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               そううつ病、精神分裂病 第一回入門講座 

                          病理編  2
             
  週2〜3回配信   1998.08.15.    通しNo.6       読者数 166 人

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          目次         1  主体存在の存在の時空の偏重
                       2  精神神経症と精神病発病時精神神経症

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                   注:項2のみ。







                精神神経症と精神病発病時精神神経症


 先号でも述べた内容を、ここで少し補強しておきます。


 単症の精神神経症では、「パニック障害」と並んで、世界的に、またとくに
我が国に「不安神経症」と名付けられているものが多いようです。都市に人間
が蝟集(いしゅう)した状態は、まさに集団の本能の時空が突出しています。
日常を家族の身の回りの世話に追われる主婦のその外出時不安状態は、それを
表わして余りあります。


 先進国の社会は資本主義の潤滑油で動いている人間の集団で成り立っていま
す。曲がりなりにも家族の愛に暖まっている主婦がこの社会集団に適応しよう
として、仮想主体性の自律発作を引き起こすのですが、もちろん集団適応の
「不安」は発作の最初のきっかけで、彼女の心は不安だけで領されるのではな
く、存在の四時空のすべての根本情態性に捕縛されるのです。「不安」の中に
「恐怖」も「絶望」も「混沌」もにじみ出ているはずです。


 人間は他の生物に較べて家族との永い関係をもちます。人が生育された基部
はほとんど家族によって影響を受けたものですが、だからといって、存在の空
間の終わりの、「愛」や「絶望」の心のみが、突出して育成されるわけではな
く、『扶養者の態度は、権力的でもあり、所有的でもあり、翻弄的でもありす
る』わけです。 


 もし扶養者の養育態度が『翻弄的』であったならば、呼吸促迫や呼吸困難な
どの呼吸器に関する症状、また声帯や排尿器官の症状などの、「休息の本能」
の領野に関する根本情態性反応(自律神経症状)が顕著に出現するでしょう。


 『不安『はその他の根本情態性に先んずる、きっかけに過ぎないのですが、
しかし、不安が先んずるということは、私達の生活する都市が先述のようであ
るからです。加えて、我が国の場合は、主語が曖昧であるといわれるように、
自己が集団の中に散じているという事情があります。
 ”自然に従う”ことが我が国民の伝統ですが、この”自然”は昔は本当の自
然を指していたことは間違いありません。しかしながら、都市から自然が次第
に駆逐されていき、ほとんどまったく無くなったにも拘わらず、”本能を育ん
でくれた自然に従う”という美風のみが残りました。


 しかし、周囲を見渡しても、野生の意義を汲む”自(おの)ずから然らしめ
る”自然は、何処に見いだせるでしょうか? 何処にもありません。振り上げ
た手は必ず下ろさねばならないのは自然の道理です。”自然に従う”心を何処
かに下ろすことが必要です。それが集団の中に下ろされたのです。
 日本人の”集団に従う”「集団主義」は、”自然に従う”心が換骨奪胎され
た結果だったのです。私達日本人(もちろん日本人だけではありませんが)は
見事なトリックを巧みになせる国民です。



 成人精神病は仮想主体性の自律葛藤による精神神経症によって崩壊に至るの
ではなく、自律を断念することによる摂理価値の放棄が崩壊原因となります。
精神病の発病時精神神経症は、摂理価値そのものが仮想主体性から脱落するこ
とを食い止める為に、その無意識的内観を意識的内観へと強化する試みです。



 不安神経症、またすべての自由損傷症候群の主体性崩壊は、その意志発動様
式に拘わらず主観のアイデンティティとすべき理念の擁立の失敗を契機としま
す。自由損傷症候群では「主体的関心」は自律にあるが、精神病の神経症では、
関心は『本能の救済』にあるのです。         



  精神病は”愛されない”という切実なアイデンティティの危機を乗り超えよ
うとして、社会にその範、方向付けを得られずに、孤立無援の状態で発病に至
るのです。