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                    そううつ病、精神分裂病 第一回入門講座 

                                   病理編  1
             
      週2〜3回配信   1998.08.13.    通しNo.5       読者数 168 人

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           目次         1  仮想主体性と精神神経症
                          2  発病  
                                        
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     以下はこの号の 〔1  仮想主体性〕〔2  精神神経症、及び発病〕  
     の表題を改めたものです。
   〔1  仮想主体性と精神神経症〕は縮小しています。     
                             
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                           仮想主体性と精神神経症



⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-5.htm}
                     〈主体性の様態と疾患〉



 摂理主体性の精神疾患は「価値不全症候群」と呼ばれ、「心身症」、「行動
精神病」、それにこの講座の「精神病」の3症候群を指します。価値不全の
「価値」は「本能価値」の意味です。
  行動精神病は、過食や多飲、家出放浪、愛欲への溺れ、煙草や酒や麻薬の中
毒をいいます。「性倒錯」などの「複合症候群」にも行動精神病が複合されて
います。


  「摂理主体性」は意識的、また無意識的な『精神主体性価値』、即ち”感謝、
愛、善、美”の心を持っていることです。摂理主体性のうち、意識的な主体性
は、自立、または自律している「精神主体性」のことです。無意識的な主体性
は、自立、または自律できていない主体性で、これを「無意識的精神主体性」
と呼びます。
 自立している幼児は精神主体性ですが、自立はもっぱら身体の所有に関して
おり、彼に精神理念を与えるのは扶養者です。従って、第二反抗期以前の精神
主体性は、本人と扶養者との二人三脚で走っています。


 「自由損傷症候群」は、強迫神経症やヒステリーの名で知られている神経症
の新しい疾患名です。「てんかん」は成人の患者であっても、生育史上の「先
主体」の発達期に固着して発症に至るので、先主体の別名である「仮設主体」
に由来して「仮設自由損傷症候群」と呼ばれます。
 この二つの自由損傷症候群は、いずれも主体性が本来持つべき「自由量」が
不足していることによる疾患です。


 自由損傷症候群は、その主体的価値によって二つの疾患群に分けられます。
自己主体性価値を巡る「通常神経症」と、精神主体性価値の自由が不足する
「精神神経症」です。どちらも強迫神経症とヒステリーの症状を持ちますが、
精神神経症の方には「かんしゃく、不機嫌、我侭(わがまま)、甘え」という
自立(自律)葛藤に関する人格変異はありません。


 もしそういう人格があるならば、明きらかに精神価値に矛盾しており、精神
価値に関する神経症ではありません。
  精神神経症の病名は、戦争や災害、事故などの物理的心的外傷を契機とする
外傷神経症に対立する精神因性の神経症に付けられたものですが、外傷は発病
の契機ではあるが、疾患素質(本態因)は精神因が形成しています。従って、
この区分は解消して差し支えないでしょう。


 通常神経症、及び精神神経症の両者が目指している自立(自律)した主体性
は、自立(自律)できない現状では仮想的な主体性ですが、通常神経症では、
この仮想的な主体性は社会に範があるので、真に仮想的とは言えず、もっぱら
精神神経症でのものを「仮想主体性」と呼びます。


  仮想主体性は通常神経症が自立(自律)の範としている、資本主義社会の模
範的な社会人ではなく、資本主義社会には決して容れられない精神主体性を指
しています。『全体調和』という理念を持つ人間は、”故郷に錦を飾る”人間
とはまったく正反対の極に位置します。”社会的に成功する”というパフォー
マンスとはまったく無縁な人間が、「精神主体存在」です。


  価値不全症候群もまた精神神経症と同じく仮想主体性を持っています。仮想
主体性を持つ人間は、社会的に生活する限りは何らかの仮想的でない主体性に
於て、自立(自律)乃至は偽自立(偽自律)していなければなりません。偽自
立(偽自律)は先に挙げた神経症の人格様態のことです。つまり、彼らは仮想
主体性である一方、自由拡張症候群か、あるいは自由拡張症候群の偽自立(偽
自律)である通常神経症という「自己主体存在」なのです。
 


  言い換えれば、仮想主体性は自己主体存在が内密に持つことがある摂理主体
性のことで、第一講での「てんかん」等の仮設自由損傷症候群が、本能と主体
性の二重存在性を持っていたことと同様に、価値不全症候群と精神神経症でも
この二重存在性がその疾患の本態を為しています。



  精神神経症は単独の疾患ですが、価値不全症候群との並症はあります。更に
そのうちの精神病では発病に至る際にかならず出現します。これは精神病が摂
理価値(精神主体価値)に於ける自立(自律)を賭けるような瀬戸際の存在度
にあるからです。
  下の参照座標で、精神病は本能価値(仮想主体性)での生存が(−・−)域
に追い詰められていることがわかります。

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-6.htm}
                     〈価値不全症候群の各存在度〉








                                  発病




  『精神神経症』は仮想主体性の自由損傷症候群です。「精神病」の発病は先
述のように、仮想主体性の自立(自律)を図ることでなされます。精神病発病
直前に、罹患度の深い精神神経症が発症します。
 自立に関するのは小児精神病で、自律は成人精神病に関しています。小児と
成人の発病病理はまったく同じですが、その症状病理はまったく異なるのです。


 小児精神病である自閉症が成人分裂病と同じ精神因性の発症原理を持つこと
を、間接的に主張する方も少数ながら存在しますが、いまもって器質的な疾患
であるとの見方が大勢を占めています。
 同じことは、そううつ病と分裂病がまったく同じカテゴリーとして扱われて
いないこと、また精神因性の「特定」がないことは、精神神経症のみならず、
神経症一般についても同等で、器質的要因の疑いを引きずり、しかも自律神経
症状の強い神経症症状をパニック障害などと名付け、遺伝や器質的原因を振り
回している現状が、現代の精神医学の水準なのです。



 パニック障害は我が国だけで300万人の患者があるという推計もあります
が、痴呆症と同期して浮上してきたこの障害は、自然を駆逐した物質文明の必
然的な申し子なのです。



  「パニック障害」は精神神経症をほぼ本態とする、その「根本情態性反応」
です。身体各部の痛みや痙攣、眩暈、動悸、失神、呼吸促迫、呼吸困難などが
その症状ですが、このメカニズムは「上位の自立(自律)葛藤」に失敗して、
主体が”無”となり、その葛藤時に強く主体に所有されようとした本能が根本
情態性を発動することによるのです。この状態を「根本情態性捕縛」と呼びま
す。症状の分析は小児神経症の入門講座で行うことになります。


  私達、世界の1割を占める先進諸国の豊かな物質文明は、自律の課題を遠く
に押し遣りました。ひと昔前には、自由損傷症候群の主体性の「深崩壊」症状
が多々みられましたが、現代ではほとんど鳴りを潜めました。代わりに精神神
経症の仮想主体性がその代償として根本情態性反応を被(こうむ)り出したの
です。


  仮想主体性は傍らに自己主体性を持っています。先進国に於ては、自己主体
性は上に見たように自律の課題をこなすのに非熱心です。仮想主体性もまたこ
れに倣ってなんの不思議もありません。

      ∴深崩壊:主観が壊滅して主体性が崩壊する現象。てんかん発作はこの
                崩壊現象。


  しかし、一方では爛熟する物質文明は自然を置き忘れ、抛擲(ほうてき)し、
あげくの果ては破壊するに至っています。仮想主体性の故郷である自然をなん
とかしなければならないのは人情です。仮想主体性は自律を強く要求されてい
ながらも、傍らの自己主体性はこの足を引っ張るのです。


 こういう理由で深崩壊は無くなり、「中位、下位の自律葛藤」による通常崩
壊と上位葛藤の根本情態性反応が、先進国の主要な葛藤症状となっているわけで
す。
  自律葛藤の上中下位の分析などは後に成人神経症、及び小児神経症の講座で
詳しく展開されます。



 成人精神病に於て、発病時に出現する精神神経症では主体性の深崩壊は決し
て起こることはありません。これは精神病の課題が自律そのものにあるのでは
なく、傍らに持つ自己主体性との対決にあるからです。
  成人精神病でのこの対決は本能の摂理価値が放棄されることで決着をみます。



 既に、対決に入った段階で、うちなる自己主体性は仮想主体性に敵対するも
のと見なされるに至っています。”世界と自己との闘いに於ては、世界に味方
せよ”と言ったのは実存主義文学の祖、カフカでした。彼が仮想主体性に味方
するのもまったく同じ理由であったのです。このことはいままでに述べてきた
ように、環境世界が「本質」であり、各存在はこの本質を恒存調和に導く「機
能」であることの敷衍(ふえん)なのです。


   ∴実存主義:実存は現実存在のことで、生きている人間から、即ち現実
          の状況から世界を捉え直そうとする態度です。つまり、枠組み(通
          念、常識)をすべて取っ払って、実際の存在から再出発して、世界
          を如実に観、そして在るべき理想の世界に到達しようとすることで
          す。
          ”真に人間的な新しい世界を創造する為には、現実のいかなる些細
          なものごとをも取り落としてはならない”、ということが実存主義
          に課せられた命題(作業方法、作業手順=意訳)です。



  彼はうちなる自己主体性に対決して摂理価値を称揚しようと、仮想主体性の
自律の作業にはいります。
 具体的には彼は、うちなる自己主体性と共通の”社会、また扶養者”に対し
て摂理価値の有効性を試みるのです。しかし、彼らの必死の抵抗の前に、彼は
彼の自己主体性を打ち倒すことを躊躇(ためら)うのです。



 仮想主体性の摂理価値は愛であり、感謝です。彼は「自己主体性価値体系に
反逆することは、彼らを愛さないことになるのか」、という設問を抱いて進退
を決することができなくなります。もし彼が、「資本主義的自由の生活には愛
が死に絶えている」ことを、彼らに教えることが、反逆でないのみならず、愛
の業であることの確心が湧いてくるならば、彼は主体性崩壊の危機を脱するで
しょう。



 しかし、結局彼は、自己主体存在の価値体系のゴリ押しの前に弱さを晒け出
し、仮想的主体性の神経症、即ち、精神神経症に陥っていくのです。この弱さ
の力動は、「反逆」が「自責」へと内屈することです。仮想的神経症は通常神
経症のように自由拡張という形而下的な現実的姿を持たないので、「甘え」や
「かんしゃく」などの偽自律主体を持つことはなく、むしろ彼はその反対する
方向へとよろめいていくことになります。


 その『よろめいた足取り』は、理不尽にも自己に内在する愛を手に掛けねば
ならぬかも知れない自己への信じ難さを抱いています。そして彼はその信じ難
いことを為すことになるのです。仮想的神経症は、この自虐行為を最後にして
その現象を終えます。
 と同時に、彼の主体性は崩壊の中へと入っていくのです。 


      ∴「主体性の通常崩壊」については、下の Web Page を参照してください。
        「離人症」についても書かれています。これは前講の「てんかん」の
    講座内容です。
        「深崩壊」については成人神経症で参照頁を準備します。
        「通常崩壊像」の詳しい分析は、成人精神病の症状病理として、
    次回配信以後、続けられます。

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-7.htm} 
                     〈通常崩壊〉