V  自由損傷症候群

 

 1 成人神経症

    病理編

 

                                       自由損傷症候群

 

 

 

 「環境破壊」問題は、存在の四時空のすべてに関係しますが、人間に焦点を

当ててその破壊の実態を把握する場合には、「人類生態研究=環境破壊に就い

て勉強する」というような理念を立ててから、資料収集に着手します。

  この理念は個別理念といい、環境問題全般を追求しようと意欲する際の理念

は、一般理念と呼ばれ、それは存在の四時空に亘る”感謝、愛、善、美”です。

 

 

            一般理念:以下の二つの座標

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-8.htm

              <精神主体性の存在度>

 

⇒{精神病理学}〈自由拡張症候群〉    注:〈〉カッコ付き検索

 

 

 一般理念の原理の下に、個別理念は更に階層的に構成されます。「環境破壊

に於ける人類生態研究」は、「地球生態系の理想状態の研究」の下位個別理念

です。こうした理論的研究は、また環境破壊の社会的認識を現実化させる実践

行動と平行してある故に、その理論に真理が吹き込まれるのです。

 

 

 書籍を出版する、裁判を起こす、政治の改革に参加する、インターネットで

広める、小さな課題大きな課題の勉強会を開き、また個人でやれる範囲の行動

をする、等々が実践ですが、この実践行動にはまた運動論という理論が付随し

ます。闇雲に突っ走っては破綻するばかりです。

 

 

 一般理念は上にみた精神主体理念と、自己主体理念のこの二つがあります。

人はこのいずれか、あるいは両方を、自発、また他発によって行動の前に据え

ておく必要があります。

 個別理念はこれによってはじめて可能となるのです。個別理念も当然、精神

主体理念と、自己主体理念のこの二つの類別があり、また自発、他発の両方で

あることができます。

 

 

 

 こうした一般理念、個別理念を自分で立てることができずに、扶養者、また

学校、友人、その他社会から付与されて、自発できない場合に、神経症という

疾病に罹患しているということになります。

 

 

 

 六歳を過ぎる頃、そろそろチックなどの症状が出始め、成人神経症が始まり

ます。しかし、成人神経症は、第二反抗期が本格的に始まろうとする十歳から

十二歳頃に発症期のピークが開かれるとみてよいでしょう。               

 成人神経症は小児神経症に引き続いて顕れることが多いものです。脆弱な身

辺社会的自立という基盤の上に、成人神経症が始まります。

 

 

  身の周りの身辺社会にあって、自立に葛藤している幼児の意識は原意識です。

原意識が自立を達成すると前意識となります。前意識的主体は扶養者付与理念

のうち、身辺社会的自立に関する他発性原意識的理念を克服して、しかし、存

在界全体に関する対象観に関しては、他発性前意識的理念に従う主体性です。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-15.htm

            <自由の行動から見た生育史>

 

⇒{参考資料1}<自己主体性の理想生育史>

 

 

 第一反抗期から第二反抗期に至るまでのこの前意識的主体は、他発性前意識

的理念に従いながらも同時に、徐々に第二反抗期に向けて自律葛藤状態に這入

っていきます。第二反抗期で頂点に達するこの自律葛藤に於て、晴れて自発性

前意識的理念を措定できれば、成人の仲間入りができるのです。

 

 

  人はその持てる自由を常に内省しながら、存在観を持たねばならないことを

基礎編で述べました。自由の内省は、反省的側面に於て社会観、家族観などを

含む世界観を立て、内観的側面に於て価値観を定立します。

 自律を抑圧されることは、この内省を差し止められることです。従って、自

発理念(価値観)を産出できなくなります。自由を持つことが直接阻止される

のではなく、自由が与えられたが、この自由に扶養者の与える理念とは別の、

自前の理念を持つことを阻止されるのです。

 

⇒{参考資料1}<存在観=アイデンティティの形成>

 

 

  自由を内省しても自前の理念を得ることができなければ、存在観は成立しま

せん。存在観は上の参照座標の(+・+)域にありますが、神経症の人は価値

観の不成立と同時に、世界観も未熟であるままなのです。(+・+)域には決

して踏み入れないのですから。

 存在観が成立しないことは行動が不能であることであり、これはそのまゝ、

自由が損傷している様態であることを示しています。

 

 

 

  下の座標の交点0がその位置で、順次放射度の強大になるにつれて、「自由

拡張症候群」の四病型が占めています。その最大度にあるのは、「狂気症候群」

です。

  交点0は自由拡張症候群が力を喪った状態なので、「自由損傷症候群」と呼

び、これを神経症の新しい病名とします。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-1.htm

         <存在の意志発動の強度=自由力強度>

      注:図の左が「自由力強度」座標で、右が「存在度」の座標です。

          右の座標は90度時計回りに回転させて見てください。

          左右の座標は重ねて見ます。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-1.htm

             〈”根本情態”域と根本情態性が発動される存在度〉

      注:こちらは頭を横にして見ます。

 

 

 

  同じ上の参照URLの最初にある〈”根本情態”域と根本情態性が発動され

る存在度〉の座標上に、自由拡張症候群の四病型をそれぞれの域に位置させる

ことができます。(+・+)域は狂気症候群で、●で表わされた根本情態性の

最下底域が自由損傷症候群です。

 

 

 

 これによって自由損傷症候群は”不安、絶望、混沌、恐怖”の根本情態性に、

最強度に晒されていることがわかります。

  自由が損傷することは、”怯える、慄(おの)のく、恐れる、竦む”ことで

す。しかし、実はこの情態は自由拡張症候群の力の最小度にある、「根本情態

性遮蔽症候群」の情態です。

 

 

 

 自由損傷症候群はこの座標の外に転落しています。転落したところは、裏側

にある本能の領域で、その発動である根本情態性それ自体です。「自由損傷症

候群は根本情態性に捕縛された状態」にあって、主体性を喪ってしまっている

ということが、真相なのです。

  「根本情態性捕縛」状態がパニック障害の主症状である「種々の自律神経症

状」の原因です。また「主体性喪失(崩壊)」状態が「幻覚と妄想」の原因で

す。

 

 

 

  いま、〈”根本情態”域と根本情態性が発動される存在度〉の座標で自由拡

張症候群の四病型の存在度を展開しましたが、これをtenp-21で〈自由拡張症

候群の存在度〉の座標に表示しました。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-21.htm

        〈自由拡張症候群の存在度〉 

 

 

  この四病型を割り振った座標は、下の座標に見るような感情の力学を示しま

す。

 

⇒{精神病理学}〈自由拡張症候群〉     注:〈〉カッコ付き検索

 

 

 この〈自由拡張症候群の存在度〉の座標の四領域に配置された自由拡張症候

群の四病型の各々は、その主体性としては、やはり上に見た{精神病理学}の

頁の〈自由拡張症候群〉の座標のようにその主体度を展開します。

  その各々の主体度の表示は下の各座標です。

 

 

⇒{精神病理学}〈虚偽症候群〉〈狂気症候群〉〈判断停止症候群〉

          〈根本情態性遮蔽症候群〉の四座標。

      注:すべて〈〉カッコ付き検索。

 

 

 

 

 

 

 

                               偽自律と自律葛藤、及びその存在度

 

 

 

 自由損傷症候群の場合にも、上で見た自由拡張症候群の四病型を1つの座標

の四領域に割り振ったように示すことができます。

  ”癇癪、不機嫌、わがまま、甘え”は、それぞれ下の参照座標のように、

〈狂気症候群〉〈虚偽症候群〉〈判断停止症候群〉〈根本情態性遮蔽症候群〉

に対応した位置にあります。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-21.htm

         〈自由損傷症候群の偽自律の存在度〉

 

 

  自由拡張症候群の四病型はそれぞれ独立しており、基本的には一個の人格は

ひとつの病型をのみ纏(まと)っています。しかし、一個の人格はこれらの病

型間を移行することがあり、移行すれば、人格は当然変異します。そういう過

渡時にはまた特に、人格は日内でひんぱんに変異します。

 

 

 自由損傷症候群の場合も同じで、癇癪と不機嫌のこの二つの偽自律様態は、

普通は一個の人格にひんぱんに混ざり合うことはありません。従って、独立し

た病型として示すことができるので、座標名に〈存在度〉を使って〈主体度〉

から区別しているわけです。但し、存在度と主体度は本来、同じ意味です。

 

 

  〈自由拡張症候群の存在度〉と〈自由損傷症候群の偽自律の存在度〉は、精

神主体存在と自己主体存在のそれぞれが持つ価値の違いを価値度で表わすのと

同じに、〈存在度〉ではなく〈価値度〉で表記することが正当です。

  精神病に於ける、分裂病と躁鬱病は病型の違いだけであり、価値度の差はあ

りません。しかし、自由拡張症候群と自由損傷症候群のそれぞれの病型は、そ

の自由力量(度)の差を価値度としても表現できるものです。

 

 

  下の参照座標は、その四つの価値度にある自由損傷症候群の、各病型のそれ

ぞれに当てはまる〈主体度〉です。

  〈偽自律の存在度〉では「甘え」は(−・−)域に示されていましたが、そ

れは病型の対比の中でのことで、ここではその「甘え」を価値度とする人格の

主体度の展開を示します。他の三つの価値度にある人格も、それぞれ個別にこ

の座標上で日常行為の主体度を展開します。

  それぞれこの主体度を展開しながら、〈偽自律の存在度〉上でも展開するこ

とはあり得ます。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-21.htm

         〈自由損傷症候群の自律葛藤の主体度〉

 

 

  上の座標の(+・+)域は、幸福、満足の領域です。自由損傷症候群である

かぎりは、この域に彼のアイデンティティがあるのです。これがアイデンティ

ティとして安定し得るので、自由損傷症候群という疾患を離脱することの難し

さがあるのです。

 それはまた自由拡張症候群にも言えることです。

 

 

  上の座標で(+・−)域の「上位葛藤」は、普通は「不機嫌」をアイデンテ

ィティとする人格の自律葛藤症状です。

 「わがまま」をアイデンティティとする人格は、「中位葛藤」の自律葛藤症

状を普通は示し、「甘え」のアイデンティティでは「下位葛藤」の自律葛藤症

状を示します。

 

 

 「甘え」の場合、(−・−)域の「服(したが)う」や「従う」が、その主

たる葛藤症状で、中位や上位の葛藤症状は偶にでてくるものだと考えてくださ

い。そうすると彼の主体度は、(−・−)域から、一気に(+・+)域の「甘

え」の偽自律にジャンプするかのような様相を呈します。

 また、「不機嫌」では(+・−)域と(+・+)域の不機嫌の、この2領域

しか動かないように見えます。

 

 

  しかし、大なり小なり自由損傷症候群ではない人は居ないはずなので、読者

のみなさんも自分自身を観察していれば、すべての域を生活している自分を発

見できる筈です。

 しかしまた、「不機嫌」のアイデンティティにある人は、不機嫌から転落す

ると、(+・−)域で頑張ろうとし、「わがまま」のアイデンティティの人は、

(−・+)域まで落ち込みやすいと言えるのです。

 

 

 つまり、tenp-21の〈偽自律の存在度〉(=価値度)の座標と、同じ〈自律

葛藤の主体度〉の座標は重ね合わすことが可能です。なぜ重ねることができる

のか。自由拡張症候群でも四病型を配置した座標と、それぞれの主体度の座標

を重ね合わすことが可能です。

 

 

 tenp-21の〈自律葛藤の主体度〉の(+・+)域に【癇癪・不機嫌・わがま

ま・甘え】と並記しているのは、癇癪以外はすべて癇癪をあこがれの表情で見

つめているという意味を含んでいます。

  いま、その(+・+)域に、同じtenp-21の〈偽自律の存在度〉の座標を4

分の1に縮小して填(は)め込んでみてください。偽自律度(自由力量)が小

さい、「甘え」の人は(+・+)域の満足に達しても、他の三病型に較べて最

小の場合、4分の1の大きさにしかならないことになります。このことが、

「甘え」のアイデンティティの人には常なる不満なのです。

 

 

 更に、〈偽自律の存在度〉の座標を(+・−)域、(−・+)域、(−・−)

域にも、それぞれ置いてみてください。ベクトル(アイデンティティの方向:

意訳)は明きらかに(−・−)域の最下底を指しています。同じように、「癇

癪」のアイデンティティのベクトルを想定すれば、(+・+)域に集塊してい

きます。

  二つの座標の重ね合わせは、上述の意味で可能なのです。

 

 

      具体例:資本主義社会に於ける自由拡張症候群の、成功者への地道

         な努力は(+・+)域の完全領有という理想に向かいます。

         例えば普通の会社勤めのサラリーマンを思い浮かべてくだ

         さい。

         薄給で、しかも会社の経営方針にも口を差し挟めない平の

         彼は、自由損傷症候群の「甘え」のレベルです。しかし、

         その働きが認められて、昇給+αを得ると、俄然、彼にも

         色気が出てきます。

         こうして彼はその自由力を、「もっと、もっと」と欲望し

         続けるのです。私達の地球はこの相乗効果のパワーによっ

         て、いま危殆に瀕せられています。

 

 

 そこから言えることは、「癇癪」のアイデンティティには自律葛藤症状がほ

とんどない、ということです。癇癪は、自由拡張症候群の狂気症候群に匹敵す

る自由力量を発揮します。しかし一方では、「自律しなければならない」のに

「自立に小児返りしている」実態に引け目を持っています。

 

 

 しかし、「自律」を達成するには、強力な根本情態性に素手で立ち向かわね

ばならならず、最強のパワーで何一つの不足もない今の状態が、彼にとっては

ベストなのです。できれば彼はその位置から動かずにいたいと願っているのです。

 

 

 そういう特異な心理機制が、彼をして自律葛藤に突入することから遠去けて

しまいます。現実には、癇癪だけで世渡りできるわけではなく、会社の中では、

同輩ならいざ知らず、上役や先輩、また得意先があり、彼の価値度(自由力度)

は不機嫌やわがままや甘えを移行、推移し、従って上、中、下位の葛藤症状は

ひんぱんに起きるでしょう。

 しかし、家庭に帰れば、両親や妻や子供に対して癇癪を破裂させて、最強の

自由力の独裁体制の幸福を噛みしめるのです。

 

 

 

 

 

 

 

                                  通常神経症と精神神経症

 

 

 

  人間が持ち得る理念は、自己主体性価値と精神主体性価値の他にはありませ

ん。神経症はこの二つの主体的価値に於て罹患するのですが、精神主体性価値

による神経症の方には、「偽自律」の症状はありません。それゆえ「仮想主体

性」という立場に甘んじなければなりません。

 

 

  この講座が対象とするのは、自己主体性価値による神経症の方で、精神価値

によるものを「精神神経症」と呼ぶのに対して、「通常神経症」と呼びます。

  ともに自由損傷症候群のカテゴリーであり、並症することもあります。下の

頁を参照して理解を深めてください。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-5.htm

            <主体性の様態と疾患>

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-19.htm

              <仮想主体性>

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-20.htm

         <精神神経症と精神病発病時精神神経症>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                               自己主体性としての自由損傷症候群

 

 

 自由損傷症候群主体は自己主体性です。彼の扶養者もまた自己主体性です。

その主体意志が自己主体性価値であることは、根本情態性の”おそれとおのの

き”から退避していることを示します。

 根本情態性が肯定的アイデンティティであるのは摂理主体性だけです。摂理

主体性であっても価値不全症候群や精神神経症では、肯定と否定の両義的アイ

デンティティとなっています。

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-5.htm

            <主体性の様態と疾患>

 

 

 自己主体性の「根源病因」は根本情態性を否定的アイデンティティとして自

己意識から排除することにあるのです。自己主体性である扶養者は根本情態性

から逃れる為に、その自己主体性理念(価値)を常に使用状態にして置く必要

から、所有支配の標的(対象)に向かって、自己主体理念の矢を射掛け続けな

ければなりません。

 

        ∴根源病因:下の参照図の「本態因」のこと。

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-4.htm

            <精神疾患の発症力学>

                   注:説明文も。

 

 

 これはまた、自己の存在観を常に補強していなければならないということで

あり、この補強は、自己の存在観のモデルを自己の外に打ち立てることによっ

て為されるのです。

  自己の存在観を自己の外に敷衍していくと、自己自身が存在観を見失ったと

き、自己内省の作業を簡略にして、モデルを見ることによって恢復できます。

 

 

 扶養者は乳幼児に対しては、その身辺社会的存在観に自己を敷衍していき、

青少年を所有、支配することに於てはその社会的存在観を標的にします。これ

らの標的はその存在が直接、的(まと)にされるのではなく、アイデンティテ

ィを形成する一般理念と、パーソナリティに於て価値(目的)判断の任に当た

っている個別理念を射抜くことによって、間接的に自発的自立(自律)性を不

能にされるのです。 

 

 

  自己主体性である扶養者は、こうして自己内省の手抜き作業で存在観を得ら

れ、内省の度に根本情態性と対峙して”おそれとおののき”に襲われることを

極力避けることができます。もっと言えば、存在観の内省なき補強を可能にす

るために、自己の存在観の信者を自己の周りに侍らせるのです。

 

 

 こうして自己主体性の存在観に取り込まれた青少年は、この存在観を行使し

ていくに当たって、二つの道を選ばねばならないことを知ります。ひとつは、

与えられた存在観を一度自分自身で咀嚼(そしゃく)し直して、扶養者に付与

されたものとしてではなく、自前のものに消化する道、もうひとつは、咀嚼が

不充分のまゝ呑み込んで、消化するに負担となる道です。

 

 

  後者の場合が、自由損傷症候群のアイデンティティを持つことになり、前者

の場合は自由拡張症候群のアイデンティティを得ることになります。

 生育的には、自由損傷症候群の扶養者からは自由損傷症候群が生じ、自由拡

張症候群の扶養者からは自由拡張症候群が生み出されます。また自由損傷症候

群の扶養者が自由拡張症候群主体の社会で敗者の立場を痛感していると、子供

を社会的強者に育てることがあり、その場合は当然、自由拡張主体の世界観を

子供は身に付けることになります。あるいは、自由拡張と自由損傷の割合を様

々な程度に、混淆することもあり得ます。

 

 

  第8講で扱う性倒錯、拒食、不登校、出社拒否、家庭内暴力、いま世間を騒

がせている毒物混入、それに加える保険金詐欺と自殺狂言、また現在、裁判が

進行中のオウム真理教の宗教詐欺・隷属・無一物・苦行・殉ずる・リンチ・殺

人・サリン撒布などは、自由損傷症候群と自由拡張症候群、行動精神病などの

複合によって生じます。

 

⇒{精神病理学}〈自由拡張症候群に、行動精神病と神経症の〉

           〔道徳倒錯(意志了解型)〕

                    〈神経症性虚偽症候群〉

 

 

 自由損傷症候群の罹患は、一個の人間に複合、重合している疾患の中で、突

出した疾患となった場合に、症状が顕となるのです。

 

 

 

 

 

 

 

                                      自由損傷症候群の家族因

 

 

  自由損傷症候群は「自律しなければならない」という命題を抱いています。

第二反抗期で価値自律が達せられると、扶養者付与の他発性前意識的理念の束

縛から脱して、自発性前意識的理念は晴れて自律する「意識的理念」となりま

す。

 

 

 

 社会の既成人に伍する、独立した人格を得る為に、自前の理念を求めて奮闘

する、この成長段階を扶養者が抑圧すると、彼は自前の理念、即ち意識的理念

を立てることに失敗します。“お前の遣り方を認める訳にはいかない”という

わけです。

 こうして少年、あるいは青年は扶養者の押し付けてくる理念に従い、従うこ

とによって成人神経症に罹患します。

 

 

 

 前項で、自由損傷症候群は自己主体性の存在観を、「咀嚼が不充分のまゝ呑

み込んで、消化できない」ことを述べました。

 扶養者が上のようである場合、その被扶養者、つまり、養われている子供も

この親の態度を学びます。これが先のtenp-4 の<精神疾患の発症力学>の図

では、【扶養者圧】と示されている疾患の「現象因(家族因)」です。

 

 

 前項で述べたように、疾患の「本態因」は各自の本能と主体の確執にありま

す。つまり、精神の疾病の大本の決定者、責任者は本人にあるのです。但し、

第一反抗期までの生育期にある子供に対しては、このように言うことは酷であ

り、第一反抗期を終えた前意識的主体に対してのみ、扶養者に対決し得る互角

の力ありと見做して、そう言うことが許されます。

 

 

  自己主体性となる家族因は、前項で、扶養者が自己主体性となる「本態因」

を抱かえて、その本態因からの逃走として、子供にその存在観を押しつけるこ

とにある、と言いました。しかし、「子供は親の背中を見て育つ」と言われる

ように、『自己主体性となれ』と言葉で強制されなくとも、親の立ち居振る舞

いを見ていれば、それを学んでしまうのです。「三つ子の魂百まで」と言われ

ように、四六時中見ている大人は親だけであるなら、子供は親に成人の範を求

めざるを得ません。

 

 

 同じように、自由損傷症候群の罹患は「本態因」と「家族因」にあります。

自己主体性の「自由」が「本能の根本情態性」を”おそれおののく”には、二

通りあります。ひとつは根本情態性に対峙して、それを突破するにせよ、また

踵(きびす)を翻すにせよ、その場からの「逃走」を図る場合と、盾を持ちな

がら、あるいは遮蔽物から遮蔽物へと逃げまどいながら「遁走」する場合とが

あります。この遁走が自由損傷主体の主体性です。

 

 

  遁走という本態因を抱かえている扶養者は、既に子供に「親の情けない背中」

を見せてしまっています。加えて、「癇癪・不機嫌・わがまま・甘え」で子供

を躾ようとするとき、「家族因」を積極的に与えてしまうことになるのです。

 「癇癪」持ちの父親は、食卓をひっくり返したり、高価な電化製品を投げつ

けて毀したりして、自由拡張主体の妻をさへ震え上がらせる程なので、前意識

的主体である自律前の子供にとってはなおさらでしょう。

 

 

 「甘え」の偽自律主体である母親は、子供を「甘やかす」ことによって、子

供に甘えるのですが、子供は扶養されている引け目から、母親の甘えを甘受し

て、「甘え」でこれに応えるのです。

 「わがまま」な親は、子供にあれこれと「世話を焼き」、自分の思い通りに

子供を扱おうとします。

  「不機嫌」な親は、子供のやることが「気に入らなければ」、子供をこき下

ろしてその成長の芽を摘み取ってしまいます。

 

 

  こうして自由損傷症候群はあたかも遺伝するかのように、親から子へと伝播

されていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

                      葛藤症状

 

 

                                         意志了解型 (強迫神経症)

 

 

 成人神経症は社会的に独立したパーソナリティとして自律しようとする葛藤

であるので、その「葛藤対象」は”存在観に於て自律していると認められる人

間”に絞られます。自律自由をしっかりと所有して揺るぎなく見える「他者の

圧力」と、対する「自己の損傷」に於て、自律葛藤が展開されます。

 但し、「葛藤症状」はこの対人間の〈圧力―損傷〉関係を象徴化して表現し

ます。

 

 

 

  下の参照座標の〈自由損傷症候群の自律葛藤の主体度〉 で、(+・+)

域の偽自律の幸福状態では決して自律葛藤は生じません。この域に住する自由

損傷主体は、偽力でそれぞれ自由拡張症候群に対抗できる力を備え持っていま

す。

  (+・+)域から転落して、怒りや呪いや惧(おそ)れの情官の中で、(+

・+)域に這いあがろうとして足掻いている情態が、それぞれの葛藤症状です。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-21.htm

         〈自由損傷症候群の自律葛藤の主体度〉

 

 

  「上位自律葛藤症状」は怒りの、「中位自律葛藤症状」は呪いの、「下位自

律葛藤症状」は惧れの、それぞれの情官態(感情と官能)そのものです。怒り

では、上の座標で偽自律している偽力(縦軸の度数)は減少していませんが、

他者の現実的圧力(横軸の度数)に出合って、知覚判断が”不良”を示して、

その偽自律の自由力が相対的に減少しています。この怒りの感情(意志)が、

自由損傷主体では上位自律葛藤として表現されます。

 

 

  下位自律葛藤では、いわゆる神経症の葛藤症状である「強迫神経症」や「ヒ

ステリー」の独特な症状は表面には見えていません。その葛藤症状は下の表の

ような「他者の力」に「したがう」もので、”自律しなければならないが、圧

力に抗しない無抵抗を晒すことによって、自律しなくともよい”という葛藤様

態を示すのです。

 

  

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-22.htm

            〈下位自律葛藤症状〉

 

 

  意志は定位と運動を分け持つことを、基礎編で述べました。メロディ主体の

日本の音楽は意志を定位する「感情型」です。リズム主体の黒人音楽は意志の

運動を示す「官能型」です。白人音楽はその中間型です。

 葛藤症状は「感情型」と「官能型」の分類の下に、存在の四領野に症状が出

現します。

 

 

 自由損傷症候群ではない主体が”自律している”ことは、他者の自由力に対

して、対等の力を発揮できることです。それは対抗であって、抵抗ではありま

せん。

 下位自律葛藤では、甘えの小児返りに於て偽自律が破れると、現実、あるい

は想念上の圧力他者に対して、“抵抗しなくともよい”自律葛藤状態に這入り

ます。“抵抗(自律)しなければならない”が“抵抗(自律)しなくともよい”

葛藤状態は、無抵抗、あるいは服従を示します。

 

                

 表の”したがう”は、それぞれ所有力や支配力に対して異なっている”した

がう”様態を示しています。感情型は存在(身体)定位図式の判断であり、意

志の姿勢を示し、「意志了解型」とも言います。官能型は身体運動図式の判断

に於て、意志の運動を示し、「運動表現型」とも言います。

 

 

 

 上の表は成人と小児に共通で、成人神経症では、感情型、つまり意志了解型

は強迫神経症と言われているものです。一方の官能型、つまり運動表現型はヒ

ステリーと言われています。

  以下、上位、中位の葛藤症状は、まず意志了解型の強迫神経症の四型を、そ

の後に運動表現型のヒステリーの四型を述べます。

 

 

 

 

 

   〔意志了解型(強迫神経症)・権力型〕

 

                            

 上位自律葛藤は、“自律しなければならないが、自律できない”に於て、

(+・−)域にあります。この葛藤状態に這入ると、その価値の自由度の

(+)によって、圧力他者に強力に“抵抗する”が、結局“抵抗できない”

状態となります。

 中位自律葛藤は、“自律したくない”に於て、(−・+)域にあり、その

葛藤状態は価値自由度が(−)であるので、抵抗しようとして“抵抗したく

ない”症状を示します。    

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-22.htm

            〈権力型〉

 

 

 意志了解型(強迫神経症)の〈権力型〉の葛藤症状は、上位葛藤、中位葛藤

とも〈対人恐怖〉と言われているものです。上の表の両葛藤症状は、この順で

互いにその症状を対応させています。

 

 

 「自己視線恐怖」は圧力に抵抗しようとして、視線を強くすることによって、

却ってこの視線が相手に嫌な思いをさせているのではないか、即ち圧力の昂進

を呼び起こすのではないかと危惧している状態です。自由拡張症候群のように

圧力に対して圧力をもってするのではなく、圧力に対して抵抗をもってするこ

とは、神経症では損傷をカバーしようとする意図であることを示します。

 

 

 圧力対圧力は、自律主体対自律主体を表わします。圧力対抵抗は自律主体対

自立主体を表わします。抵抗に成功しているのが、偽自律の主体度にある”癇

癪、不機嫌、わがまま、甘え”です。偽自律のこの(+・+)域の主体度とは、

実は「自立」の(+・+)域に過ぎないので、「自律」と「自立」のこのギャ

ップを埋めるために、”癇癪、不機嫌、わがまま、甘え”が発動されます。

 それは圧力を能動的に相手に与えるのではなく、相手からの圧力反作用とし

て繰り出されるのです。それが「抵抗」の意味するものです。抵抗は圧力に対

する劣等性を持っています。

 

 

 ”癇癪、不機嫌、わがまま、甘え”は「抵抗」に成功していますが、それ以

外の域に転落すると「抵抗」は破れます。つまり、虎の皮を被っていた偽自律

が、皮を剥ぎ取られて「自立でしかない」ことが相手に知られてしまったので

す。上、中、下位の「葛藤症状」は”偽自律をごまかせなくなった”者の「慌

て振り」を示しているのです。

 

 

 先には、葛藤症状は怒りや呪いの感情だと言いましたが、それに加えるに自

律と自立の間の生育史的ギャップ、即ち、成人と子供の間にある社会的時空の

較べるに足りない子供の側の劣等性の、この二重の感情に支配されているもの

が葛藤症状という症状になって顕れるのです。

 

 

 「表情恐怖」は、他者の圧力を前にして、“抵抗したくない”のに、“抵抗

しなければならない”自律葛藤命題に困惑して、引き攣(つ)ったその表情を

隠しきれないことを怖れます。自立状態にある彼の前に自律している他者が現

れます。彼は偽自律の(+・+)域で抗することができずに、(|・+)域に

転落します。この突然の転落は同時に、彼に自律葛藤命題に入らせるのです。

 自立状態の幸福から自分の意志に関係なく転落させられる、これが困惑でな

くてなんであるでしょう。

 

 

 表情恐怖はまず「呪い」の感情に浸され、それから劣等感が混淆するのです。

この二つの感情は当然、圧力を感じている相手に対して表出されます。

 表情恐怖の「恐怖」は、それらの感情を持つ表情を相手に悟られるのが怖い

という意味です。

 この中位自律葛藤は(−・+)の主体度にあり、その自由力の(−)は実質

的に圧力他者への抵抗不能性が先んじて覚悟されているのです。

 

    

 「美貌恐怖」、「美形恐怖」は、美貌や美形に力強さの欠乏を見て、力強い

容姿の他者の圧力に圧倒されることです。

 「醜貌恐怖」、「醜形恐怖」は、醜さが他者に不快を与えているのではない

かという危惧に於て恐れます。

 「会食恐怖」は、会食中に嘔吐してやはり他者に不快を与えるのではないか

という危惧を持ちます。

 

 

  これらの対人恐怖は、空間の始まりの自由の可能性に於ける、自由と無の拮

抗に揺れ動きます。空間が始まることは自由が開示されることです。自由の空

間が再び始まりに収束することは無となることです。

 この自由への展開力と無への収束の脈動は、真空と物質の間の可逆的相転移

に類比され、この空間を〈圧⇔真空〉状態と言うことができます。

 

 

 自由力の〈圧⇔真空〉の内空間が本能という外空間に及ぼす空間の歪みが、

根本情態性です。自由の可能性の葛藤現象の本態は、〈圧⇔真空〉に脈動する

自由が呼び起こすこの根本情態性への”おそれとおののき”なのです。

 

 

 下位自律葛藤の症状は先に見ましたが、具体的にどのように“したがう”の

かは、感情型、官能型の各表現型のそれぞれの上、中葛藤症状に読み取ること

ができます。    

 

 

 

 

    

   〔意志了解型(強迫神経症)・支配型〕       

            

 

 意志了解型(強迫神経症)の〈支配型〉の上位自律葛藤は〈場所恐怖〉、中

位自律葛藤は〈不完全恐怖〉と、それぞれカテゴライズされます。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-22.htm

            〈支配型〉

 

 

 上位自律葛藤の〈場所恐怖〉は、特定の場所に力の拘束を感じ、その力に打

ち克とうとするが果たせない症状です。「トンネル恐怖」、「人ゴミ恐怖」、

「独居恐怖」は、災害、パニックを想定して、逃げ出すことの不能に怯えます。

 「独居恐怖」では、部屋のドアを開けておく、あるいは誰か傍に居て貰うな

どの処置を講じたりします。

 

 

 「埋葬恐怖」は、完全に死んでいない状態で埋葬、火葬されることの怖れで

す。〈場所恐怖〉には空間的に圧殺されたり、閉じ込められて終末を迎えるの

ではないかという恐怖があるのです。

 「方位恐怖」や「地平線恐怖」や「高所恐怖」なども、そこに吸い込まれて

空間的に終焉してしまう恐怖を示します。

 

 

 〈不完全恐怖〉は、特定の行為に就いて完全に果たし得る力のない症状です。

従って、その行為空間をいつまで経っても終えることができなくなります。

 「嘘恐怖」や「不正確恐怖」は、嘘や不正確さが行為や仕事に混じっている

のではないかと危惧し、その仕事や行為をいつまでも終えることができなくな

ってしまいます。

 

 

 「放置恐怖」では電気、ガス等による火災に怯え、火災が発生しないことを

確認し続けねばなりません。こゝでは火災という圧力の前に、火災予防力とい

う自己の自由力に対する信頼が崩れ去っているのです。

 「開始恐怖」は物事を始めるに準備が足りない、整わないという自信のない

状態であり、いま居る開始準備空間が、来るべき”開始という空間”を怯えま

す。言い換えれば、”開始の空間”がいつまで経っても始まらないのです。開

始空間は他者の圧力であり、準備空間は自力の損傷を表わしています。

 「終止恐怖」も同じであり、終止するには未だ不十分であるということ、即

ち、終了空間の圧力の前に終える力のない状態です。

 

 

 

 

 

   〔意志了解型(強迫神経症)・翻弄型〕       

            

 

 〈翻弄型〉の上位自律葛藤は、〈強迫観念〉、あるいは〈衝動恐怖〉と言わ

れるものです。自己の観念に翻弄され、その力によって自己の意志が拘束され

ることへの恐れです。 

 「電車に飛び込みたくなる」、「刃物で人を殺したくなる」、「重要な文書

を燃やしたくなる」、あるいは「不貞を犯すのではないか」、「人を不孝にし

てしまうのではないか」、「精子を撒き散らして女性を妊娠させるのではない

か」、という自己の衝動を怖れます。

 この衝動は拘束された意志であり、“人を殺したくなる”衝動は、“殺人さ

せられる”強要であり、圧力(させられる他圧)に他ならないものです。

 

 

 中位自律葛藤は〈雑念恐怖〉、〈瑣事恐怖〉です。「回想恐怖」は過去の失

敗や圧力に抗することのできなかったことを回想して、それがまた抵抗できな

い圧力となります。

 こうした”過去への時間の溯り”、また”現在の時間の開かれ”への怖れは、

恰も湧き出してくる時間を数えるように雑念を湧出させ、日常生活に支障を来

す程にもなるのです。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-22.htm

            〈翻弄型〉

 

 

  こゝでは時間の始まりの自由と無の運動が、混沌を呼び起こすものとして恐

怖されます。時間の溯りは無であり、時間の開かれは自由の湧出です。存在の

時間が、無と自由に脈動して“始まり”の瞬間を告げるとき、根本情態性が開

示されます。

 

 

 

 

 

   〔意志了解型(強迫神経症)・所有型〕     

              

 

 〈所有型〉の上位自律葛藤は〈終末恐怖〉です。〈支配型〉の〈場所恐怖〉

には空間的な死の恐怖、正確には死の絶望がありましたが、こゝでは時間的な

死の恐怖があります。

 「虹」や「オーロラ」は地球終末の予兆として受け取ります。「睡眠恐怖」

は眠るとそのまゝ死んでしまうのではないかと怖れます。

 

   

 中位自律葛藤は〈疾病恐怖〉、あるいは〈心気症〉と言われます。「空気恐

怖」は、汚れた空気という圧力に、汚されていく自分の肺という損傷が対置さ

れます。

 「埃恐怖」も同じですが、現在の地球環境汚染の代表であるダイオキシン、

農薬、種々の殺虫剤、花粉症の原因でもある排ガスへの恐怖は異なります。こ

れらは自由損傷症候群を含む自己主体性の、生命に対する暴挙という倫理的な

恐怖と怒りなのです。

 もっともこの正当な感情に混じって、自由損傷主体では〈疾病恐怖〉として

の「空気恐怖」が起こり得ます。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-22.htm

            〈所有型〉

 

 

 

 

 

          以下略(目次のみ)

 

 

 

                 運動表現型(ヒステリー)  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

主体性崩壊  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                 中位葛藤主体の通常崩壊  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

                    上位葛藤主体の深崩壊  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

 

    治療編

 

        自由損傷症候群の治療  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

 

 

 

 

    了

 

 

 

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