BBS 2 


 16,白萩  心がゆれている時に、どう闘ったらいいのですか。  98/09/21 10:51:50 


心が揺れている時、私は、ただただ、時間が過ぎてくれることを
祈ります。中村さんは闘うことが必要だとおっしゃっましたが、
何と闘うのですか?

 17,中村 遼  Re: 心がゆれている時に、どう闘ったらいいのですか。 98/09/23 22:22:52


 本能は環境世界と調和することを生きる目的としています。
けれど私達が生きる資本主義社会は、所有し、支配し、権力を揮い、翻弄することを目的としているのです。
 手短に言えば、りっぱな家が欲しい、研究で博士号を取りたい、一旗揚げたい、新車が欲しい、外国旅行をしたい、人の上に立って人を動かしたい、娘を名家に嫁がせたい、といったようなことです。
 調和世界では自分だけ突出したいなどという欲深い考え方は決してしないものですが、資本主義社会では成功者がキーワードなのです。

 成功者になろうとする欲と、謙虚な心との、この闘いがあなたの中にあります。これが揺れているあなたの心です。この互いに水と油のように離反する心の層を発見することが、なによりもまず、先決です。

 闘いはそこから必然的に開始されるのです。

 18,白萩  自分の心を見極めるんですね  98/11/09 18:06:31 


 心がゆれる時、というのは、言い換えたら、訳もなく不安な時です。でも、訳もなく、ということはなく、その不安になる前に怒ったことや、自分の中で考えたことを、よく思い出すと、たしかに中村さんの言われている、成功したい(私の場合、うまくやりたい、認められたい)という気持ちが生じてくると、苦しくなり始めます。あるがままにあればいい、という言葉の難しさと、すごさを感じずにはいられません。私の場合は、もうすぐ試験があります。試験に合格しなければいけない、と考えると不安になります。でも、自分の勉強したいことのための手段であって、その試験の内容が、その後の勉強の基本になると思って、知的興奮と知的快感を楽しもう、と思うと、とても楽に、楽しく、取り組めます。調子のいい時には、この考えで充実した日々を過ごすことができます。しかし、感情がフラットな日ばかりではなく、不安になる日もあります。この時に、闘うのですね。自分と。中村さんから言われて、だいぶ日にちが立ちますがやっと、その意味が分かってきました。もっと自由になれるように、「闘います」。

 19,しのら〜  インドの頁開いてます  98/11/09 22:12:24 


インドの紀行文、インド関連書籍、関連団体、各州言語会話集、都内のインド料理屋一覧などインドのことならおまかせのホームページを開いています。
http://www.ops.dti.ne.jp/~shino-ka

 20,中村 遼  Re: 自分の心を見極めるんですね  98/11/11 20:46:41 


 「あるがままにあればいい、という言葉の難しさと、すごさを感じずにはいられません。」
 ほんとにそうですよね。「あるがまま」というのは「自然体」のことで、平たく言えば「日常を生きる」ことですが、試験に合格しても、しなくても、それも日常の歩みの中に歩ませてしまえばいいんですよね。
 そのためには「自然体」が「人間社会の日常体」だけではなくて、本来の意味での「自然の生」を踏まえておくともっといいと思います。「野に咲く一輪の花」を基本スタンスにすると、いつも心がポカポカします。そういうのを「存在愛」と言いますね。へばったときに、その心を得る闘いは困難ですが、こうして書くことが、心の整理をする手段のひとつだと思います。

 25,クレバー  冬も雪もいらない。  98/12/02 12:53:01 


はじめてここに寄らせて頂きました。
最近特にうつ気味で辛いです。仕事は家畜相手なのでどうしても
の用事がなければ休みが取れません。毎日、朝夕夜と牛の搾乳
エサやりをほとんど決まった時間にやらなければなりません。
もちろん年中辛いわけではなくて冬場が特に毎年こういった
波がやってくるのです。外はもう雪が積もり凍えるような
冷え込みです。雪のない時はもっともっと忙しいのですが
それほど辛くはなく逆に意欲があるくらいですし自然や動物に
接しているのは楽しいくらいなんですが。仕事中は夏も冬も
集中してますのでそれほどではないのですが仕事の合間が
ひどいんですよね。目的というか目標がわからないんです。
もちろん金ではなくどこに向かってるのか向かえばいいのか
わからないのはキツイです。ただ時間を無駄に消費しているよ
うでそれでいて毎日決まった仕事の繰り返し。
また来ます。

 26,中村 遼  ,Re: 冬も雪もいらない  98/12/06 10:41:49 


 うつ傾向があると、日照が不足するのはつらいことがありますね。私も冬の浅間高原で冬季の3シーズンを過ごしたことがあります。あそこは北海道に良く似た雰囲気があり、気温がマイナス6度まで下がるのがこたえましたが、私は気に入っています。雪も50cmは積もります。ゆるい北斜面の広い高原一帯は、あなたの生業と同じ酪農が面積の半分程を占めています。

 白樺や樅(もみ)やその他の雑木もありますが、だいたいは松林で、犬や猫をはじめ、様々な生物が棲息しているのが、何よりも嬉しかったものです。もう読まれたかも知れませんが、下のURLからTitle へ行けば、その様子のいくつかの描写があります。
 私はそのとき、その他にも楽しみを持っていました。精神病理学を完成するという仕事です。いま発行しているメールマガジンの内容がそれですが、四苦八苦して思索執筆に余念がありませんでした。行き詰まりの連続ですが、世界の為に、という歓びがありました。かなり離れた街にある図書館に、買い物を兼ねて一週間に一度調べものに行きます。足らない資料は国会図書館に注文して送って貰います(無料)。
 写真も沢山撮りました。近いうち、Webに大きなサイズで載せたいと思います。

 北海道は6〜7年前に、住むところを探しに行ったのですが、あなたが多分住んでおられるであろう名寄から、40km 南にある和寒(わっさむ)の町に一軒見つけました。夕方には竈(かまど:風呂を焚いているのでしょうか?)の煙の立つ村落を一望する山際にあって、水道がなかったので断念したのですが、いまでも住んでもいいところの一つです。小さなスーパーの女の子も気に入りました。こういうのも重要ですよね。

 名寄の北東のオホーツク海に面した浜頓別に一泊したのは、ちょうどあの津波が起こったときでした。そのとき、離農して空き家になったところがいくつかあるとも聞きました。また探しに行くことがあるかも知れません。

 うつ病は”愛”を巡って”愛されない”状態で起こります。あなたの場合、草木が芽吹くと心も晴れやかなリズムになるようなので、その状態を想い起こせるような気分になる、身近な自然なり、遠くの人なりとの交流を持てる何かを為すことがいいのではないかと思います。
 浅間では狭い居間いっぱいに鉢植え植物を育てている家庭がありました。植物が生活の主導権を持っていて、人間の居場所がない位で、あそこは真冬でも熱帯圏にありましたね。

   http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/postscript-19.htm

 29,あまのじゃく  自分が恐い  98/12/07 06:26:11 


私は、摂食障害です。そして、万引中毒です。
精神病院に一度入院し、今は自宅で暮らしています。
ほとんど毎日、万引をしてしまいます。過食嘔吐も一日おきくらいでやってしまいます。
こんな生活は嫌で、なんとか普通に生きていけたらと思うのですが、すぐに悪循環にはまってしまいます。
自分でやっている事なのに、責任がとれない。
毎日自分の行動、思考にびくびくしています。
意志が弱い、甘えている、確かにそうなのかもしれないけれど症状に振り回されて身動きがとれない。こんな自分が情けなく、悲しい。
ドクターは時間がかかるけれど、いつか良くなるというけれど、その前に万引で捕まるか、内臓がおかしくなるか、他の症状が出るかしそうで恐い。
今まで生きてきた事が嘘のように思える。
私は今27歳。これからどうなっていくのだろう?

 30,中村 遼  Re: 自分が恐い  98/12/07 17:25:06 


 「過食」は”愛がない”ことから来る心理的なもので、親や社会に対する恨みつらみがあって起こります。

 嘔吐は「拒食」と同じですが、下のURLに行って、〈道徳倒錯〉を検索してみれば、表が出てきます。そこに「万引き」とともに、「食」の項に二つとも出ています。はじめに”愛がない”と言いましたが、”愛”は一般的に言ったまでで、「食」の項目は”感謝”の心理に関するもので、親や社会にあなたの存在が感謝されないので、あなたは”感謝がない”と恨みつらみがあるわけです。

 表にあるすべての症状は3つの単独の疾患が複合したもので、最初に言った「過食」はそのうちの一つの行動精神病です。行動精神病が純粋な”感謝がない”という心から起こるもので、後の二つは、自由拡張症候群と自由損傷症候群(神経症)です。
 
 自由拡張症候群は資本主義的なモノの溢れかえった生活を求める心です。自由損傷症候群はそのモノの生活を欲しているが、しかし、人を押し退けてまでやっていく力に欠けている心です。自分の心を覗いてみれば、力に充実しているときと、自信のないときがある筈です。社会は貨幣を以ってモノを遣り取りするという契約で成り立っていますが、上の二つの相反する心は、この正攻法を得てして抜け駆けして、もっと楽にモノを得たいと願っています。その心は”所有”の心です。

”感謝がない”恨みつらみが、この”所有”の心と結合して、表のような反社会的、また非社会的な行動にあなたを駆り立てています。

                 (続く)

 31,中村 遼  Re: 自分が恐い 2  98/12/07 17:26:43 


 3つの心が複合しているということが判りました。治療は行動精神病から行なうのですが、行動精神病の”感謝がない”という心にさせているのは、親や社会が自由拡張症候群や自由損傷症候群のモノに向かう心であなたに接しているからです。あなたは親や社会からモノのように扱われています。しかしまた、あなた自身の心の中にも、自由拡張症候群や自由損傷症候群があって、あなた自身があなたをモノとして扱ってもいます。

 心の治療は最終的には自分で行なうものです。私はその補助しか行なえません。私はあなたの資本主義的心をやっつけることはできません。あなたが自分でそれを見つけて退治しなければならないのです。
 あなたが最初に行なうことは、”愛”や”感謝”とはいったい何かということです。毎日食べている食物に感謝していますか? ここからはじめてみて、その結果をまた知らせてください。


http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/psycho.htm
        〈道徳倒錯〉の表。
        〈自由拡張症候群〉と〈虚偽症候群〉の座標。
  注:〈〉カッコ付きで検索。

 32,あまのじゃく  分るけれど、分らない  ,98/12/08 23:43:55 


言葉にすればそのとうりかもしれないが、この病気とかれこれ12年つきあっていると、自分がなんなのかわからなくなってくる。
確かに一日一日、生きているけれど、、、
いろんなことがあったけれど、そしてそれなりに努力してきたつもりだけれど、どうにもならない。
食べることに感謝しています。
普通に食べる事はできるのです。
24時間クレイジーなわけではないのです。
でも、いつ心の中の悪がでしゃばりだすか分らない。
ふと、魔がさしたように症状に走る。
上手く言えないけれど、辛いのです。馬鹿馬鹿しいのです。こんな事で悩んでいる自分が情けなく、悲しいのです。

                             

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