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    心身症

 

 

 

                        ─────────────────

 

ケース1:夫婦共働きの子供の場合。

1歳未満の子供がある日、おしっこの検査で

神経芽細胞種という小児ガンにかかっているのがわかった。

 

キョン1は、同じくらいの年ごろの子供をもつので

(3歳位までは母親べったり育児法推進!)

毎日引き離されて暮らす、その子の事が気掛かりだった。

生活内容を聞いてみると、生まれて何か月もたたないうちに

保育園?(さだかではない)に預けて仕事をしていたそうだ。 

 

病気の詳細の中にドーパミン、アドレナリンがたくさん作られる。

とあった。

一時期、はやった「脳内革命」(←だったっけ??)の本の中に

マイナス感情の結果のホルモン物質の中にその名前がある!!

 

               ____________

 

 

 

 

                                      

 

                      発症機制

 

 

 心身症主体は、摂理価値に於ける理想世界を仮想的に想い描くことができま

す。しかし、現実世界はまるでその反対なので、(+・−)域に転落して、こ

こで「怒り」のアイデンティティを形成します。「怒り」が一過性であるなら

ば、それはアイデンティティではありません。その「怒り」は恒常性を以って

持続します。

 

 

 「怒り」が恒常的であっても、これを表出できれば「怒り」の内屈は生じず、

それ故「自虐」に至ることはありません。「自虐」は、自らが片手に持つ「自

己主体性」によって為されるのです。自らの裡(うち)なる自己主体性が、自

ら自身を虐げているのです。

 

 

 被害者は主体によって無意識に内観されている摂理価値です。この摂理価値

は主体の理念(仮想理念)となっているので、主体に所有されている本能です。

従って、「怒り」、そして「自虐」している全体は主体存在の中で生じている

出来事です。

 

 

 「怒り」が内屈して「自虐」するというそれだけでは、仮想主体性が(+・

−)域にいつも潰れるているだけで、心身症の症状は生じようもありません。

「怒り」が自己主体性の力で内屈して「自虐」状態にあることは、「怒りが表

出されずに積重していく」ことです。

 

 

 この積重された「怒り」が、本能存在(身体)に重く伸しかかっていくので

す。”怒り、自虐するのは主体存在”です。そして、この”鬱積の影響を受け

るのは、本能存在”です。主体存在は本能存在を所有することによって成り立

っていますが、いまここで影響されているのは、生(なま)の純粋な本能です。

 

 

 本能は主体の「怒り」の積重圧を受けて、”根本情態性”を発動します。こ

の純粋な本能発動は、主体のまったく与(あずか)り知らぬところで為されま

す。主体が発するのは仮想主体性による「怒り」と、それに続く自己主体性に

よるこの「怒り」の内屈までで、主体は本能による根本情態性発動を要請した

覚えなどさらさらないのです。

 

 

 純粋な”根本情態性”は主体が発動しようにも決して自由にできないことは、

基礎編で俳優の演技への応用で述べました。”不安、絶望、混沌、恐怖”は、

自然としての動物の心以外のものではありません。従って、どこまでも主体性

である以外の存在足り得ない人間は、根本情態性を直接にはコントロールする

ことはできないのです。

 

 

 純粋な本能が根本情態性を発動していることなど露知らぬ主体は、自らが発

動する無意識の「怒り」の他は眼中にありません。それが主体のアイデンティ

ティだからです。「怒り」が存在に伸し掛かればかかる程、存在はますます希

望を喪って、根本情態性に沈潜していきます。 

 

 

 存在が”根本情態性に沈潜”することは、根本情態性が自らを存在の外、環

界に向けて自己を表出できないことを表わします。本能は主体に所有、支配さ

れているからです。

 「仮設自由損傷症候群(てんかん等)」では、主体と存在を分界する「分立

本能」が生きているので、「根本情態性発動」が主体を仮設神経症に罹患させ

ます。この「発動」は本能の「自態」を以って、即ち”主体に所有されていな

い本能存在”が、存在内また環界に対して起こされます。

 

 

 「自由損傷症候群」で身体の自律神経症状である「根本情態性反応」があり

ましたが、この症状は”主体に所有されている本能”の発動です。この発動は

主体性が崩壊することによって、それまで主体に所有されていた本能が解放さ

れて発動します。 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-33.htm

                〈根本情態性反応―意志了解性〉

                〈根本情態性反応―運動発動性〉

 

 

  この発動は主体から見て「根本情態性捕縛」といわれ、主体がそこで崩壊す

る程の急激にして、深い根本情態性の発動となります。この発動では本能は自

態から発動しますが、しかし本能個体としての行動力は持ち得ません。それ故、

この発動は「自律神経症状」として噴出してくるのです。

 これは、本能が存在のアイデンティティに発する行動力を持つ、真の自態か

らの発動ではありません。従って、真の自態から区別する為に「反応」と呼び

ます。

 

 

 心身症では、主体性は崩壊していないし、根本情態性に捕縛される状況でも

なく、自らの「怒り」が根本情態性を呼び起こしているだけです。しかし、主

体の意識は根本情態性に向けられることはなく、主体は「無意識の怒り(=何

かあるもの)」をのみ意識しているのです。

 この怒りが表出不能によって内屈すると、それは”自己自身に向けられた怒

り”となり、この「怒り」に対して、本能は根本情態性反応を示すことになる

のです。

 

 

 

 この状態は自家中毒です。自家中毒は自らが産出した毒素が排出不能となる

為に起こります。従って、心身症に於ける根本情態性反応は、「根本情態性自

家反応」と言われます。

 

 

 

 根本情態性は本能の知感覚であり、情官です。主体性の主体度の座標には

(−・−)域を根本情態性域としていますが、根本情態性は(−・−)域から

(+・−)域にかけてに、座標外の本能から侵襲してくる情官で、主体自体は

根本情態性の情官を持っていません。

 

 

 

 根本情態性のみならず、知感覚と情官を含む意志統覚はすべて本能に帰属す

るものです。主体は、”所有、支配、権力、翻弄”の概念を本能身体に植え込

む方法を以って、所有や支配の情官を手に入れるのです。

 しかし、自由に関する主体座標にとっては無関係である”不安、絶望、混沌、

恐怖”の概念を、主体は身体に決して組み込むことはできません。

 

 

 

 主体が”所有、支配、権力、翻弄”の概念を身体に組み込む方法は、”身体

を所有する”方法で行なわれます。”組み込む”ということが、所有すること

に他なりません。遺伝子操作でも組み込むという作業を行ないますが、これは

”所有、支配、権力、翻弄”の行為なのです。”不安、絶望、混沌、恐怖”の

意義は所有や支配力の拡張の概念とはまったく無関係です。主体が本能身体に

対して組み込み可能なのは、所有、支配に関係した概念だけなのです。

 

 

 

 ”感謝、愛、善、美”の概念は、組み込むのではなく、本能の調和意志を概

念に昇華したものです。自己主体価値は主体の先唱によって生成しますが、精

神主体価値は本能の先唱によります。従って、精神主体性の行動は、精神理念

を立てると同時に、本能を内観してその摂理意志にまで到達しなければならな

いのです。

 

 

 

 「根本情態性自家反応」は個体性の生物にも現象します。私は動物実験には

反対ですが、実験動物の日本猿の手足を自由にできないようにして、水槽に首

まで浸ける実験があります。すると猿の胃壁はたちまちにして血を吹き出しは

じめます。人間にも急性に起きる「吐血」が起きたのです。猿は手足の自由を

奪われて、「怒り」を表出できず、「怒り」が内屈して「根本情態性」が発動

されたが、猿は根本情態性から脱出する行動をも断たれてしまっているからで

す。

 

 

 猿は準主体を持っていますが、準主体性の割合が少ない動物園の動物にも

「胃潰瘍」などの心身症の症状が見られます。これらの場合には、個体性と主

体性の両方の「怒り」発動があったと見てよいでしょう。これらの動物の場合

は「怒り」も「根本情態性」も、ともに物理的な障碍で表出不能を来したもの

です。

 

 

  心身症の発症機制は、存在が「怒り」とそれに続く「根本情態性」を表出し

て、環界への力学を行使できないことにあります。

 

 

 

 

 

 

 

                       症状

 

 

 心身症では、まず怒りの排出不能によって自家中毒を起こします。序で根本

情態性という毒素が産出され、この自家中毒によって「慢性的自律神経症状」

である心身症の症状が引き起こされるのです。「慢性的」というここでの表現

は、先の吐血の急性反応と対照されるものではなく、「根本情態性反応」のよ

うに単に神経の震えと痙攣に留まるものではない、遅反応性の分泌系などの反

応を含んだものです。

 

 

 脳神経系は、成長ホルモンなどの内分泌系などを張り巡らせている身体全域

に対して、単に電気的信号を伝播するのみではなく、種々の分泌物質をも運ん

でいます。大脳から脊髄に掛けて、つまり一次脳と二次脳を貫通する空洞には

脳脊髄液を湛えており、そこに含まれる種々の物質は脳神経機能を連携すると

ともに、抹消神経を通じて体の情報を受け取り、また情報を送り出しています。

 

 

 人間では脳神経機能は2群に分かれて互いに弁証法を構成します。これを一

次脳と二次脳と呼びます。それぞれ「運動反射」と「循環反射」を行ない、こ

れが意志統覚の働きとなります。一次、及び二次統覚の運動反射はtenp-2

示されています。循環反射は、血流、ホルモン、水分、イオン、免疫、睡眠、

体温、食、呼吸などの調節に働きます。運動反射と循環反射は相俟って意志の

判断を示すのです。

 

 

⇒{参考資料1}<本能存在の上下位統覚の構造>

                       <一次と二次の統覚機能の協働>

 

   ∴大脳と間脳は二次脳、小脳と中脳から脊髄までが一次脳です。

    そのうち、大脳と小脳は対象認識と体性運動の認識を行ないます。

    認識はすべて言語と図式の概念で行なわれ、認識は身体の行動や

    運動、即ち、「意志統覚を誘導」します。

 

      ∴行動や運動は、運動反射であると同時に、循環反射です。

    下の〈二次統覚判断=定位と運動〉の「口をモグモグさせる」

    運動反射は、空腹を感じる循環反射と相俟って可能となるもので、

    それら身体全体の様態を以って「食欲の判断」が示されます。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-2.htm

                      〈一次統覚判断=定位と運動〉

                      〈二次統覚判断=定位と運動〉

 

   ∴私達のあらゆる主体統覚(意志)の表現活動は、身体としての感情

    と官能の表現です。人間に於ては、この活動の指令はすべて言語的

    理念に拠っています。しかし、言葉を発し、表情をつくり、動作を

    行なって「存在を表現する」のは本能である身体です。個体存在

    (動物)での我観が身体を誘導するのと同じく、主体存在に於ても

    主観は身体を誘導するに過ぎません。

 

 

 運動反射は「随意神経」で、循環反射は「不随意神経(自律神経)」でそれ

ぞれ体全体に情報を展開します。心身症に関与するのは主に「循環反射」の方

で、”不安、絶望、混沌、恐怖”の根本情態性に永く浸され続けることは、体

温や血圧や免疫系に不必要な影響を与えるであろうことが容易に想像されます。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-35.htm

                      〈根本情態性自家反応―心理症状〉

                      〈根本情態性自家反応―官能症状〉

 

 

 これら身体の恒常性を保つ機能がゆらいだ状態を「自律神経失調症」と俗に

言いますが、普通は「冷え症」とか「体のだるさ」、また「不定愁訴」とか閉

経による「更年期障害」などの軽度のものを指し、器質から来るものを含んで

います。閉経がもたらす心理的ショックによるなどの軽度の障害を含めて、精

神因性の自律神経失調症からもっと重篤な症状を示すガンや自己免疫性疾患ま

でを心身症の症状として扱います。

 

 

 心は脳機能から自律(不随意)神経、また脳脊髄液を伝って、上のような身

体全体に影響を及ぼす機構を以って身体を揺るがします。自由損傷症候群での

「根本情態性反応」を起こす「自律神経症状」は、ほぼ神経の電気的即反応で

すが、心身症の「根本情態性自家反応」は内分泌系や免疫系の遅延反応を含ん

だ意味で、慢性的な「自律神経失調症状」です。

 

 

 心身症が、成長期にある小児に成長ホルモンの異常を起こすと、体の発育が

阻害されます。また脳を含む臓器や、皮膚を含む体の外見の変形をもたらす疾

患もあります。これらは主として免疫性の疾患に起こりますが、自己免疫性の

疾患についてはその一部を表に挙げたのみで、現在は、脳炎と脳の壊死などの

障害を含む「神経ベーチェット病」など多数の疾患が認められている「全身性」

のものから、「心血管性」「内分泌系」「血液系」「筋肉系」「消化器系」

「脳」「皮膚」「その他の臓器系」などに詳しく分類されています。

 

 

 

 心身症は放って置けば死に至る病です。主体が怒りを激しくすればする程、本能

は根本情態性の発動の度合いを強化するが、主体に抑えられて感情表出がならず

に内向して、生命的に無力化していくからです。

 

 

「無力化」は存在としての表現を奪われた”死に体”に他なりません。この無力化し

て”死に体”と化した本能の心理症状を、〈根本情態性自家反応・心理症状〉の表に

示していますが、一般には「失感情症」、及び「失体感症」と呼んでいます。この心理

症状は《主体の怒り→本能の不安、絶望、混沌、恐怖》の力学の只中で生じるのであ

って、本能だけで現出する心理状態ではありません。

 

 

 これに対して、自由損傷症候群での「根本情態性反応」は、主体性が前意識性な

ので言動をもぎ取られてはいるが、外に向けた「表現」として、激しい震えと痙攣、

及びまたその結果としての、痛み、嘔吐、眩暈、失神等を引き起こし、またこれに

よって身体を破壊することはありません。

 

 

 根本情態性のすべての外向的「表現」を抑え込まれてしまうのが、心身症の「根本

情態性自家反応」です。身体(本能)は”不安、絶望、混沌、恐怖”を表出しようとす

るが、そこでは主体がその出口を封じています。通常は、存在の感情はすべて身

体的に表現されるが、この場合には”不安、絶望、混沌、恐怖”を自分自身に向ける

結果となり、「自家反応」を起こすのです。表出されない感情は蓄積していくことにな

ります。

 

 

この本能の”不安、絶望、混沌、恐怖”の感情の鬱屈→蓄積が内攻した結果、

主体の“怒り“の感情と相俟って自己身体を破壊していき、身体症状を形成発現しま

す。この身体症状と平行して、先に言った「失感情症」と「失体感症」が心理症状とし

て顕われます。

 

 ストレスを与えるものをストレッサーと言いますが、出口なきストレス状態

にあって、更に加重にストレッサーの圧力が加えられると、出口なき出口を求

めて破裂する他はないでしょう。心身症は身体自らが産出した根本情態性とい

うストレッサーの攻撃によって、遂に自ら自身を破綻させる疾患です。

 

 本能は心ならずも自己自身を破壊していかねばならないことになりますが、

その発病主因は、心身症主体が本能を「何かあるもの」としてしか捉えられないこ

とにあります。これは自由損傷症候群と同じ無意識的、また前意識的様態ですが、

心身症を含む価値不全症候群では、「何かあるもの」に“自立(自律)”しようとする

のではなく、「何かあるもの」を“表出”しようと試みます。

 

 その表出は、言語にならない、つまり本能の「何かあるもの」を基体としているので、

主体的「怒り」は意識的表出ができずに前意識的にならざるを得ません。

主体の「怒り」は本能の「何かあるもの」をベースに

しているので、前意識の中に沈んで内向してしまうのです。

 

 

 行動精神病に於ては、一日だけの行動精神病があり得ます。過食やアルコー

ル依存症に対して、一日だけの“無茶食い”“自棄(やけ)食い”や、一日だ

けの“無茶酒”“自棄酒”があります。しかし、心身症では、「心理症状」と

してはあり得ても、「官能症状」に関してはほぼあり得ないことです。

 

 

 「高血圧」や「喘息」、「蕁麻疹」などが、感情の昂ぶった(怒りの内閉)

ときにのみ出現するように見えても、これらの症状が心身症として定着するに

は、怒りの官能の積重圧が、身体の機能、器官を徐々に変質させていく永い助

走期間が必要でしょう。

 

 

 小児の「愛情遮断症候群」は、心身症、行動精神病、道徳倒錯(頭を打ちつ

ける行動=苦行)などを含む、複数の症候群に付けられた名称です。この症候

群の心身症の「心理症状」として挙げられのは、乳児に於ける「人への無関心」、

幼児の「寡動」傾向と「感情表現の乏しさ」、少年の「学習意欲の乏しさ」な

どです。

 

   

 癌や自己免疫性疾患では他の物理的要因である場合も考えられます。とくに

ガンの場合は発ガン物質やガンウイルスのガン化作用が知られていますが、体

の持つ遺伝子中に「細胞増殖遺伝子」と「細胞増殖抑制遺伝子」があり、この

二つの遺伝子の機能を狂わせるガン化のイニシエーター(初発因子)として心

身症性の原因は充分考えられます。同時にまた自己分裂する能力を持つガン細

胞を形成するプロモーター(促進因子)として、またその後の増殖因子として

も充分に原因として考えることができます。

 あるいは物理的要因と組合わさって、ガン細胞増殖を促進していることも考

えられるでしょう。

 

 

 「結石」や「糖尿病」なども同じように考えることができます。「胃潰瘍」

はヘリコバクター・ピロリ菌の出す毒素が原因ですが、この毒素を胃壁に侵入

させずに済んでいる場合があるので、弱化した胃壁にしてしまう心身症性の原

因が考えられます。

  競争馬の胃潰瘍発症率が六十パーセントに達するという報告は、そのことを

裏付けています。

 

 

 

 

    〔憤怒痙攣〕

 

 第一反抗期を経過した自立した主体性は、自由損傷症候群や価値不全症候群

に罹患しても、既に、本能身体は自立レベルで完全に所有されています。しか

し、自立以前の乳幼児では本能存在性が未だ保たれており、根本情態性は本能

の「自態」からの表出を可能とします。

 

 

 生後六ヶ月から四〜五歳頃までの心身症に罹患する、または心身症の心理機

制に則った場合の乳幼児は、8ヶ月乃至は1才位までは本能が主体と分界して

いる「先主体性」であることによって、それ以後は自由損傷主体であることに

よって「憤怒痙攣」を起こします。

 「憤怒」は主体が発動し、「痙攣」は本能の根本情態性の反応です。 

 

 

 【小児神経症】で「癇癪発作」の機序を見ましたが、癇癪発作の場合は自由

が損傷している自立葛藤状態に巧みに煙幕を張って、原自由の最大領域に偽自

立している様態で起こります。この場合、自立という目標を持っているので、

憤怒痙攣の乳幼児よりも高い年齢から生じる発作です。

 癇癪発作では自由損傷症候群に罹患している幼児がそれから遁走しているも

の、即ち、本能の根本情態性に打ち倒されました。このとき根本情態性に「捕

縛」されて、主体は深崩壊しました。  

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-36.htm

                         〈覚醒時深崩壊〉

 

 

 心身症では根本情態性からの遁走はありません。「怒り」が内屈すると、本

能は「根本情態性自家反応」を起こさずに、その「怒り圧」に対してストレー

トに「根本情態性反応」を発動します。痙攣や失神はその本能の表出です。正

しくはこの表出は「半表出」です。

 

 

 「てんかん」では、分立本能が過剰本能状態にあって、その根本情態性の発

動は主体を打ち倒しますが、通常の生育段階にある先主体性では、主体を押し

退けていく勢いは既にありません。

 

 

 痙攣、失神は根本情態性がその持てる力のすべてを出しきったと思われた、

その寸前で差し止めを喰らった状態です。つまり、勢いよく飛びだした力がま

さに出ようとするそのとき、頭を押さえつけられて、力の出口を喪い、自家痙

攣というべきものを起こしているのです。

 

 

 憤怒痙攣では、癇癪発作のようにモノを投げたり、寝転んで手足を打ちつけ

て泣き喚くことはなく、「怒り」を「泣き叫び」で表現するだけですが、ここ

でも癇癪発作と同じく、怒りで泣くときの呼気が根本情態性の吸気とぶつかっ

て、「呼吸停止発作」が起こります。痙攣、失神はその後に起こります。

 

 

  「怒り」が泣き叫ぶ位に激しい場合に憤怒痙攣が生ずるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5 行動精神病

 

 

               行動精神病主体の対社会力学

 

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-6.htm

           〈価値不全症候群の各存在度〉

 

 

 心身症が(+・−)域の主体度に発病するのに対して、行動精神病は(−・

+)域の主体度に発病します。この主体度に於て、縦軸の意志、及び運動統覚

の判断尺度、即ち価値の自由度は、(−)に、つまり不自由に転落しています。

 彼に於ては、存在することが呪われたものとなるので、この呪いを一瞬でも

救済する為に、刹那的な良及び快刺激を求めます。この行動に赴くことによっ

て、根本情態域への転落を食い止めています。                       

   

 

 

 上のことから、行動精神病主体は精神病主体と同じく、“愛された”体験を

持たないか、希薄であると言えるのです。彼には、心身症主体のような内的な

”調和の弁証法”の強化された信仰が欠落しています。これに対して心身症で

は、内屈してしまうとはいえ、「怒り」という意志の力が維持されています。

 しかし、行動精神病では意志の力が(−)域の不自由に転落して、”人を愛

する”という意志が欠落しているのです。

 

 

 彼が精神病に落ち込まないのは、ようやく現実の良と快刺激を求めることが

できるからです。言い換えれば、恒久的な人との愛の繋がりに想い致せずに、

”刹那的今”の良、快刺激で保っている生です。

 人の生は”倣う=習う”ものです。自然の中で生きれば自然に倣いますが、

愛なき状況に生きれば愛なきことを倣い、愛の意志は涵養されません。

 

        ∴”倣う=習う”:”学ぶ”ことも”真似る”ことから来ています。

 

 

 (−・+)域の「呪い」に転落している行動精神病主体が這い上がろうとし

ている理想状態では、”愛のまったき意志が充たされている”ことを仮想され

ていますが、いま彼は人を愛する気概に欠いています。

 現実の良、快刺激を貪る行動は、その愛の意志が欠落してつくられた深淵の

深さに比例しています。

 

 

 自らの中に持つこの暗い深淵を逃れんとする切羽詰った行動は、彼が自由損

傷症候群を並持しているのでない限り、従って、自由拡張症候群を並持してい

れば、第三者にある種の力強さを観察させます。この力強さは、生命の本来性

が阻害されている「呪い」を持つ者が発散する”妖気”です。

 

 

 いま、自由拡張症候群の色付けを拭い去るなら、行動精神病主体は異世界に

投げ込まれて戸惑いながら、先に進もうか、後に戻ろうかと思案に暮れている

様態が伺われます。

 そのとき、彼らに接する第三者は、「共感性」と「自虐性」を見るでしょう。

共感性は、その生が本来のものに向かい得たなら、豊かな生命活動になるので

はないか、という予感を与えます。しかし、もうひとつの自虐性には、生命の

安定から遠離(とおざか)ろうとする刹那性の”炎”に身を焦がす脆さが見え

ます。それが心身症主体とは異なった、行動精神病主体の「行動化」に見える

二律性なのです。

 

 

 前者の場合には、“愛さねばならない”という万人共有の摂理が奏でられて

います。しかし、一方の自虐性には、生命への失望が滲み出て、もしその力の

方向が転じられれば、対社会的反行動に向かうのではないかという危惧を抱か

せるのです。この危惧は自由拡張症候群や自由損傷症候群との複合症候群に至

った場合には、という条件付きのものです。

 

         

 この危惧は行動精神病単症型に留まるならば、危惧のまゝに終わるものです。

しかし、摂理価値を虐げて生きる資本主義社会の波に揉まれ続けるならば、行

動精神病が他の症候群に複合して、社会への反抗という事態に立ち至る可能性

が留保されます。

 

 

 

 精神主体性には複合症候群への罹患はもちろんあり得ません。しかし、仮想

主体性に浮遊する行動精神病主体では活発な複合症候群への罹患傾向が認めら

れます。複合症候群への傾向を強めると、次項で述べるように、「代償行動」

が対社会、対他者への、反抗、敵意、隷属という歪んだ情念に変質します。 

 

 

 

 「呪い」の主体度は、精神主体性では、”悔やみ、切なさ、惜しみ、寂しさ”

であるが、自由拡張症候群では、”恨み、憎しみ、妬み、嫌う”の敵意に変質

し、自由損傷症候群(通常神経症)では、”わがまま”という自己主体性価値

に立脚します。価値不全症候群の中では、唯一行動精神病だけが拡張と損傷の

両症候群と複合して、自己をそこで変質させ、敵意や反抗や服従に身を替える

ことができるのです。

 これが、行動精神病主体の対社会、対他者「行動化」の力学が孕む情念です。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-8.htm

              <精神主体性の存在度>

 

⇒{精神病}〈自由拡張症候群〉〈虚偽症候群〉〈狂気症候群〉

                〈判断停止症候群〉〈根本情態性遮蔽症候群〉

       注:〈〉カッコ付き検索。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-21.htm

                         〈自由拡張症候群の存在度〉

                            〈自由損傷症候群の偽自律の存在度〉

 

 

 

 価値不全症候群の中では唯一、代償行動、また複合症候群として対社会的行

動化を行なう行動精神病は、全価値不全症候群主体の「対社会断罪」を一身に

背負うかのようです。 

 しかし、後に述べるように、これは正義の断罪の仮面を被った、拡張と損傷

の両症候群の主謀によるのです。摂理価値は変質するものでは決してあり得な

いからです。

 

 

 

 

 

 

                                      

                                      

            発症力学と代償行動、結果としての身体疾患

 

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-4.htm

            〈精神疾患の発症力学〉

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-35.htm

                       〈行動精神病の症状〉

 

 

 行動精神病の症状は、一般には「代償行動」といわれ、”本能の存在の四時

空の意義を負って”行動化されます。その良、快刺激をもたらす対象物によっ

て、喪われゆく摂理価値の備給を行なうのです。

 

 

 代償行動のひとつである「情愛行動」によって、その情愛関係が定着恒常化

に成功すると、その情愛行動そのものゝ代償性、またその他の代償行動も残り

ますが、その情愛の深さに比例して、心理的な安定が得られます。しかし、彼

の直接的病原である扶養者や、現在の情愛対象を含む、この社会そのものゝ本

質が「価値不全」を呈しているので、完治ということにはほど遠いものです。

 

 

 この心理的不安定は、彼が精神主体性に成り得たとしても常に襲い来るもの

です。資本主義社会では、完全な精神主体性はまず不可能です。完全な精神主

体性を生み出すには、それによって生命を負っているということが実感されて

いるような、自然との弁証法的調和生活が基本に於て為されていることが必要

なのです。

 

 

 

 次講の【自由拡張症候群】で展開されることになりますが、物質文明それ自

体は「価値中立」であり得ます。但し、その為には存在する全個人の存在態様

が精神主体性であることが前提となります。精神主体性の下では物質文明の価

値中立は、自然生命に於て生命の基礎を確認する作業を怠らないことによって

可能となるのです。

 

 

 

 生命は自然に由来します。そして自然に還り行く存在です。これを日々、確

認できることの他に生命の安定はあり得ません。コンクリートとアスファルト

の人工原が涯なく続くビルの屋上で、座禅を組んだところで、何の自己”放下”

の結果も得られないでしょう。

 

 

 

 よしや、地球が人間の乱暴狼藉の果てに砂漠化したとて、その砂漠とスモッ

グに煙る大空は、コンクリートとアスファルトの人工原とは比較にならない

《自然》を私達に恵むはずです。生命の覆いのない姿は、自然との物理的現実

的対話によってのみ確認できるのです。《生命は自然に負う》ことを覚(さと)

る存在が、精神主体性です。

 

 

 

 《存在は自然という環界の機能に過ぎない》ことを知り、そのように生きる

ことが自然存在の弁証法であり、調和の弁証法です。私達人間はかつて地球外

生物に遺伝子操作を受けて生み出された生物である、という説があります。も

しそれが事実であったにしても、私達の肉体と心は自然という素材から造られ

たもので、素性は何処までも《自然》にあるのです。

 

 

      ∴生み出された生物:この説の科学的基盤のひとつは、日本原住民と

          英国原住民の間の遺伝子間距離は、アフリカの同じ森に棲むチン

          パンジー個体間の遺伝子間距離よりも、遥かに近いというもので

          す。

 

 

 都市生活に於ては自然と対極の生活しかあり得ません。摂理主体性にとって

は、都市生活に於けるその対人間生活は、本能の個体度の健全な全域性を超過

した「怒り」や「呪い」や「根本情態性」の主体度の発動が要請されます。

 

 

 自然に於ては、そこには恣意的功利であるものは何もないので、人は(+・

+)域の幸福だけが生活のすべてである、などとは夢にも思うことはありませ

ん。自然生活は主体度の全域性に於て幸福なのです。そこには原罪以外の罪性

はありません。

 

 

  翻って、人間社会では自由拡張症候群、及び自由損傷症候群の罪に満ち々ち

ています。こゝでは価値不全症候群のみならず、精神主体性もまた、”本能世

界での条理のある怒り”ではなく、”不条理な怒り”に於て身も心も磨り減ら

すのです。 

 

 

 資本主義的世界は、本質的に価値不全の世界であるので、行動精神病の「呪

い」は持続していきます。

 行動精神病主体の欠落した調和意志は自然に由来しているので、自然から備

給される必要があるのです。自然に由来する調和意志は、もっともよく自然経

済の中で育まれます。土を耕すのはそれに準じます。

 

 

 行動精神病主体の「呪い」は、”存在の本質である摂理それ自体が功利世界

に向ける呪い”であるので、「代償行動」は資本主義的功利世界に在るかぎり、

タンタロス的永遠の行動となるでしょう。彼は代償によって、一過的、幻影的

な(+・+)域を絶えず追い求め続けねばならないのです。

 

    ∴タンタロス:ギリシャ神話で、喉の乾きに苦しめられながら、

                笊で水を掬って飲む、という行為を罰として与えられた人物。

 

                    

 「愛情遮断症候群(施設症候群)」にみられる「身体を揺する」動作は、官

能代償型の「多動」に相当します。座り込んでその動作が為される場合は、性

愛を求める「自慰」であることがあるかも知れません。

 幼児の場合のこの自慰は、先自由意志の「身体所有」の試み、及び、神経症

の「弄精」との区別が必要です。

 愛情遮断症候群では、心身症による「不眠」もみられ、夜中に覚醒し、身体

を揺するとともに、頭を繰り返しモノにぶつけたりします。

 

 

 成人の自慰に於ては、「純粋な肉欲」が空想されている場合がそれで、自由

拡張症候群のひとつの「判断停止症候群」のそれ、また同じ症候群が「性倒錯

症」に複合した場合の「ナルシシズム(自己性愛)」のそれ、また自由損傷症

候群のそれと区別されます。

  自慰の伴わない「白昼夢」に於て「情愛」の結合を空想される場合もありま

す。

 

 

 「情愛」、「性愛」は現実の存在を対象としたもので、行動精神病の場合は、

純粋な、というのは本能に基づいた深い関係を求めるが、本来性を以って展開

される家族の本能に基づく人生のヴィジョンに導かれての行動ではありません。

俗に言えば「行き連れの関係」で、金銭授受のある関係であっても、「深い衝

動的愛」を伴なっている場合もあるでしょう。

 

 

 もしその関係が結婚に至っても”愛する”という能動性を欠き、”愛される”

受動性を先行させるので、自由拡張症候群のようには自らの浮気はありません

が、相手が浮気した場合は論外としても、愛のない態度には敏感に反応して、

破綻に導くことがあります。

 

 

 「徘徊」は、盛り場その他、人の群れる場所、または人の閑散とした場所で

あっても、人との社会的出逢いを期待します。存在的な温かみを求めているの

です。じっとしていない「多動」傾向、また家の中、施設の中を「彷徨(うろ)

つく」のも徘徊と同じです。徘徊と多動は、物理的な行動範囲の相違で、物理

的制約が多い幼児には街中への遠出は無理でしょう。

 

 

 「放浪」は、風土、風俗の中に人情を求めて流離(さすら)うものです。六

歳児が日本の果てを旅することもあります。放浪は「家出」に端を発すること

が多いでしょう。若年者の出奔は、徘徊と同様に都市に於て自由拡張症候群の

歯牙に掛かることがあるので注意を要するでしょう。

 

 

 人情に出逢う筈の放浪が、都市では価値不全を強める結果に至ることが間々

あります。その結果、「道徳倒錯」に至り、ピストルを奪い、強盗殺人を重ね

た例(もう20年位前のことになるのかも知れません)を私達は知っています。

“人を見たら泥棒と思え”というこの社会は、未成年者を狂気(道徳倒錯は自

由拡張症候群を複合する)に仕立て上げることのできる社会です。 

 

 

 休息の領野では、成人の場合「アルコール依存」、「ニコチン依存」に、

「薬物」の「シンナー依存」、「有機溶剤依存」、「覚醒剤依存」、「麻薬依

存」などの精神的身体的な依存症を形成します。アルコール、シンナー、有機

溶剤、覚醒剤は精神のタガを外したり、妄想と幻覚を起こしたりして非社会行

為や犯罪を起こすに至ることがあります。アルコール、シンナー、有機溶剤に

ついては脳を破壊して廃人化する危険性も考慮して置かねばなりません。

 

 

 アルコールはほんの少しなら”百薬の長”だと思えますが、過ぎれば鬱状態

を引き起こすなど害ばかりです。ニコチンにも頭脳明晰効果が認められますが、

免疫機能を破壊するチャンピオンでしょう。麻薬(麻酔)系ではモルヒネはガ

ンの痛みを緩和するために、中毒にならない程度を処方する方法が確立されて

いて、これも効果を認めることができます。

 

 

 余談になりますが、ブラジル原産で、産地では食用にしているアガリクスと

いう茸は、服用し続けるとモルヒネよりも鎮痛効果があるということを聞いて

います。また産地では成人病が非常に少ないということです。日本では現地の

日本人がこの情報をもたらして研究が開始されたようです。

 とくにガンに対しては、マウスの投与実験で90%の全治率があったという

ことです。猪苓マイ茸もアガリクス茸と同程度に迫る治癒率があり、アガリク

スに較べるとかなり廉価です。いずれも煎じて飲むのがもっとも効果があるよ

うです。他の茸類では椎茸が50%の全治率となっています。

 

 

 モルヒネの抽出前の状態は、ケシの実から採る乳液を粉末にした阿片ですが、

この産地では中毒になって痩せこけてしまった男性が多数存在することを見逃

せません。またイヌイット(エスキモー)に物質文明が入って、アルコール中

毒が多数発生していることゝ共に、資本主義の是正を必要とする問題です。

 

 

 南米のインディオには、やはり麻薬系のコカインの原料となるコカの葉を噛

む習慣がありますが、精製しないこの用法には害は少ないのかも知れません。

コカの栽培も現実では資本主義に乗って大規模になっているようで、ケシとと

もに産地の密売組織が暗躍しており、その豊富な資金で南米の幾つかの政府と

対抗できる武力を用意しているようです。主な密売先の先進国に巣喰う密売組

織ともども、全世界一丸となって根絶しなければならない問題です。貨幣の流

通が一切無い、資本主義に取って代わる新しい社会が必要とされるのです。

 

 

 「過食」の弊害はもう言うまでもないでしょう。「糖尿病」の罹患は、失明、

腎不全、動脈硬化などを引き起こす危険性があります。過食から来るこの栄養

過多によるものは「インシュリン非依存型」で、これとは別に、小学生でも罹

患する「インシュリン依存型」と呼ばれる、肥満に無関係にインシュリンホル

モンが不足して生じる、明きらかに「心身症因」である糖尿病が増えてきてい

ます。これは免疫異常によって、膵臓のランゲルハンス島という部位のβ細胞

が破壊されて起きることが確認されています。現在のところでは、この型は全

体の10%程度を占めているようです。

 

 

 

 「性愛」や「自慰」も過ぎれば身体を損います。行動精神病の「代償行動」

一般はモノを通した「間接的自己破壊」を行なう、と言ってよいでしょう。  

 

 

   

 「指しゃぶり」は、母に抱かれて母乳を飲む代償として乳幼児が行なうもの

で、自由意志を身体に組み込むために行なわれる口腔刺激とはことなり、こゝ

では唾液が飲まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

   心身症と行動精神病・治療編

 

 

                   心身症と行動精神病の治療

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

    価値不全症候群は地球の痛みであるので、私達はその苦しみ

    を共有することができます。

    目標は、価値不全症候群が生じることのない無い社会を創る

    ことです。勇猛な闘いの精神を持つまでに至ってください。

 

 

 

 

 

                                  本態治療と疾患の「本体」

                   

                                      

 随分前から主婦、とくに都市の集合住宅の高層階に住む主婦に「キチンドリ

ンカー」が増えています。「無気力症候群」、「テクノストレス(コンピュー

ター浸け)症候群」、「バーンアウト・シンドローム(燃え尽き症候群)」な

どと言われるものは心身症の心理症状です。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-35.htm

                      〈行動精神病の症状〉

                      〈根本情態性自家反応―心理症状〉

 

 

  複合症候群ではなく、並症としての、行動精神病の「過食」と道徳倒錯症の

「拒食」を組み合わせた「ビンジ・パージ症候群」や、自由拡張症候群と自由

損傷症候群と行動精神病の「アダルト・チルドレン症候群」があります。後者

ではその3つの並症状に加えて、倒錯症候群の並症がある場合もあります。

 

 

     ∴拒食:拒食症は「大人に成りたくない症候群(資本主義的隷属)」

     のひとつで、単症型では食物を拒否することに始まって、その後、

     体機能が飢餓状態に適応して摂食なしで平気になります。 

     「ビンジ・パージ症候群」での拒食は、嘔吐と下剤処理を行ない 

     ます。

 

⇒{精神病理学}〔道徳倒錯(意志了解型)〕

 

 

 「境界型人格障害」と言われるものは、概ね行動精神病を表わしているよう

ですが、これに自由拡張症候群(ギャンブルなど)、道徳倒錯(万引きなど)、

自由損傷性行動精神病(狂言自殺など)の並症状を含むもののようです。 

 

 

   ∴「ギャンブル」は〈虚偽症候群〉の座標の(−・+)域。

         「狂言自殺」は〈神経症性行動精神病〉の「反抗」の各症状。

     自殺未遂は、ほぼこの症状です。

 

⇒{精神病理学}〈神経症性行動精神病〉〈虚偽症候群〉

 

 

  上に一部記したように、疾患単位ではなく、人格様現象単位で括る疾病観も、

その時代の傾向性を探るためには決して無効ではありませんが、治療に関して

はあくまでも疾患単位を主柱にして治療することがもっとも合理的にして効果

のある方法なのです。それは精神の力学を明瞭にし得るからです。

  人格様現象単位で括る疾病観は本来の単一疾患を逆に分断してしまった弊害

をももたらしています。

 

 

 その理由はもう言わずとも明きらかだと思います。この講座で、心身症と行

動精神病を私達は疾患単位で考えてきました。しかも、最初に存在の一般構造

を学び、最後に治療編置く、この精神病理学は、存在に迫るようでいて実は存

在の多面体の面表しか観ない人格様現象ではなく、人格を規定する普遍的構造

を明確にし、同時にその人格構造が纏うべき理想が提示されることにより、そ

の間にサンドされた病理編が疾患単位で示されたにも拘わらず、人格的存在の

外殻にくるまれてリアルに描写されたのです。要は存在の《原理》を掴んでい

るか否かの相違を言っているのです。

 

 

 私の病理学的方法は、多面体の内部の中心をまず定め、そこから表面に向か

って、各面を底辺とする○角錐のブロックを個別に形成していく方法であると

考えてよいでしょう。各角錐ブロックはそれぞれの疾患を表わします。

 

 

 精神主体性はこれらのブロックの総体で、それ故、疾患を内包しています。

自らの疾患を否定するのであれば、それは精神主体性ではありません。精神主

体性とは人間が罹患し得る疾患を余さず知悉した者のことです。即ち、疾患を

コントロールできる存在です。

 

 

 精神主体性でない場合には、個々のブロックは大きかったり小さかったりし

て表面が揃わないデコボコ体であったり、またブロックの組み合わせを拒否し

て多面体のアイデンティティそのものを逸脱したりします。精神主体性は、例

えば、美しい正20面体のようです。

 

 

 この方法は、普遍的《原理》を発見し得た故に可能であったので、現時点の

精神医学が行っている「疾患」から「人格様現象」への病理的見地のシフトは、

私達がこの講座で学んできた方法の原理無き「疑似」を行なうものに過ぎませ

ん。

 

 

 基礎編でも述べましたが、二十世紀も終わろうとするときにあって、心理学

は未だ這い々いからようやく一人立ちの段階に達したところで、諸学の最後尾

をとぼとぼ歩んでいる状態にあります。これを私の研究が、諸学に並ばせ、更

には諸学を率いる能力あるものにまで一気に成長させるものです。

 

 

 諸学を率いるのはこの講座の中心に立っている哲学です。従って、哲学をも

揺るぎ無いものにしました。哲学は決して難しいものではなく、基礎編で見た

ように、誰にも判るもので、また判らなければならないものです。他ならぬ自

分自身の存在の真理に肉迫することなのですから。

 

 

 これを難しく考えさせるのは、資本主義に洗脳されてしまった脳細胞の悪習

からの離脱困難性によるものに他なりません。次講の【自由拡張症候群】で、

「モノ」が麻薬のように精神に働くことを知ることになります。むしろ行動精

神病の方がその依存性が軽いと言っても決して間違いではありません。

 

 

 しかしながら、価値不全症候群の病因本態は自らの中に持つ自己主体性の圧

力にあることをも病理編で学び取りました。してみれば、価値不全症候群は自

由拡張症候群や自由損傷症候群という自己主体性を解決しなければ、その本態

的療治を望めないことが明きらかです。

 

 

 疾患の「本体」は、皆さんが露ほども疑ったことがないかも知れないその日

常の中に潜んでいるのです。私は都市に居ると身の置き場がないと感じます。

価値不全症候群の方もそうであるはずです。しかし、また一方ではその都市が

モノによって存在を保証してくれるように感じて離れがたい思いをしているで

しょう。それが上に言う「モノ」の麻薬性なのです。

 

 

 行動精神病の麻薬嗜好は仮想主体性に於けるマイナス域の根本情態性に落ち

込まないための代償ですが、自己主体性に於ける「モノ」の麻薬も同じ役割を

こなしているのです。自己主体性の成立は、主体性が自由を持つことによる不

可避な本能の抑圧によって生じた本能の根本情態性からの逃走であり、遁走の

結果です。

 

 

 一方の仮想主体性は本能の座標上にあり、もう一方は主体の座標上にある、

と解することができます。前者の座標で根本情態性に落ち込まないためには、

後者の座標で根本情態性に沈潜する必要があります。前者は後者の自由力に虐

げられているのです。従って、自由がマイナス域に転落すれば、前者は晴れて

意識的摂理主体(精神主体性)となり、根本情態性への転落から自らをプラス

域に引き上げる闘いとしての価値不全症候群から離脱できることになります。

  この二つの座標で展開される根本情態性は素性が異なるのです。

 

 

 この作業は自己主体性を自己批判する作業に同じです。つまり、自己の存在

構造を理解して、摂理価値を意識の照明の下に照らし出すことができたのです。

 自己主体性を批判するというこの作業は、他ならぬ資本主義社会を批判する

ことに同じです。新たな闘いはここに開始されるのです。

 

 

 

 

 

 

 

                                            二つの闘い

 

 

 摂理は”愛さねばならない”という至上命題(究極の生の意義)の実現を仮

想主体性に要求します。これに対して、心身症主体は”愛せない”と答え、行

動精神病主体は”愛がない”と答え、精神病主体は”愛されない”と答えます。

                                      

 

  価値不全症候群の治療は”闘う”ことによってのみ可能となります。そのひ

とつの闘いは前項で述べた《精神主体性》への自己陶冶です。しかし、精神主

体性を獲得するためには、やはり前項で述べたように資本主義による洗脳、そ

の麻薬性との闘いを同時に推し進めていかねばなりません。この二つの闘いは、

前者は”能動的な愛”に、後者は”悪に立ち向かう”命題に収斂します。

 

 

 前者は自己の精神に与えられた課題であり、後者はその精神による行動です。

”自己変革”と”社会改革”の二つの正義を全うする、と言うことができるで

しょう。このことは、基礎編で述べた、精神病理学と社会学の不可分離の結合

を表わしています。

 

 

 調和の弁証法の目指すものは、”全体調和”でした。一個の存在が生存する

ためには、自然の全環境に負うものであり、その存在式は〈自体+対自体〉、

即ち、〈質量+機能〉で、個々の存在である機能は、全体であり本質である質

量を配慮する役割を担っています。

 自己と社会の関係は、他ならぬこの〈調和の弁証法〉のことであったのです。

 

 

 弁証法は対話であり、存在は何時如何なるときでも、全環界との対話によっ

て成立しています。「孤立せよ」と命ずるのは資本主義です。「自己を敷衍せ

よ」と要請するのは調和の弁証法です。「他を我がことのように生きる」、即

ち、《愛》についての問題こそ、価値不全症候群がその疾患に至った原因であ

るならば、その解決もまたそこにこそあるのです。

 

 

 

 愛の受動性から能動性に転じなければならないのです。

 

 

 

 資本主義社会は、放縦な自由に基礎を置く、摂理の喪われた社会です。この

社会に摂理の理想を追い求める限り、笊で水を掬って渇きを癒そうとするタン

タロスとなる他にはあり得ません。

 

 

 タンタロスがその無限の呪いを脱するための方法は、笊に目張りを施すこと

です。目張りの材料は「言葉」しかありません。その材料を張り合わす糊は

「論理」です。無意識的摂理という笊に必要なのは、”言葉を操る力”であり、

これ以外のものではありません。 

 

 

 

 

 

 

 

                       闘いへ

 

 

 自然状態にある本能存在は、怒りを内屈させたり、代償行動に赴いたりする

ことはまずあり得ません。本能の世界に、愛なき扶養者など存在しないからで

す。もし扶養者の死に遭遇する事態となるならば、彼は愛なき“切なさ”の情

官態に浸されることになりますが、彼はじっとその情官に浸るのであり、何か

代償行動を求めて愛なき切なさを脱しようなどとは思いも及ばないのです。

 

     

 価値不全症候群は直情的な摂理の不全に開かれますが、この不全の表現は主

体の意図によって摂理的表現から離れています。無意識的主体性は摂理であり

ながら、一方で主体であることによる疾患なのです。このことが、行動精神病

での「共感性」と「自虐性」の二律性をもたらすのです。

 

 

 心身症の「怒り」の内屈や精神病の「破綻」もまた、「自虐性」の顕れです。

それは一方の手に握られている自己主体性ある故の当然の結果なのです。

 

 

 価値不全症候群主体は、本能的な調和世界を想い描き、これを希求していま

す。従って、治療は、彼が置かれている“愛せない”状況から、“愛さねばな

らない”という本能の律法に従うところの、愛の弁証法が機能している状況へ

と、状況を変革することによってのみ為され得ます。

 

 

 小児の治療に於ては、扶養者を精神主体性へともたらす以外に方法はあり得

ません。扶養者になるための教育を施せる成熟した社会づくりにも取り組まね

ばなりません。

 施設で育つ子供たちにも同じように、豊かな精神理念を持つ扶養者環境が必

要とされます。子供たちの無意識価値に加えて、扶養者付与の前意識的理念を

自己主体理念から精神主体理念に植え替えて、子供たちが苦衷のうちに立てね

ばならない前意識的仮想主体性を溶かし去ってやらねばなりません。子供たち

の精神を、彼らの内からと外からによって育てなければなりません。 

 

 

 できる限りの自然環境と、生活システムの自然経済近似形態が望まれます。

これは扶養者自体の精神理念の安定の為にも必要とされます。同じ価値不全症

候群である精神病が、田舎から都市に出てきて発病する「異郷精神病」や、ジ

ェット機の轟音などで発病する「驚愕精神病」が、諸自然環境との交流によっ

て持ち堪えていた仮想理念を瓦解させた結果であることを勘案すれば、自然と

いうものがどれだけ価値不全症候群に必要とされているか理解されるのです。         

              

 

 

 成人の治療は、もう言うまでもなく闘うことの他にありません。無批判に社

会から受け取っている自己主体性理念と、内密の価値である摂理価値とを構造

的に把握して、この二つの価値を自身の内で闘わせて、精神主体存在へと決着

を着けることです。

 

 

 

 価値不全症候群は、“あれも、これも”の世界に生きようとしており、その

結果、正当な怒りを顕現させることができないでいます。現在の私達の社会シ

ステムでは、彼の持つ所有や支配の意志を棄てることはできないが、この不可

避な資本主義的自由生活を為す、彼自身の生活の罪を引き受ける潔さがあれば、

彼はただちにその自律理念に精神理念を立てることができます。そのとき自己

主体性理念は、『罪性』として担われることになります。                  

    

 

 

 自己自身の欲得、この後目立さも手伝って、正当な摂理の怒りを顕現させる

ことができないでいるのです。摂理の怒りは、自己自身をも当然その標的とせ

ねばなりません。しかし、人は、原罪によっても、罪によっても、罪に打ち拉

がれるのであってはなりません。

 

 

 私達は罪性を永遠に背負って歩かねばならないが、この罪性の重みに溜息を

搗(つ)くのではなく、罪性の重みによって本能の重力に引き付けられること

ができたことを、感謝しなければならないのです。

 

                      

 小児に比すれば、成人の生きる世界は飛躍的に拡大された世界です。成長期

にある小児の頃に比すれば、成人の存在観の拓かれゆく様はまるで遅々として

進みません。現代に於けるこの理由は明白であって、資本主義の組織的効率の

為の組織となってしまった、家族、教育機関、企業体、国に対する、道徳倒錯

症の中位、下位自立葛藤の諸疾患を患っているからです。あるいはまた、休日

になると自分の身の処理に戸惑う「日曜神経症」は、資本主義の奴隷となった

身の、自発的意志を喪った姿に他なりません。

 

 

⇒{精神病理学}〔道徳倒錯(意志了解型)〕

   ∴「自律したくない」「自律しなくともよい」の見出しは、自由損傷

     症候群の中位と下位の自律葛藤で、その項目にある各症状を、こ

     こでは「隷属」の言葉で括ることができます。

 

                  

 資本主義的人間は、驚く程均質化し、且つ、了見が狭くなりました。成人価

値不全症候群主体は、歪んで、且つ、狭い存在観に拘束される奴隷の自由を、

やはりその自己主体性価値によって選んでいるので、仮想理念はいつまでも仮

想理念のまゝに留まっています。一方でこの自由世界のシステムを享受しなが

ら、一方で本能的摂理を信仰して、両者の懸隔に於て破綻しているのが価値不

全症候群の姿なのです。              

 

 

 この綻びを縫う針は言葉であり、その糸は論理です。綻びを縫い閉じること

は、仮想理念を正位の理念に昇格させることです。二つの理念を自己の内で闘

わせながら、新しい自己の理念のために為さねばならないのは、言葉と論理に

よる、世界を席捲する資本主義の、外側からの客観的評価です。自己の存在を

も否応なく呑み込んでいる資本主義の真の評価を打ち出せなければ、精神主体

価値は再び仮想理念に浮遊するしかないでしょう。

 

 

 彼の仮想理念は既に、このこと、つまり、自らもどっぷりと浸って無思念で

居られる安楽な状態から、自己をも含む世界全体を敵にして闘わねばならぬ努

力の日々を、想念のうちに概観していた故に、正式な主体理念となることを後

込みしていたのです。

 

 

 小児の怒りは核心を突くだけで良かったが、成人は核心を突いてこれを粉々

に打ち砕いても打ち砕き難いことを知るでしょう。核心は、世界システムの一

細胞に過ぎなかったことを知るに至るからです。人の生活が自然経済システム

から離散していけばしていく程、怒りの射程距離は伸びていきます。病原その

ものはこゝに在っても、この病原を造った更なる病原は巨大なシステムです。

このシステムの一細胞を突くと、また新たな怒りを呼び起こす細胞が次々に現

れます。これは怒りを呼び起こすひとつのシステムなのです。

 

 

 心身症では比較的に生育史的愛が恵まれていました。しかし、行動精神病で

はまず扶養者との対話的闘いを為すことが必要です。その戦略をまずじっくり

と立てることから始めるのがよいでしょう。しかし、扶養者はこの世界のシス

テムに組み込まれています。

 彼の闘いの対象は、いまや世界全体のシステムであることを了解しなければ

ならないでしょう。この闘いは、長期に亙る闘いであることを覚悟して置かね

ばなりません。

 

 

 

 資本主義的自由世界は利己的世界であり、一つの所有があると一つの調和が

差し引かれていきます。一つ、またひとつと所有は増大していきます。もう一

つ位なら、と所有は未だ考え巡らしているのです。

 

 

 

 私達のあらゆる意味での「モノ」システムが、自由拡張症候群の運営に拠ら

ないならば、そして、精神主体性の運営するものとなれば、精神破壊、環境破

壊のない世界とすることができるのです。モノ的生活レベルが如何なるレベル

のものであれ、人間一人ひとりが精神主体性であれば、そのレベルに応じて調

和的対応が可能となります。人間が自由拡張症候群である限りは、どの世界に

於ても私達のような歴史を綴っていく運命にあるのです。                  

    

 

 

 摂理の怒りや呪いを正当に表現できるのは、精神主体性だけです。言葉を持

たない摂理がこの言語的世界に置かれて、無力であるのは当然でしょう。

 言葉と論理、つまり考える力を養い、言語的世界に免疫力を付けねばなりま

せん。主体的な存在性は言語概念の世界によって構築されています。摂理がそ

の純粋性を振り翳(かざ)そうとも、自由拡張症候群の、次講座で抉り出すよ

うな「悪巧み」の言語力に決して太刀打ちはできないものです。摂理を無意識

から意識に引き上げ、摂理に言語という武器と、論理という戦略を与えねばな

りません。価値不全症候群の治療は、精神主体性へと歩むその行程に於て、自

ら打ち拓いていかねばならないものなのです。     

 

 

 

 成熟した存在観を持つ為に、言葉と論理が必要です。同時にまた、言葉と論

理は自己主体性世界との闘いの唯一の武器となるものです。精神主体性は、こ

の世界では闘いに明け暮れねばならないが、この世界に於て精神価値に忠実で

あれば、それは当然であり、どのような形であれ精神的義務を果たすことは、

精神主体性の喜びとするところなのです。

 価値不全症候群の真の治癒は、この精神主体性の姿以外にはあり得ません。

 

 

             

 

 

    了

 

 

 

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