性倒錯

 

 

 

⇒{精神病理学}〈道徳倒錯(意志了解型)〉

              〈性倒錯(運動表現型)〉

 

 

 道徳倒錯は「感情(意志了解)型」でした。「性倒錯」は「官能(運動表現)

型」です。感情は意志の定位態ですが、官能は意志の運動態を担っています。

  意志統覚がまず存在を定位して、それから運動統覚が存在の運動を起こしま

す。運動統覚は存在の姿勢が決定された後、意志を継続していく作業を負って

います。道徳倒錯は社会を対象とした行動症状を示していました。性倒錯が性

に固着して社会性を露にしていないのは、存在の姿勢の決定には無関係だから

です。

 

 

 従って、運動統覚としては、この複合症候群の心的複合体(コンプレックス)

である「倒錯の情念」を表出できればよい、ということになります。この運動

の表現を担うに適したものとして選ばれたものが、「性行動」です。性行動で

症状を展開すれば「倒錯の情念」の表出がうまくいく、という只その理由から

選択されたものです。

 

 

 性倒錯については、参照表を見れば一目瞭然で、ほとんど注釈の必要はない

ものと思われます。それほど、この症候群の症状はポピュラーだと言えます。

左端の存在の時空は本能の時空を適用していますが、これは行動精神病を基準

にしているからで、それぞれは主体性の”所有、支配、権力、翻弄”をも表わ

しています。集団=権力、家族=支配、食=所有、休息=翻弄です。

 

 

 集団=権力の領野に展開される症状は、「男女の性の倒錯」に焦点がありま

す。「自律しなくともよい」の項目は後に説明します。この行動症状では、ま

ず「性器=権力」の意義が意念され、序でこれをコンプレックス表出として

「性の同一性を倒錯」します。ここでの性は権力の意義を踏まえています。

 

 

 家族=支配は、「肛門=支配」の意義表出、食=所有は、「口腔=所有」の、

休息=翻弄は、「尿器=翻弄」の、それぞれの意義の表出です。 

 

 

 基礎編3の〔根本情態性〕の項で、「本能身体への主体意志の組み込み」を

論じました。下の参照図で、「認識主観→認識我観→本能統覚」のラインは

「誘導図式」を運搬する「認識誘導路」です。この経路では、”所有、支配、

権力、翻弄”の理念を、本能の意志に与える作業が行なわれます。

 

⇒{参考資}〈主体の本能所有=その主体意志組み込み経路〉

 

 

 その上の「四つの器官→本能統覚」の経路は「知感覚誘導路」で、認識誘導

と平行して、「性器=権力、肛門=支配、口腔=所有、尿器=翻弄」の各「良、

快刺激」を行なって、「本能統覚の身体性」を主体の自由の傘下に置く作業が

為されます。

 

   ∴本能の意志統覚は外界を知感覚判断してから、情官の行動判断を

     下します。主体はこれを利用しているのです。

 

 

 主体は行動の各瞬間にこの知感覚刺激を行なっています。「ようし!」と言

って物事に当たるとき、下腹に力が入っているでしょう。あるいは、苦しいけ

れど我慢の意志を振り絞っているときは、唇をきっと結び、歯を食いしばって

いる筈です。

 

   ∴知感覚刺激:乳幼児は、未だ如何なる社会的理念も持たない原自由

     の主体性を、この努力で得ます。乳幼児を観察していれば、すぐに

     分かります。成人は乳幼児期のこの実際の刺激経験を潜在意識に持

     っていると思われます。「ようし!」で、それを想い起こしている

     のかも知れません。

 

 

 意志の定位と運動は常に同時に現象します。定位、運動それぞれに知感覚と

図式が協働しています。定位は図式の誘導路を司り、運動は知感覚の誘導を司

るというものではありません。

  性倒錯は一見、知感覚誘導のみに関しているかのような印象を与えますが、

存在の行動は定位と運動を組み合わせ、定位と運動はそれぞれ図式と知感覚の

誘導を組み合わせて行なわれるのです。

 

 

 性倒錯の一つひとつの行動症状は、定位の下に運動があって可能です。同じ

ように、道徳倒錯の各行動症状もその手順を以って行なわれます。道徳倒錯の

各行動に隠れている知感覚刺激を見抜いてください。

 性倒錯では四つの器官刺激がわりあいよく表面に読み取れますが、行動の本

質は、”所有、支配、権力、翻弄”の意義に基づいた「倒錯行動の表出」にあ

ります。

 

 

 集団の領野の「自律しなくともよい」の症状は、「老人性愛」ですが、この

SEX  では妊娠は不可能です。その下の各症状も、すべて妊娠不能の意義を表

出しています。これらの SEX は「妊娠不能に於て本来の性を倒錯」している

のです。

 

 

 倒錯のコンプレックス行動は、主体性を機動する際の知感覚誘導の各器官の

刺激、言い換えれば、”所有、支配、権力、翻弄”の意義に触発されたもので

すが、それぞれの行為は SEX 、即ち、「性欲」を満たすものです。

 

      ∴乳幼児では知感覚刺激は原自由の成立のために為されるので、異性

     を対象に持つ性とは無関係です。主体性一般が普遍的に行なう知感

     覚誘導も、性(SEX)とは無関係です。

 

 

 先に、集団=権力の領野では、「性器=権力」の意義が意念され、序で「倒

錯を表出する」と述べました。間違ってはならないのは、倒錯の目的が「権力

の意義を担う性器」にあるのではないことです。権力の意義を持つ性器が、男

女の区別を持つことを利用して、「性行動の倒錯を表現する」ことが目的です。

つまり、通常の男女性を転倒することが目的です。

 性器は性行動の手段であり、その性行動に於て、男女性が倒錯されることが

目的です。

 

 

 そのことは家族=支配=肛門の症状を見れば明きらかでしょう。「獣姦」は

言語で従わすことができない動物を、 SEX の快楽を以って従わし(支配)し

ますが、種を異にしているので、生殖は不可能です。支配=肛門の意義に触発

されますが、目的は性の転倒にあります。「サディズム」と「被命令的サディ

ズム(マゾヒズム)」は支配、被支配の性欲で合致した者同士が行為しますが、

性の本来の姿ではサディズムやマゾヒズムは何ら関係ありません。最終的に生

殖性が行なわれても、サド=マゾは生殖行為に不必要です。

 

 

 支配の意義を持つ肛門の知感覚刺激を手段としてはいても、獣姦でも、サド、

マゾでも性器が使用されます。性倒錯は異性との SEX を倒錯することが目的

なので性器での表出は不可欠です。獣姦や同性愛でも対象は異性の性として想

定されます。

 SEX は子孫を育むことがその本来の目的です。ここに支配(サド=マゾ、獣)

を持ち込むことが、倒錯なのです。

 

    ∴ナルシシズムは、性に目覚める思春期に普遍的な現象で、

      異性に対するセックスアピールの自己点検です。

 

 

 暴力的サディズムと被暴力的サディズムがコンビを組むと、生命の危険が伴

うことがあります。

 

 

 食=所有=口腔の「身体フェチ」は身体の部分を嗜好することで、本来の性

を転倒します。オーラルセックスなどがそうです。阿部定はその暴力的身体フ

ェチです。カンバリズム(食人)も同じです。「物フェチ」は、男性ならハイ

ヒールや下着のコレクションが有名です。「物言わぬ死体」は、性=所有の倒

錯の公式にあつらえ向きのように思われます。

 

 

 「露出症」は、尿器を手段に休息=翻弄の性倒錯を追求します。排尿の快が

露出や窃視(覗き)愛好に結合します。女性はどうなのかは知りませんが、男

性は尿器併用のシンボル(性器)を第一義として露出に及ぶようです。マッチ

ョマンはそのシンボルを身体全体で示すためでもあるのかも知れません。臍出

しルックは女陰の象徴でしょうか。ミニスカートは女性自身の近くまで露出し

ます。大きく露出されるその足で、男性のシンボルが比喩され、その先を辿れ

ば女性自身に行き着きます。その意志表示の本命は、虚偽症候群の「色香=セ

クシー」を「驕る」ことにあるのでしょうが。

 

 

 大阪の夜の公園は”のぞき”が出没します。ある体験談によれば、もつれ合

う二人のベンチの後でハアハアという声が聴こえたので、露出のサービスをし

たそうです。すると”ありがとう”という走り書きに添えて1万円札が置かれ

ていたという話です。露出と窃視がうまく需給バランスが取れたということで

しょうか。劇場でもこれは行なわれていますが。

 

 

  タイトな衣服は色香の強調を主とすると思われますが、拘束するようなレザ

ー、とくにまたビニールの衣服は、サド=マゾとフェチを表現するものと思わ

れます。先進諸国とくに日本では、ライトSMというものが巷に浸透してもい

るようです。一般に種々の器具やその種の衣服の使用はサド=マゾ、フェチ、

露出=窃視、あるいはまた男装=女装に関係しますが、女性専用店と銘打った

ショップも出現しているその種のショップの主力商品は、自己主体性の貪欲な

快楽の追求の補助具でもあります。自由損傷症候群や自由損傷様態では知感覚

誘導を促進しながら、自由損傷を自由拡張に持ち来たらすために行なわれる自

慰で使用されることもあるでしょう。

 

 

 道徳倒錯で述べたように、根本情態性遮蔽症候群は虚偽症候群の症状に準じ、

判断停止症候群は白昼夢で満足させます。根本情態性遮蔽症候群は家庭や家庭

に準じる場を、その行動範囲とします。

 

 

 

 

 

        〔本能の性〕

 

 

 性は種の本能です。それは家族形成を目的とし、性の結果としての子供を育

むことを最終目的としています。この家族の本能を通底する理念は”愛”です。

愛の結合に於て各々の個体はその存在を全うするのです。

 精神主体性の性では、この本能の家族愛がしっかりと捉えられています。

 

 

 

 

 

        〔主体性の性〕

 

 

 「性」の目的は子孫をつくることです。恋はそのための男女の結合の儀式で

す。恋を招き寄せるためにセックスアピールを仕掛けます。しかし、恋は単に

肉欲だけではなく、人格的なセックスを求めています。精神主体性は精神主体

性を、自己主体性は自己主体性を相手に求めます。それは自己の存在観の敷衍

です。当然、生まれ来た子供にもそれぞれの存在観が刷り込まれるでしょう。

恋は自分という存在をこの世にしっかりと確律する作業です。

 

 

 恋の行き着く先にある、結婚式や披露宴、新婚旅行の存在は、人間の性が文

化に規定されていることを示します。個人が社会に文化規定されると同時に、

各個人が社会の文化を形成しています。文化は、各個人がその存在観をパーソ

ナリティによって露にする、その相乗作用によって生成します。

 

 

 人間の性は、その相手、そして子供、更には結婚式に関連する人々への、自

分の存在観の披露であり、刷り込みなのです。東南アジアのどこかでは、娘を

何人か持つと、その持参金などで破産してしまうそうですが、結婚の本来の目

的である”愛”がどこかに行ってしまったようです。

 

 

 

 精神主体性は家族の本能を見失うことはないので、一切の結婚に纏わる装飾

を省きます。精神主体性の結婚は資本主義社会を反省するよい機会となるでし

ょう。資本主義文化の欺瞞を見抜くその眼力をますます研ぎ澄ますことになり

ます。二人の結び付きは更に堅固なものとなるでしょう。

 

 

 

 自己主体性ではその結合を果たしているのが、財や社会的地位の力である場

合があります。その場合は恋ではなく、互いに相手を所有していたに過ぎませ

ん。”金の切れ目や没落が縁の切れ目”となるでしょう。

 

 

 しかし、一般的には自己主体性同士の結合でも、恋は、家族を組織する目的

を持ち、モノや相手や子供を所有することが第一義ではありません。家族を組

織することに邁進するのは、家族の本能に突き動かされるからで、しかし、自

己主体性ではこの「本能を所有する」ことを以って家族の形成を行ないます。

そこには本能による純粋な愛も混じっていますが、「家族という形態を所有す

る」ことに主眼があります。自己主体性としての存在観を敷衍する目的がそこ

にあるのです。

 

 

  SEX は生殖の意義を抜いた快楽を所有するだけのものとしても行なわれます

が、快楽の授受(=共有)を確認する中で、互いに自己の存在観を安定させま

す。「快楽文化」の展開と言えるでしょう。

 

 

 

 これに対して、精神主体性では「愛の文化」が展開されることは言うまでも

ないことです。もし、すべての人間がこの愛の文化を展開するなら、この世か

ら環境破壊と戦争、犯罪と精神疾患が消滅するでしょう。

 

 

 

 

 

        〔家族に於けるパーソナリティとしての性〕

 

 

 自己主体性はその家族組織を資本主義生活を達成するためのベースとします。

上の〔主体性の性〕では自己の存在観の敷衍に焦点を当てました。そこでは家

系を編んでいく(=存在観を敷衍する)ことが目的とされます。自分が死ねば

子孫の祖たる存在となり得ます。存在のアイデンティティがそこでは確律され

るのです。

 

 

 存在観を敷衍して存在が安定すれば、個人の日常性が編まれていきます。

「家庭というシチュエイションに於けるパーソナリティ」が前面に出てきます。

虚偽症候群主体は会社人間なので、扶養者を抱かえていることが、ひとつの箔

(社会的信用)になり得ます。根本情態性遮蔽症候群主体では、家族を引き連

れてレジャーや旅行の楽しみを共有する、家族を被写体に趣味の写真を撮る、

子供の学業の相談に乗る、等々のマイホーム主義行動が実現されます。判断停

止症候群主体は、妻や子供に家事を行なわせて、自己耽溺できる自分の時間を

確保できます。

 

 

 妻は妻で家庭という組織の中で自分のパーソナリティを実行するでしょう。

育児が一段落すれば習い事に熱中するかも知れません。夫が性に飽けば、刺激

を求めて浮気に走ることもあるやかも知れません。こうして最初に二人で築い

た家族のアイデンティティは形骸化し、両者はそれぞれパーソナリティを先鋭

化させ、その積み重ねがやがて別個の二つのアイデンティティに結晶化するか

も知れません。

 

 

 家族という形態の所有は崩壊していき、両者は互いにその存在を利用するだ

けとなり、最後に所有の情念にまで行き着くと、利害関係が発生し、そこで破

綻することになります。

 

  SEX はここでは、快楽を所有するために相手を利用して行なわれるでしょう。

 

 

 

 

 

     〔行動精神病の性〕

 

 

 行動精神病主体には「情愛」と「性愛」の区分を持つ、代償行動としての性

表出があります。彼女は社会に愛がない代償として異性を求めます。代償なの

で恋の期待はなく、従って自分からの能動性を持たず、もっぱら受動的に終始

します。代償的性の本質は一過性であることです。しかし、継続されることも

あり、その場合は家族を志向する恋に徐々に変化することもあるでしょう。

 

 

 

 反対に若年齢で結婚して、10年程度の家族生活を過ごした後、子供の養育

権すら捨てて、自由の中に自分を浮遊させることもあります。資本主義の可能

性が彼女を誘惑したのです。その可能性が若さを喪っていく自分を”焦らせ”、

離婚へと踏み切らせたのです。彼女には自由拡張性自由損傷症候群の独身キャ

リア志向があるわけではなく、”若さを喪う焦り”の中に行動精神病の一過性

(代償満足)志向と、自己主体性の(−・+)域の刹那主義が詰まっています。

 

 

 子供を捨てることができるのは、生育史を退行する自由損傷症候群のなせる

業です。実際に見知らぬ家の前に置き去りにしていく場合も同じです。あるい

は子供を遺して蒸発するのも同じです。彼女らは子供に非道い仕打ちをしてい

るという意識は希薄で、子供を養育する責任能力を持たないという一点にその

行動動機があります。”大人になりたくない症候群”というものがあったのか

なかったのか知りませんが、また、あった場合にどういう症状であるのか知り

ませんが、これがいま言う自由損傷症候群、行動精神病、自由拡張症候群の境

界症状を言い表わすものでしょう。

 

 

 

 

 

          以下略(目次のみ)

 

 

           自由損傷性行動精神病  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔対他者好争〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔自由損傷症候群〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔対他者反抗〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔対他者刺激〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                    〔暴力革命集団〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔複合症候群と自由拡張症候群〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔スト−カー犯罪〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔いたずら(迷惑)電話&E-Mail  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔いやがらせ電話&E-Mail  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                〔セクシャル・ハラスメント〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

            自由損傷性自由拡張症候群  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

          詐欺師(意志了解型)  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

          奇矯者(運動表現型)  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

           境界症状  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

 

   治療編

 

           複合症候群の治療  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                 〔倒錯の性〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                 〔パラダイムの転換〕  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

 

 

 

 

    了

 

 

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