個別原理編は、受講者を前にした講座の体裁を取っている。

 

 

 

  【第二部・個別原理】  

 

 

    T 仮設自由損傷症候群

 

          ――てんかん、脱力睡眠発作、幼児共生精神病――

 

       病理編

 

  1 仮設自由損傷症候群の病態

 

                   先主体性

 

 

  赤ん坊は生後3ヶ月から8ヶ月にかけて母子共生期という生育段階を経過し

ます。

 

 

⇒{参考資料1}<自己主体性の理想生育史>

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-15.htm

            <自由の行動から見た生育史>

 

 
                      〈自由の行動から見た生育史〉
 
┌─────┬─────────────────────────────┐      
│主観体    │主観は生成しているが、身体は未だ所有できない。                 
│     │自由は概念に留まり、自由意志による行為はなせない。              
├─────┼─────────────────────────────┤      
│先主体    │身体を半分だけ所有している。自由意志による行動を行なえる。│      
├─────┼─────────────────────────────┤      
│原主体    │身体を全量所有しているが、その身体的自由は社会的規則に         
│     │従わせることなく自己一極性の自由を謳歌する。                   
│     │これに対応して扶養者の躾(しつけ)が行なわれる。《原自由》│      
├─────┼─────────────────────────────┤      
│前意識的  │第一反抗期を経過して、躾が内面化される。立ち居振る舞いを │      
│主体   │他の存在に対して配慮する身体的自由となる。                      
│     │その存在観は身体的社会の自由の多極性(多くの他者存在)          
│     │の中に自己存在の身体的自由を確保することである。               
│     │前意識は即物性、唯物性の世界である。          《自立自由》│      
├─────┼─────────────────────────────┤      
│意識的主体│第二反抗期の自律は観念的、形而上的理念を獲得する。              
│     │身辺の外に想像しうる人類社会が射程に捉えられる。                
│     │その存在観は人格的社会となり、例えば故郷に錦を飾る              
│     │というような”成功”が価値観となる。          《自律自由》│      
└─────┴─────────────────────────────┘      
 
      ∴躾:”身が美しい”という原主体性の生育史的立場にぴったりの、
       よく考えられた文字である。
    ∴先主体期は生後3ヶ月から8ヶ月で、最近の研究*では生後7ヶ月までに
    昼間の睡眠が激減することが分かっている。
    また原主体期は生後4年までであるが、生後3年で睡眠覚醒のリズムが
    出来上がる。
      *「生後7年間の睡眠覚醒リズムの変動経過」 黒田 稔
 
 

 

 生命ある存在はすべて生まれ落ちた瞬間から本能が働きます。存在観のうち

価値観である本能は生得的に持って生まれてきます。しかし、本能を誘導する

認識力は、世界観を母体の中に居るときから徐々に獲得していかねばなりませ

ん。動物(個体的存在)の認識力は認識我観と自由我観で構成されることによ

って、本能を誘導するということが可能になります。

 

 

 動物の個体的自由はこの本能意志を誘導して、その生きる目的が環境世界に

もっとも適切に達成されるよう取り計らうためにあります。個体的自由と言わ

れるときは自由我観のことを主として指します。自由我観は環境世界に対する

”わたし”の位置を理解する能力です。生後3ヶ月といえば、まだ母乳と平行

して与えられる離乳食の開始まで2〜3ヶ月あるのですが、早くもここで自我

が生じます。

 

 

 しかし、生まれ落ちてすぐに立ち上がる草食動物に較べれば、なんとも遅い

発達といえます。それだけ認識に関する広く複雑な脳構造を持っている証でし

ょう。もちろん3ヶ月で一人立ちできる認識能力を獲得したのではなく、授乳

期に於ける、当面の環境世界と自己との関係が把握されたということです。

 

 

 人間は本質的に動物であるので、この個体的自由を獲得するために生後3ヶ

月まで専念します。動物的な”わたし”(自我意識)が主体的な自己意識に先

行して獲得されます。しかし、認識、及び自由我観の発達と平行して、主観も

同時に発達していきます。赤ん坊は母体の中に居るときから既に言葉を習って

います。

 

 

 本能の認識を司る右脳の認識力は、機械の端末に座って操作している人間に

たとえられます。人間に対して機械の方は左脳の認識力に相当します。機械は

人間の保守点検と操作を必要としますが、左脳は最終的に右脳の認識力に依存

して、そこではじめて認識されたものの現実的実行が可能となるのです。

 

 

  我観の能力がなければ主観は砂上の楼閣のごとくになるでしょう。この時期、

我観優位に働きながら、主観もやはり母子共生期の始まる生後三ヶ月頃には既

に保有されることになります。しかし、この時点では主体性としては主観、す

なわち自由の概念が獲得されただけで、主体的な意志はまだ保有されていませ

ん。

 

 

 ついで赤ん坊は生後三ヶ月から八ヶ月までの母子共生期の段階にはいります。

観察していればよくわかりますが、赤ん坊は母親に抱かれて密着するようにし

がみついています。この状態はゴリラやチンパンジーなどより下等の日本猿に

もみられます。日本猿にも準主体性が認められる証明です。下等というのはこ

こでは人と遺伝的により離れているという意味です。

 

 

  母子共生期は、生得的に持っていた本能意志に対して主体意志が成長してき

て、本能意志を圧迫する時期にあたります。それで、この時期を分立二義期と

いい、主観がその身体を所有支配し出すという意味で、身体所有習練期ともい

います。

 

 

  主体性や準主体性があると認識力はより複雑な世界観を築かねばならないし、

その主体的自由は常に根本情態性に晒されなければならないので、共生期の共

生状態はもっと下等の生物に較べて強いものとなります。

 

 

 生後8ヶ月頃に母子分離期を迎えますが、2歳過ぎまでを共生後期として扱

います。第一反抗期は早ければ3才頃にははじまりますが、8ヶ月から4才ま

でを習練期に対して、身体所有習熟期とします。

  この時期に身体の所有に失敗すると、小児神経症に罹患することになります。

 

 

 

  3〜8ヶ月の母子共生期が、この講座で扱う疾病群の病因期です。社会的な

行動理念を自分自身で持ち得る第二反抗期以後を意識的主体性と呼びますが、

この時期は先主体性と呼び、主体性の感触はしっかりと持っていますが、本能

の意志と身体を分割している状態です。もちろん自前の対社会的行動理念を発

動することなどできません。

 

 

 

  先主体性は本能と身体を二分しており、主体性をまだ身体に仮設している段

階という意味で、仮設主体性とも呼ばれます。生後8ヶ月目の主体的な母子分

離期を目指しているこの時期に、その生育環境が彼の本能を愛でる方向に向か

うと、その主体性の発達におおきなプレッシャーがかかることになります。

てんかん、脱力睡眠発作、幼児共生精神病は、この主体的な発達の前に立ち塞

がるこの過剰本能状態に原因します。

 

 

 

 

 

 

                                       過剰本能状態

 

 

  患者は既に母体の中に居るときから言語的環境にあるので、いわば主体性は、

主観を獲得することにはじまり自然に発達してきましたが、ここに於てその発

達を阻害することがらが生じたわけです。本能を愛でる過剰本能状態とは、も

う既にみなさんよくご存知の、存在度の座標の(+・+)域の満足(調和)の

持続的な状態のことです。

 

 

 通常、養育者は赤ん坊がかわいいものです。しかし、生計の算段もあり、と

きにはその息抜きの必要もあり、家屋の内外も隣近所の手前もあって文化的な

手入れもせねばなりません。赤ん坊もその辺りを察知してか知らずか、放置さ

れていることを知って泣き叫びはするものの、養育者にも都合があることを徐

々に悟って、理解を示すものです?!

 

 

  この理解は、存在度の座標の(+・+)域以外の存在状態の我慢を知ること

です。不快や不調和に耐える心がこれで養われるわけです。もちろん最終的に

は養育者によっていつも保護されるというこの安心感があればこそであり、安

心感のないところに泣き叫びも生じません。愛なき放置は泣くことを知らない

小児行動精神病に至らしめます。

 

 

  過剰本能状態はこの愛なき放置と対照されます。至れり尽くせりの世話が四

六時中なされるペットの犬を、みなさんご存じだと思います。これらのペット

は買い物に行くときも抱かれています。実は、この状態に置かれたペットにも

この病理編で扱う疾病のひとつに罹患することがあるのです。犬は日本猿など

の霊長類には及ばないながらも準主体性といえるものがかなり発達しています。

猫はお手を覚えませんが、犬は違います。猫ではなく、犬を飼う目的のひとつ

は、この発達した準主体性との交流を楽しむためです。たいてい飼い主は、人

間との交流に失望した状態にあります。

 

 

 

  この講座は、いままで誰も明きらかにし得なかった真実をみなさんに勉強し

て頂くために為されます。更に私の最終目的はこの真実に照らして、精神の疾

患に苦しむ方々を真の治療に導くことにあります。患者の方々、及びまたその

養育者の方々にはつらい真実であることがままありますが、それを乗り越えれ

ば、疾患と闘って消耗する人生の外にあるほんとう闘いの人生が打ち拓けます。

 

 

 

 その闘いが意気に感じるものこそほんとうの闘いでしょう。その闘いとは自

己一人のための闘いではなく、世界のために、そして世界を相手にする闘いな

のです。愛なき世界に愛をそそぎ込むという、これほどの大きな愛を手中にで

きるのです。薬よりもなによりも、この自分の中から迸(ほとばし)り出る愛

こそがあなた自身に対しても最高の治療薬となるものです。

 

 

 

  過剰本能状態はまさに先のペットのように、至れり尽くせりの養育の状態で

す。この養育状態にある乳児は、言い換えれば、根本情態性を経験しない状態に

あるということができます。根本情態性といい、過剰本能状態といい、これら

のことは本能の意志の状態のことです。存在は意志と認識力のこの二つで構成

される存在観によって生きるわけですが、過剰本能状態は意志に影響を与える

ほかに、認識力の方にも大きな影響を与えます。

 

 

 

  常時、保護状態にある乳児のうち、買い物にも抱かれて行き、自分で歩くこ

ともしない先のペットように(+・+)域を過剰に配慮されれば、過剰調和の

状態にあります。同じ保護状態にあっても、(+・+)域の調和を配慮するの

ではなく、(−・−)域の根本情態性を過剰に排除される乳児があります。

 

 

 前者はほぼ不安や絶望の根本情態性とは無縁な状態にあり、後者は根本情態

性が養育者によって排除されるとはいえ、調和域そのものを配慮されるのでは

ないので、根本情態性とは顔馴染みがあります。

 

 

  前者の過剰調和状態で育てられた乳児は、いわば(+・+)域に押し込めら

れ、存在度の座標の他の3領域へは出入りが許されない状態にあります。

(+・+)域しか知らないわけです。しかし、後者は(+・+)域に居ること

を押しつけられているのではなく、また扶養者が根本情態性を積極的に排除し

てくれるとはいえ、存在度の座標の残された3領域は自由に出入りしています。

(+・−)域と(−・+)域はともに根本情態性の浸潤を受けています。

 

 

 

 座標の縦軸は意志の自由度(調和・不調和=感情、親近・疎遠=官能)を表

しますが、根本情態性はこの縦軸の尺度で決定されるのではなく、前にも述べ

たように、知感覚判断を含む広義の意志のことです。通常、調和というときも

座標の縦軸の先端のことではなく、(+・+)域のことです。

 

 

 

  認識力は意志を誘導する力です。生物の目的は(+・+)域の調和に至るこ

とです。根本情態性にあるとき、蚊が出て来ると蚊取り線香を焚くというよう

に、生物はその認識力を働かせて外界に対して行動します。後者の環境にある

乳児はこのように認識力の発達が阻害されませんが、前者の乳児は根本情態性

から遮断されているために、この認識力の発達が阻害されます。

 

 

  この前者は第一反抗期に幼児共生精神病、第二反抗期を契機として脱力睡眠

発作に罹患することになります。後者はやはり両契機に、てんかんに罹患する

ことになります。前者を個体神経症、後者を摂理神経症と呼びます。

 

 

 

 

上の個体神経症、摂理神経症 の名称について、

 

個体神経症を、 根本情態性遮断神経症 or 認識不全症候群

 

    摂理神経症を、 根本情態性親和神経症 or 意志不全症候群

 

に変更します。

 

 

 

 

 

    幼児共生精神病

 

 

 個体神経症と摂理神経症は過剰本能状態という同じ病因を持ちますが、前者

は更に認識力の未発達を病因に加えます。認識力の未発達は個体、及び主体の

自由を毀損(きそん)します。つまり、認識能力はある程度発達していて、自

由我観と自由主観は定立されていますが、世界観を形成して行動の自由を確保

するだけの認識力を持っていません。

 

 

 第一反抗期は自分の身体を自分の意志で自由に扱うことを目的とします。こ

の時期に表われる一次性徴は、体の4つの器官(口腔、肛門、尿道、陰茎と陰

核)の良・快刺激を行なって、自分の身体を、主観、また我観が自由にしよう

とすることです。

 

 

  下の参照図は、人間の主観が本能身体を所有して、主体意志を実行に移す様

子を表わしますが、認識主観、自由主観、自由の概念、主体統覚の4つを消せ

ばそのまま、個体存在(人間以外の動物)の場合の、認識我観と自由我観が意

志に対して個体的自由を実行している図式となります。人間の場合は、第一反

抗期は身体を所有支配する自由の確立のためになされますが、動物の場合は、

単に身体を認識力で誘導する方法の確立といえるでしょう。

 

 

⇒{参考資料1}<主体の本能所有=その主体意志組み込み経路>

⇒{参考資料1}<存在運動発動機序>

 

 

 

 知感覚誘導路として示されている経路の4つの器官は、口腔が食=所有の意

志に、肛門が愛=支配の意志に、尿道が休息=翻弄の意志に、陰茎と陰核が集

団=権力の意志に、それぞれ結合します。

 

 

 

 この4つの器官の良・快刺激を一次性徴と呼ぶには無理があります。一次性

徴は第二反抗期での二次性徴のように身体的変調や特徴が生じるのではありま

せん。第一反抗期は第二反抗期の社会的自律に対して、身体的自立を行なうの

ですが、この自立は当面の世界観を知感覚誘導路を通して身体へ組み込むこと

です。質量のある身体は意志であり、意志は広義には知感覚も含まれています。

 

 

 世界観というのは、認識されるすべてのことで、現実に見えている行動して

いる対象世界と、見て行動している現在の自分を認識し、その認識を蓄積した

もの、そしてそこから予想される未来の認識のすべてです。認識力は身体質量

としては脳神経を意志統覚と分かち持っていますが、脳神経を入れる器官とし

ての身体(骨、筋肉、内蔵等)は持っていません。

 

 

 参照図で、統覚図式というのは本能統覚(意志統覚)の存在運動を受け

て、認識力がこれを図式化したものです。認識力は思考するための最初の図式

を統覚から、つまり、情官と知感覚から得るのです。意志統覚は質量ある身体

であり、また価値そのものといってもよいでしょう。価値観はこの価値(身体

=情官+知感覚)の存在運動を認識力が図式化した統覚図式のことです。

 

 

 世界観と価値観の総合である存在観も認識力が図式で認識します。存在観は

認識力の中にあるのですが、これをもって認識力が存在の最終的な指令を出す

統率力と考えてはなりません。存在は意志統覚(質量のある身体)の本能的直

覚的な運動が何よりも先んじてあり、これを効率的、合理的に誘導することが

認識力の補助的役割なのです。

 

 

 第一反抗期は認識力の身体誘導の完成期だといえるでしょう。従って、身体

的な生長としての一次性徴という解釈は正しくなく、”知感覚誘導”と呼べば

よいでしょう。更に第二反抗期は、第一反抗期の自己身体と身近な環境世界と

の関係を踏まえて、存在の義務に踏み込むときで、その二次性徴(声変わりや

乳房の膨らみなど)といわれるものは、義務を負うに足る身体の”生長の完成”

と呼ぶべきでしょう。

  反抗期という表現は主体性の場合だけに妥当で、動物の場合は単に第一反抗

期を自立、第二反抗期を自律と呼びます。

 

 

 

  個体神経症では身体的に自立する力が弱いので、第一反抗期の自立期になっ

ても、生後3〜8ヶ月目の母子共生が続いていきます。しかし、この自立期段

階での異常な共生は寄生という方が正確でしょう。”一人立ちできない”ので

すから。

 

 

 

  しかし、”一人立ちできない”という言い方は主観や我観の認識力の方から

いわれるのであり、本能の意志は調和の中に安住していて、”一人立ち(自立)

してはならない”という命題(存在観=生存方法:意訳)を持っています。

 

 

 

  この疾病は犬、猫、牛、馬などのペットや家畜も罹患します。しかし、現在

のところでは、報告のあるのは自律期個体神経症である脱力睡眠発作だけで、

自立期個体神経症である幼児共生精神病に罹患したペットの報告を私は知りま

せん。

 

 

  この疾病の一次病因は過剰本能状態で、認識力の未熟は二次病因です。一次、

二次の病因とも主体性を持つか否かを問いません。それは個体性であれば罹患

するので、個体神経症と名付けたのです。おそらく報告がないだけだと思われ

ます。しかし、主体性を身体に仮設させている人間では主体性側が発作(次の

項で述べる症状)の契機をつくることはあります。

 

 

  ここに挙げた動物らは程度の差があれ準主体性を持っています。これらの動

物の人間に飼われる条件はこの主体的な人間からの呼びかけにある程度応えら

れる準主体性で、これより下等であれば、言葉掛けに応ずることはできず、左

脳は略図言葉を持つだけの個体的存在になります。鳥類、ハ虫類、両生類、魚

類、昆虫などは従って、自我は準主観に呼応せずともよく、GOING MY WAY

可能でしょう。

  そうすると、個体神経症に罹患する条件は準主体性、あるいは主体性を持つ

ことです。その理由は、この号のヘッダーで先号に加筆した下の3行にありま

す。

 

 

  主体性や準主体性があると認識力はより複雑な世界観を築かねばならないし、

その主体的自由は常に根本情態性に晒されなければならないので、共生期の共

生状態はもっと下等の生物に較べて強いものとなります。

 

 

 

  主観はその自由の主張によって、本能を抑圧しています。調和の(+・+)

域の過剰供給状態にあると、本能的な生存環境での(−・−)域に対する過敏

からの根本情態性発動と、自分の中に持つ主観からの圧迫による根本情態性発

動の、二重のストレスに晒されることになります。

 

 

 

  しかし、準主体性では主体的自由に較べるとはるかにその自由量は小さいの

で、発作の契機とはならないでしょう。しかし、先に述べたように準主体性が

あるために飼い主との病的な共生状態に陥りやすいといえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

                                    幼児共生精神病の症状

 

 

  幼児共生精神病の症状は根本情態性に侵襲されたときに認識力の不全に陥っ

て、パニックになり、扶養者にしがみつくという単純なものです。重い場合は

一時も扶養者の抱擁なしでは過ごせない状態になり、ほとんど完全な寄生状態

となります。このように重症の場合は、第二反抗期の社会的自律期を過ぎても、

扶養者の元で単純な手仕事を粉すことができる程度の生活を過ごすことになり

ます。

 これが昼間の覚醒時の主症状です。

 

 

 幼児共生精神病は自立期個体神経症、あるいは小児個体神経症ともいいます。

てんかん、脱力睡眠発作、幼児共生精神病を括(くく)る疾病(症候群)名は、

仮設自由損傷症候群です。自由損傷症候群は皆さんよくご存知の神経症の新し

い症候群名です。神経症という語はポピュラーなので使いますが、自由損傷症

候群の方が病態をよく表わしています。

 

 

  幼児共生精神病は第一反抗期に発病して、第二反抗期以後もそのまま罹患し

続けることがあります。仮設自由損傷症候群全体は、先主体性の生育期に病因

を持ち、自立期、自律期を通して、主体性の本態を先主体性として維持し続け

ます。先主体性は本能意志に仮設される主体性で、身体を二分して本能と主観

が渡り合っています。この自由量が半量しかない状態は、先主体期には異常で

はないが、自立期と自律期にとっては異常事態です。

 

 

 神経症(自由損傷症候群)の場合は理念(価値)の自前の所有に失敗して、

自由損傷が起きるのですが、仮設自由損傷症候群では本態が既に自由損傷状態

にあります。つまり、常態的に神経症状態にあるといえます。従って当然、神

経症(自由損傷症候群)の症状も、仮設自由損傷症候群の症状に挿間されてき

ます。

 

 

 幼児共生精神病の3つ目の症状は、睡眠時に起きる脱力睡眠発作です。脱力

睡眠発作は主体性の崩壊現象です。またこの崩壊の二次的現象である幻覚など

に患者は襲われます。睡眠時に脱力発作と睡眠発作が起きるといえば不思議で

しょうが、身体が眠っても主観や我観が活動しているレム睡眠では認識に関す

る脳は起きているので、こういうことが起きるのです。

 

 

 次の項で述べる自律期個体神経症の脱力睡眠発作の発作契機は、自律期の主

体的、あるいは個体的内省です。幼児共生精神病は社会的自律ではなく身体的

自立を契機として発症する疾病です。先にも述べたように患者が成人年令に達

していても、その主体性は分立二義期にあり、そしてその半量の主体性で自立

しようとしている段階に留まっています。

 

 

 

  身体的自立期の幼児は、まだ身体を所有しようとする段階で、社会的に通用

する自前の存在観を持てる段階ではとてもありません。幼児は扶養者が付与す

る理念(価値)で行動するのです。起きている間は、扶養者に従っているので、

自分の行動を内省する必要はありません。しかし、睡眠時はたった一人で存在

していることになるので、夢の中での行動は自由です。つまり、彼の持つ自由

の領域をあれこれ探索できるわけです。

 

 

 

 しかし、幼児共生精神病の幼児では、覚醒しているときには経験したことの

なかった自由に開かれた歓びもつかの間、自由を誘導できる認識力が追いつか

ず、クラッシュしてしまいます。これが睡眠時に引き起こされる脱力睡眠発作

です。

 

 

 

  幼児にだけある特徴的な眠りに、乳幼児レム入眠というのがあります。普通

は身体(知感覚と情官の意志)の興奮を残しながら、大脳皮質領域の興奮を鎮

静し休息させるノンレム睡眠から入眠しますが、乳幼児ではいきなり大脳皮質

領域の興奮を残しながら、身体を休息させるレム睡眠から入眠することがあり

ます。これは起きている間は扶養者に従っていた反作用だといえるでしょう。

 

 

  レム―ノンレムの周期は睡眠時にだけあるのではなく、覚醒時にも同じよう

に巡っています。そのことは少し気を付けて自分を観察していればわかります。

次の項の脱力睡眠発作の発作契機のひとつに、このレム―ノンレム周期があり

ます。

 幼児共生精神病の睡眠時の脱力睡眠発作は自律期個体神経症の脱力睡眠発作

と同じものなので、次の項に移動しましょう。

 

 

 

 

 

    脱力睡眠発作

 

 

  自律期までに共生状態が解消された場合でも、自由量が存在の全量になお至

っていなければ、自律期で「脱力発作」「睡眠発作」を起こす「成人個体神経

症」に罹患します。幼児共生精神病の完全治癒は身体の全量を主観の配下に置

いたときです。

 

 

  精神主体性は愛を強力な支配力でバックアップします。内観の結果得た愛は

これを現実生活で行使するためには、支配の力でしっかりとキープしなければ

ならないのです。強力といい、しっかりとというのは、身体の全量を主観の配

下に置くことです。

 

 

  自己主体性(自由拡張症候群)の場合も同じです。自己主体性の場合は所有、

支配、権力、翻弄の諸概念を本能から得た意志エネルギーで推進するのですが、

この本能の意志エネルギーは調和価値を剥奪された剥きだしのエネルギーです。

それは”所有、支配、権力、翻弄”の自由力です。

 

 

 自由力と”感謝、愛、善、美”、あるいは”所有、支配、権力、翻弄”の理

念(「理性概念」=価値)の結合は、認識力によって行なわれます。個体存在

の場合も主体と同じです。但し、この場合の理念は、本能統覚が統覚図式を介

して自動的に与えます。自動的であるといっても、受け取ったものを認識力が

しっかりと把持しなければなりません。

 

 

 この把持は統覚図式の往路に対して、自由主観(自由我観)からと認識主観

(認識我観)からの二つの誘導路で示される復路によってなされます。ここで

使われている認識力は我観あるいは主観のことです。理念は意志を決定する概

念で、概念にはその他に文の意味を理解した「悟性概念」(ものごとの手順な

ど)、単語の意味を理解した「構想概念」(コップの概念など)があります。

 

 

 

 小児個体神経症に罹患しなかった主体、あるいは個体に於ても、自律期は生

育史上の試練であり、存在の全力を尽くして自律を獲得しなければなりません。

認識能力が脆弱である主体、あるいは個体は、認識の3領域の概念力(考える

力)が弱いので、復路のパイプの最大流量を維持できずに成人個体神経症に罹

患します。主体性の場合十五〜二十歳が「発症多発期」です。

 

 

 成人個体神経症に罹患する主体はすべて、生育史上の母子共生期の分立二義

性を本態とします。自立期を分立二義存在に仮設される「原自由」を以って乗

り切りますが、自律期に至って仮設主体性であることを隠蔽することができな

くなります。それほどに、自律は自立よりも厳密に力量を判定します。

 

 

 

 個体神経症の自律の破綻は、主体性、個体性を問わず本能の調和域の住み心

地がえもいわれないものであることを示しています。その至福状態は、この疾

病、また、てんかん発作の主体性崩壊で見る至福の幻覚のあたかも先取りのよ

うです。その至福自体は間違っているものではありませんが、地球上に生存し

ている一個の人間としては諸々の問題を遮断して己一個の至福に浸ることは罪

なのです。

 

 

 

 ドストエフスキーもてんかんの持病(てんかんには、この講座で対象とする

精神因性のものと、器質性のものとがある)があったと伝えられていますが、

彼は結局なんの解決策も示しえなかったにせよ、少なくとも人間の「罪と愛」

を浮き出させて私達に提示しました。

 彼が終生のテーマとしたこの罪と愛は、彼の中の自由意志と本能意志の対立

をも示しています。彼の時代より以上に差し迫った状況にある私達は、この罪

と愛をキーワードとして人類社会の闇部を開け放して、すべてを明るみの下に

置く仕事が課せられています。

 

 

  成人するということはその人間の価値を決定する生きる方針を定めることで

すから、本態を仮設主体性とする主体はここで必然的な挫折に至ることになり

ます。

 仮設自由損傷症候群全体は4つの本能の調和価値をその「分立本能」に抱い

ていますが、「分立主体」の方は所有、支配、権力、翻弄の自己主体性理念か、

あるいは感謝、愛、善、美の精神主体性理念のどちらかに至りますが、しかし

主観、及び我観の脆弱はこれらの価値概念を確固としたものにすることはでき

ず、また他方の世界観も不立に終わり、存在観を形成するに至ることができま

せん。

 従って、自律内省は失敗に終わり、自律するに至りません。同じことは我観

だけである個体存在にもあてはまります。

 

 

  身体は自然必然性をもって二次性徴(生長の完成)を発現しますが、この不

可避の存在の必然性を、我観、及び主観は受けて立つことができずに、ここで

クラッシュします。認識力の不全状態は意志を根本情態性へともたらします。

官能と感覚の判断は伸張・縮退で示されます。意志はここで固縮してしまうの

です。

 

 

 分立本能(分立主体側では本能身体が主観に所有されて機能している)の発

動路と誘導路が閉じられ、その身体は「脱力状態」となります。この状態は次

の「睡眠状態」とともに個体性の崩壊です。主体性である人間の場合は、崩壊

は、主体、本能、あるいはこの両者の同時の、3つの契機によって崩壊します。

主体性と個体性のそれぞれの崩壊は主観があるいは我観が瓦解するだけの相違

で、脱力睡眠発作自体は本能身体が引き起こします。

 

 

⇒{参考資料1}<主体の本能所有=その主体意志組み込み経路>

 

⇒{参考資料1}<存在運動発動機序>

 

 

 

                                     脱力睡眠発作の症状

 

 

 神経症(自由損傷症候群)では主体性の崩壊は主観の「意識喪失」が起こる

「深崩壊」に至りますが、この仮設自由損傷症候群に於ては「幻覚」、「妄想」

が生じる「通常崩壊」に留まります。脱力は認識力不全の状態像です。

 幻覚、妄想は認識力が我観あるいは主観としての統合を喪った状態で生じま

す。つまり、「観念」が自由勝手に生じて妄想となり、また「識覚」としての

視覚や聴覚や触覚が幻覚を見、聴き、感じます。

 

 

 身体の脱力状態はついで身体休息度の大きいレム睡眠に自然に誘(いざな)

われます。ここで統覚機能は脱力時よりも更に深い麻痺状態にはいったことを

示します。

 分立主体は崩壊状態にあり、睡眠にはいると主体の崩壊は「小児神経症」の

睡眠時崩壊に相を転移します。こゝで自律葛藤から自立葛藤に相転移するのは、

強制的に睡眠に引き込まれるという理由からだけです。自律葛藤による主体性

崩壊は覚醒時にのみ現象します。睡眠時には身体は覚醒時に較べてレム、ノン

レム期を問わず、休息度を大きくしています。

 

 

 レム期に認識力が働いても、認識を統覚に伝達する知感覚路が眠ってしまっ

ているので、知感覚路の全面開通の葛藤である自立期に退行してしまうという

わけです。何か困難な仕事に立ち向かっているときは、歯を食いしばっている

はずです。その状態は口腔の知感覚刺激を行なって、食や所有の意志を奮い立

たせている状態です。

 

 

 自立期は母親に体を洗ってもらったり服を着せてもらったりせず、もう自分

でやるんだという時期です。睡眠時の主体性崩壊は自立期の「自立葛藤」のみ

の像を呈することになり、加えてレム睡眠相であるので、小児神経症の症状と

して、金縛り、夢魔、夜精が生じます。 

 

 

 睡眠発作は数秒から二〜三分、長引くときは十〜二十分続くこともあります。

睡眠発作に移行せず、脱力発作だけに留まることもあります。失禁(尿をもら

す)、腰を抜かすなどは部分脱力です。睡眠発作に至らない全身の脱力発作も

あります。

 

 

 

 発作は一般に、主体的、及び個体的自由が解放されたときと、根本情態性が

発動されたときに起こります。発作の起こる契機となる代表的なものに、昼間

睡魔、入眠、覚醒、笑い、興奮、驚き、光刺激などがあります。これらは「誘

発契機」と呼ばれます。

 忘れてならないのは、上述のことがらは自律期の内省が「発作契機」だとい

うことです。文脈が許せば、誘発契機を発作契機と呼ぶこともありますが、自

律内省が発作をもたらし、発作の本体は過剰本能状態による認識力の未発達で

す。

 

 

 通常、睡眠はノンレム期に始まり、その後十〜三十分間のレム期があり、こ

の全体で九十〜百分の周期が繰り返されます。既に述べたように、レム期は本

能統覚、及び知感覚判断の身体の休眠度が大きく、ノンレム期は我観(我観は

質量的に主観をその中に含む)の認識判断の休眠度が大きくなります。睡眠状

態のこの[レム―ノンレム]の周期リズムは覚醒時にも持続します。[レム―

ノンレム]のこの周期は、身体基準、あるいは認識力基準の[休息―覚醒]の

24時間にわたる周期です。

 

 

 「昼間睡魔」と呼ぶ誘発契機では、目覚めているときに、仕事中であっても

[身体の休息―認識力が活動するレム期]に、脱力なしで一気に睡眠に入るよ

うな発作が起こります。これは脱力発作が短く睡眠発作が単独に現象するよう

にみえる発作です。発作が周期毎に規則正しく現れる患者もあります。

 

 

 レム期は認識力が身体(意志)を誘導する力が優り、ノンレム期は意志が統

覚図式を供給して認識力をひっぱる力が優ります。レム期で統覚が休むことは、

その(+・+)域の調和を強く主張しないことです。従って、認識力が意志を

誘導して調和域に安住できるよう取り計らわねばなりなせん。ここで認識力が

不全を起こしてクラッシュしてしまうわけです。

 

 

  「入眠」が誘発契機となるのは、レム期であるか否かを問わず、認識力によ

る内省(内省は存在全体を総動員して行なうので、後に述べるように自由力=

意志の内省ともいう)に専念できる環境がまさにあつらえられているからです。

内省は存在観を訊ねることです。統覚の声に耳を澄まし。世界を組織立てて理

解しなければなりません。

 

 

 認識力の脆弱はこれを不能とします。しかし自律は身体の切実な要請なので、

認識力は常に能力の拡張を責め立てられています。その圧力は自律か、さもな

くば退行かを迫ってきます。自律には中間はあり得ません。ここでクラッシュ

して脱力睡眠発作を起こし、その睡眠発作に続いてそのまま通常の眠りにはい

ります。

 

 

 床に入った直後の一人になった時空での内省は、昼間は規則的な生活に紛ら

わしていた自律の課題を、そこで一挙に大きくするのです。このめまいのする

ような時間空間を見据えることができずに、そこへと吸い込まれていくならば、

彼は先主体性の時代に逆行していくのです。

 先主体性では自律の課題なしに広大な認識力の、いわば無邪気な探索が可能

です。成人個体神経症に乳幼児レム入眠が現象することがあるのは、彼の自律

に対するギブアップによる退行を示します。

 

 

 乳幼児レム入眠は先主体性を基準にその前後の時期に認識力の発達を涵養

(かんよう)するためにあります。その先に待つ自立のためにこれはなされま

すが、まだ自立の課題は負っていません。従って、乳幼児レム入眠では個体性

も主体性も崩壊せず、滞りなくそれは行なわれるのです。乳幼児レム入眠は入

眠契機による脱力睡眠発作に継起的に混じて現れます。その場合、入眠直後の

レム睡眠は当然長引きます。

 

 

  患者を椅子に座らせて眠らせると、通常のノンレムより始まる睡眠経過とな

ります。これは座位による筋緊張の結果、身体の休眠度が減じてノンレム睡眠

が盛んになる為です。

 

 

  「笑い」の誘発契機も入眠契機と同じです。笑いは存在観が解体、あるいは

転倒することにより生じます。患者に於ては存在観は扶養者付与理念(他発性

理念)によって形成されていますが、こゝでも自律(自発性理念)の要請によ

る自由の内省状態に至ります。笑いによって自由が打ち開き、この自由に戸惑

うのです。

 睡眠からの「覚醒」時にも発作が起きるのも、この自由が目前に拡がって迫

ってくるからです。

 

 

  覚醒が誘発契機となるときは、「嗜眠症」を形成します。嗜眠症はまた「過

眠症」とも言われ、多いときには本来の睡眠をはさんで、一日に二十時間以上

も眠り続けます。患者は”とにかく眠くてねむくて”と訴えることになります。

 覚醒刺激によって睡眠にはいった患者は、睡眠から目覚めると再び覚醒刺激

に襲われ、このサイクルを繰り返すことになるからです。

 嗜眠症の形成は、成人神経症(自由損傷症候群)と摂理神経症(てんかん)

の主観型の深崩壊でも起こります。その鑑別は、入眠時レム睡眠があれば成人

個体神経症です。

 

 

 「興奮」と「光刺激」は、主体の”自由”を直接発動させます。“自由”の

発動は自律期にある主体の「自律葛藤」によって増幅されています。自由刺激

は、この増幅されてはちきれる状態にある“自由”を突(つつ)いて破裂させ

るのです。

 “自由”の発動は分立本能側に“根本情態性”を発動させ、以下、脱力、睡

眠発作と続きます。こゝでも分立本能の“根本情態性発動”が主体性を崩壊さ

せます。この[自由→根本情態性発動→崩壊]の機序は、次項の「摂理神経症」

の一般崩壊機序でもあります。

 

 

「光刺激」は摂理神経症での「反射性契機」に含まれており、そこで再度言及

されることになります。

 「驚き」は主体の”自由力(意志)の無”の状態であり、自由(主体)意志

が根本情態性へと、いわば肝を潰した状態になることが誘発契機となります。

これにより「自由(意志=身体=存在)の内省(内省は認識力が行なう)」に

はいり、以下脱力、睡眠発作に続きます。

 驚きは、驚いた対象による自由(主体意志)への圧力です。圧力によって自

由が萎むことは、以前に素晴らしい演出家や俳優の話で触れました。対象は常

に力としてやってきます。不安や恐怖はこの力による自己の自由力の減弱の結

果です。

 

 

以上、すべて分立主体側の様相で述べましたが、分立主体の自由の拡張が分立

本能側に根本情態性を惹起させるなどの影響から、また身体に直接影響を与える

日射や気温や台風などの自然環境の急変から発作が起こり得ます。

 

 

  個体存在の場合を言及しませんでしたが、自由に解き放たれた犬が少し歩い

たと思うと、そこで腰を抜かしたり、全身の脱力を起こして、更に眠り込んだ

りしてはまた起き上がり、再度歩き出しては同じ状況に至るという例が一般的

なものです。上に挙げた主体存在の場合の誘発契機でもおそらく起こりうるで

しょう。但し、犬が笑うという保証はできませんが。誘発契機がなんであれ個

体の場合は単純に、調和域からの転落、つまり根本情態性の発動と、認識力が

不全となることが発作の契機です。

 

 

 

 

 

    てんかん

 

 

 仮設主体性は分立二義存在です。自立期及び自律期に、この主体性がその自

由を存在の全量にまで拡張できないのは、分立する一方の存在である本能存在

が、主体存在を排除する為です。端的に言うならば、強化された調和価値が所

有価値の罪性を排除するのです。

 

 

 

  仮設自由損傷症候群の患者は本能の自我と主体の自己を等分に生きています。

”本能のままに生きる”という状態が理解されねばなりません。

 

 

 

 患者は身体的社会的成長に伴って、必然的にその主体性を、先自由から自立

自由を経て、自律自由に発展させていきますが、彼が仮設自由損傷症候群であ

る限りは、発展主体は仮設主体性の先自由に仮設されるものとなり、彼の主体

的本態は依然として仮設主体性です。

 

 

 個体神経症は、自由我観の脆弱性を持っており、発作はこの弱点を切断され

る単純な力動を示しました。しかし、摂理神経症では分立する二つの存在が、

互いにその存在を意識し、意識力動を波及し合います。

 仮設主体性の先自由意志は、存在のほぼ半分程度までは領有が許されている

だろうと推察されます。しかし、それ以上の領有となると、本能は存在として

後退することになり、これを許すことはできません。自由意志がその領有を広

 

げようとするや、本能は直ちにこれを撃退する体勢に入ります。

 

 

 本能は「反摂理調和」に対してのみ、これを攻撃します。個体度の(−)成

分は反摂理調和の侵襲を受けて、根本情態性に転落したことを示します。怒り

の(+・−)域の攻撃力は、不安や絶望を食い止めようとする調和の(+)力

です。

 呪いの(−・+)域ではこの力は二歩後退して、不安や絶望の(−)情態

(=情官態=意志の様態)の力性分が増えてきます。(−・−)域では調和の

(+)力は完全に後退して、不安や絶望から脱出しようとする(−)力性分の

みの防衛力となります。

 

 

 防衛力はもはや後がない背水の陣を布(し)くことからくる力です。囚われ

の野生動物は、捕らわれた直後には大暴れするでしょう。しかし、病気に永い

間蝕まれると人は体力を無くします。同じように、囚われの動物は幽閉状態が

永くなると、気力を喪った不安や絶望へと消沈していきます。

 

 

 根本情態性を排除し、またそこから脱出する力は、「存在力」と呼び、気力

や意志力といわれるものに同じです。その力の度合いは「存在力度」で表わし

ます。存在力度の座標は存在度の座標に重ね合わすことができますが(下の上

下図)、存在度の(+・+)域、(−・−)域に拘わりなく、交点0からの

「放射度数」で量ります。

 

 

 我が国の戦力は専守防衛といわれますが、この意味は背水の陣の迎撃力とい

うことでしょう。抑止核も同じですが、この力は先制攻撃にも充分使用できる

力という意味を含んでいます。

 

 

 実際には、分立本能は分立主体に領土の侵略を受けると、存在度の(−・−)

域にまで待たずに、(+・−)域で反撃します。過剰本能状態は(+)の力を

通常より以上にレベルアップしているので、その第一撃は強力なものであるこ

とが想像できます。

 (+・−)域も根本情態性の気分に侵襲されていることは前に述べました。

仮設主体性の(+・−)域の力は抑止核の使用に匹敵するでしょう。

 

 

 攻撃力は対象の存在を前提にしています。“寒い”という(−)の知感覚判

断は、(+)の統覚によってこれに打ち克つ(怒り)判断が為されると、“寒

さ”に対する攻撃力が発動されます。“摂理調和”情態からの攻撃は、権力や

支配の力とは無縁です。この攻撃は“寒さ”から自己を”防衛するのではなく”、

存在の調和の中にあって、ゆとりをもって調和を工夫します。

 

 

 仮設自由損傷症候群にあって、分立本能はこのゆとりある情態より更に”過

剰”に、“摂理調和”の個体度を保守します。この過剰本能状態にある分立本

能により、仮設自由損傷主体は主体性を崩壊させられるに至るのです。

 分立主体は自らを主体性崩壊に至らせないために、分立本能のために過剰本

能状態を配慮し続けねばなりません。その配慮対象は、主体自らが発動する

“自由”と“根本情態性”であり、加えて自然環境が直接、分立本能に働き掛

ける”根本情態性励起対象”です。

 

 

  下の図は左が上になった縦書き文で使ったもので、それぞれの図を90度時

計まわりに回転させた状態を想定して見てください。

  他力性は知感覚判断、自力性は意志判断です。

 

 

http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-1.htm

 

 

      〈“根本情態”域と根本情態性が発動される存在度〉

┌─────────────────┐┌─────────────────┐

                    .  . . .・・││              他│+             

                .   .   . .・о││              力│               

               . .  . . . ・・о││(+・+)域  性│ (−・+)域  

               ..  .  . ・・оо││   調和域          呪い域      

             . .. . . ・・ооо││                               

        .  . . .. . ・・оооо││自力性                         

│────────┼────────││────────┼────────│

    .  . . . . .│・・ ・ о ○ ○││+              │0           − │

.   .   . . .・│・・ о о ○ ◎││                                

.  . . . . ・・│・о о ○ ○ ◎││  (+・−)域    (−・−)域 

.  .  ・・・・о│оо ○ ○ ◎ ◎││    怒り域         根本情態域 

│・・・・о о о│○○ ○ ◎ ◎ ●││                               

│・ооооооо│○◎ ◎ ◎ ● ●││                │−             

└─────────────────┘└─────────────────┘

 ※座標軸は実線、座標を囲む線は点線。

 

  ∴上の座標は〈“根本情態”域〉を表わし、調和域の(.)=点域は、調和の最

    下底域である。

 

  ∴根本情態域の●域は、根本情態性の最下底域であり、従って、存在度(満足度)

    の最低度を示す。

 

 

  下の図式名の自由力は主体性の場合で、本能の場合は存在力強度(存在力度)

です。

 

 

         〈存在の意志発動の強度=自由力強度〉

┌─────────────────┐┌─────────────────┐

│● ● ◎ ◎ ◎○│○◎ ◎ ◎ ● ●││              他│+             

│● ◎ ◎ ○ ○○│○○ ○ ◎ ◎ ●││              力│               

│◎ ◎ ○ ○ оо│оо ○ ○ ◎ ◎││(+・+)域  性│        

│◎ ○ ○ о о・│・о о ○ ○ ◎││   調和域          呪い域      

│◎ ○ о о ・・│・・ о о ○ ◎││                               

│○ ○ о ・ ・・│・・ ・ о ○ ○││自力性                         

│────────┼────────││────────┼────────│

│○ ○ о ・ ・・│・・ ・ о ○ ○││+              │0           − │

│◎ ○ о о ・・│・・ о о ○ ◎││                               

│◎ ○ ○ о о・│・о о ○ ○ ◎││  (+・−)域    (−・−)域 

│◎ ◎ ○ ○ оо│оо ○ ○ ◎ ◎││    怒り域         根本情態域 

│● ◎ ◎ ○ ○○│○○ ○ ◎ ◎ ●││                               

│● ● ◎ ◎ ◎○│○◎ ◎ ◎ ● ●││                │−             

└─────────────────┘└─────────────────┘

  ∴(・)=点域は、自由力の最弱度域である。

  ∴●域は、自由力の最強度域である。

  右の存在度の座標に重ね合わせるとき、●は、(+)や(−)の力と呼び、

  ●域は、それぞれ(+・+)最強度力域 とか (−・+)最強度力域と

  言われる。

 

 

  空きっ腹のときには何をする気力も失せ、また病気で体力がなくなると存在

の力は減じます。また、自由損傷症候群がそうであるように、認識力による理

念把持の力がない場合にも存在力がなくなります。個体神経症の脱力睡眠発作

もまたそうでした。

  火事場の馬鹿力といいますが、存在力はこの馬鹿力の筋力のことではなく、

普段は力に”自信のない”女性や、”他者を率先する力量のない”神経症の人

でも、基本的財産や命に拘わるようなときには、”私がやらねば誰がやる”の

心意気、つまり高揚した理念を得ることができる、このことを指します。

 

 

 

 

                                    てんかん発作の誘発契機

 

 

 自立期、及び自律期に、分立主体の内省による主体性崩壊があります。内省

による崩壊は、主体の自由意志が無となった様態で起こります。個体神経症で

は”誘発契機なしの内省による”存在体制の崩壊ということはありません。こ

れは認識力が誘発契機なしで単独で内省できる能力に足りないからです。個体

存在もやはり内省を行いますが、崩壊という究極には至ることはありません。

 

 

 自由意志が無となることは、(−・−)の根本情態域に転落して更に根本

情態性に捕縛される情態です。その情態の根本情態性は主体が消滅した後の、

主体に所有されていた純粋な本能の発露であることは既に何度も述べています。

主体のこの「根本情態性捕縛」は、個体神経症と同じように発作契機です。

 「発作機序」については次項、更に次々項で言及されます。

 

 

  上は主体の内省が直接、発作契機をもつ場合ですが、発作はいつも最終的に

この発作契機によって引き起こされます。その発作契機を引き起こす誘発契機

についてこれから述べます。

 

 

 環界による、また身体の生理的変化による根本情態性励起は、分立主体と分

立本能に対して同時に影響を与えます。日常的に、騒音などによる驚き、季節、

天候、気温などの「自然変化」による不良・不快刺激や、「睡眠不足」「食べ

過ぎ」「飲み過ぎ」「疲労」「発熱など病気」「便秘」「月経」「飲酒後抑鬱」

などの「根本情態性刺激」があります。

 

 

 分立主体側が発動する根本情態性は、本能側の我観を侵襲します。本能にと

って、この主体側からやってくる根本情態性は自由の意志に同じであり、この

調和を侵襲する自由を駆逐するために、自らも生理的に根本情態性を発動して

いる状態に加えて更に、根本情態性を増幅して発動する結果となります。増幅

された本能側の根本情態性発動によって主観は瓦解します。

 

 

 読書、音楽、図形、計算(暗算)、光などの刺激による発作は「反射性てん

かん」、あるいは「過敏性てんかん」と呼ばれています。これらの刺激は主体

に“自由”を発動させます。

 「一次性読書てんかん」と言われるものは、黙読に於ける発語の、自ずと発

現されるリズムが、”自由の本質である無限性”を開示することが誘発契機と

なります。同じく「二次性」は文字配列、及び行配列に了解される無限リズム

に由ります。

 

 

 「音楽」もまたそのリズムの無限性の効果により、「図形」は市松模様など

無限性を表わすものによります。

 「光刺激」も同じで、光の規則的点滅の同じ効果、揺れる水に反射する光の

同じ効果、また風に揺れる葉による木漏れ日の、あるいは木漏れ日のある並木

道を車で走るときの、あるいはブラウン管を走る輝点の、あるいは指を拡げた

手を目の前で振り(てんかん児にはこうして自己刺激を行なう発作がある)、

指の間の光の断続が木漏れ日の並木道を行くのと同じ効果を出すときの、それ

らの無限性の効果が“自由”を発動させます。

 

 

 

 

 

 

 

                                      主体性崩壊

 

 

  分立主体は通常、分立本能の根本情態性発動によってその自由拡張を自己規

制しています。しかしいったん自由にアイデンティティを置くや否や、自由は

相対化を喪って、自然加速体勢にはいります。みなさんもなにかの拍子に我知

らず我欲の虜になっていたり、集団でいるときなどに旅の恥はかき捨て式にな

っていたりすることは無きにしもあらずだと思います。

 

 

 

 自由が調子に乗りやすいのは、身体質量を持たず、常にこころ細い”無”の

状態から力を作り出していかねばならないからです。いったん滑らかに滑り出

した自由を押し止めるのは惜しいからです。それにひきかえ本能は常に謙虚な

腹八分目を心得ています。

 

 

 

 分立本能の過剰本能状態は、摂理価値の判断基準に影響を及ぼすものではあ

りません。過剰本能状態は、個体度(+・+)域への過剰適応状態であり、そ

れ故にまた(−・−)域の根本情態性過剰反応状態を引き起こします。この過

剰反応状態に於ける根本情態性の判断基準もまた、先天的本能の基準を逸脱す

るものではありません。

 

 

 過剰本能状態での、(+・+)域の過適応値を大にし、(−・−)域の過敏

値を大にしているのは我観、及び主観の過剰調和存在観です。従って、分立本

能の主体に対する牽制(けんせい)である根本情態性発動の実体は、我観によ

る誘導図式です。

 

 

 分立する主体の自由量は存在の「分界」に従った量しか許されず、この分界

量は分立本能の調和価値を毀損(きそん)しない量です。ところが、自由の拡

張的本質は分界量を容易に突破します。これに対して過敏となった分立本能の

根本情態性は、自由の膨爆を、これに上回る拡張力で膨爆することによって押

し返します。

 

 

 根本情態性の押し返しによって縮退した自由は、分界域にまで押し戻される

と、分界域を越え出て自由が拡張していたときの加速度の大きさに応じて更に

縮退していきます。この縮退の過程はそのまま主体の崩壊現象の過程です。自

由の膨爆度が大きくなければ崩壊は「通常崩壊」レベルの軽度に留まりますが、

しかし、膨爆度が大きければ根本情態性発動の膨爆度も比例して大きくなり、

一挙に自由力を押し潰すことになります。

 

 

 自由力の最下底に達する崩壊は、自由損傷症候群の「上位葛藤(自律欲求が

もっとも強い)主体」の崩壊と同じ「深崩壊」となります。最終的に深崩壊に

至る場合でも、自由は分立本能との攻防を繰り返しながら徐々にその分界域を

拡張していくことがあり、この場合には、通常崩壊のレベルを「前症状」とし

て持ちます。

 

 

 以下は次項で詳しく述べるので、ここでは初出の述語等を特に説明しません。

ざっと目を通しておけばよいでしょう。下の図の4つの型は主体体制の4つの

要素のうちの、どの要素にパーソナリティが依存しているかを表わしています。

このことは、崩壊した主体であろうと、通常の主体(「常主体性」=崩壊を起

こしていない主体性)であろうと同じです。

 

 

 アイデンティティは「自己自身を了解」(自己を内省して生きる理念を決定

する)することで、パーソナリティは社会との接面に生ずる人格です。人格の

最大要素は調和価値と所有価値の間のパーセンテージですが、4つの要素がそ

れにどのように関与して人格に影響してくるかが次項で明きらかとなるでしょ

う。しかし、より詳しくは後の成人精神病の入門講座でということになります。

 

 

 通常崩壊に於て、「崩壊主体」は、『本能統覚型』を除いて[自由⇔自由の

無](⇔は両者の間の階梯を昇り降りすること)の様態を現象させます。[自

由⇔自由の無]での主体度の座標が(+・−)域は、“怒り”の領野です。て

んかん患者特有の「周期的不機嫌」と言われるのはこの“怒り”の情態にある

ときです。

 

 

 自由価値を持つ自己主体性が(−・−)域に捕縛されると、成長過程を一段

階落として「偽自律」様態の自由価値を身にまとおうとします。これは自由損

傷症候群そのものであることです。この自由損傷主体(神経症者)の偽自律の

怒りである“不機嫌”の情態も、仮設的自律の葛藤があるてんかん患者に、上

の周期的不機嫌のほかに起こり得ます。両不機嫌のメカニズムは同じです。

 

 

 『理性型』の怒りは特に激しい暴力に走ることがあります。摂理神経症では、

通常崩壊、「深崩壊の前駆的通常崩壊」、「深崩壊の発作後通常崩壊」に於て、

【成人精神病】で論述することになる崩壊主体の様態がすべて現象します。

 他に摂理神経症に特有のものとされているものは「性的興奮」「渇酒」「遍

歴・放浪」などです。これらもまた通常崩壊の状態像です。

 

 

  みなさんに主体性が崩壊するという体験がなくても、私のように崩壊状態が

理解できるようになるでしょう。自分の意志状態を彼らと同じくするというこ

とが必要となります。これは対象に帰入して、対象の中から了解することです。

優れた役者や小説家や、その他の優れた芸術はすべてそうですし、地球のいま

の状態、世界の状況をほんとうに認識するというのも、対象の意志に迫り、

対象になりきることができるということでしょう。これをドイツの実存主義哲

学者であるヤスパースは”了解的方法”と名付けました。

 

 

 主体性が崩壊する直前に、主体の“自由”の拡張による圧迫によって、反対

側の分立本能では根本情態性が発動され、「ミオクロニー」と呼ばれる全身の

筋の「震え(感情と知覚による)」と「痙攣(官能と感覚による)」を起こし

ます。

 ミオクロニーは次項で述べる「自己主体型」(これは精神主体性に対する自

己主体性のこと。前に、分立主体は所有理念と調和理念のどちらも持つことが

できることを話しました)では発動しないか、あるいは「前駆-間代発作」と

なります。

 

 

 分立主体と分立本能の、この互いの分界域への攻防は、軽度のミオクロニー

発作の段階で矛(ほこ)を納めることもあれば、その攻防の終局に達すること

もあります。仮設自由損傷を有するかぎりは、つまり仮設自由の意識を持って

いる限りは、従ってまた過剰本能状態にある限りはこの終局は常に分立本能の

勝利となります。この勝利の証は主体性の深崩壊現象です。

 

 

 大発作をはじめとする種々のてんかん発作は、すべて仮設主体に於けるこの

主体性の深崩壊現象です。攻防が終局に達して主体性が深崩壊するとき、展開

された攻防が遺した戦乱の跡は「前駆症状」と呼ばれます。攻防は数日に及ぶ

こともあれば、瞬間的に決着が着くこともあり、瞬間的な場合はすぐに”てん

かん発作”が起こります。

 

 

 攻防が長引いたり、あるいは膠着(こうちゃく)状態に終始して発作に至ら

ない場合は、「分立本能を巻き込まない」主体性の通常崩壊となります。通常

崩壊では、ミオクロニー発作は崩壊の間にはさまり、身体の一部、あるいは軽

度に留まります。

 

  

               〈深崩壊時の症状症型による症状〉

            ┌──────┬───────────────┐        

            │ 症 型  │ 症 状           │        

            ├──────┼───────────────┤        

            │主体統覚型 │大発作            │        

            ├──────┼───────────────┤        

            │本能統覚型 │新生児てんかん              │       

            │      │ウェスト症候群           │        

            │      │レンノックス=ガストー症候群 │        

            ├──────┼───────────────┤        

            │主観型   │意識喪失           │        

            ├──────┼───────────────┤        

            │理性型   │認識力不全           │        

            └──────┴───────────────┘        

         ∴大発作、及びレンノックス=ガストー症候群の主観体は

       ウェスト症候群の症状を示す。

 

                                    

 

                                   

 

 

 

                       「分立症型」

         ――分立本能(睡眠てんかん)型・分立主体(覚醒てんかん)型――

 

 

 分立二義存在であることは、主体と本能の「両義的存在」であることです。

分立二義存在はこの二義性にありながら、意識は常にどちらか一方に傾きます。

存在の「意識在位」が一方に固定される場合と、両者の間を揺れ動く場合とが

あり、揺れ動く場合でも発作時は分立本能型か分立主体型かに決定されます。

 

 

 

 「分立本能型」は「睡眠てんかん」とも言われ、睡眠時に発作を起こし、

「分立主体型」は「覚醒てんかん」と言われ、覚醒時に発作を起こします。睡

眠時発作を起こす患者の三分の一に覚醒時発作もみられるのは、意識在位が揺

動するためです。

                                    

 

  分立本能型は意識在位を本能に置いているので、覚醒時には分立本能の自由

の発動を抑え込んでいます。しかし、分立本能型はノンレム睡眠時に主体性崩

壊を起こします。

 睡眠時は分立本能の我観が休息度を大きくし、統覚は活動的です。しかし、

この統覚の活動は覚醒時の活動力には程遠い状態にあり、覚醒時には強力な調

和価値を発動して分立主体の自由発動を抑さえ込んでいたが、睡眠時にはその

力はありません。

 

 

 分立主体側では主観が我観の休眠に歩調を合わせています。しかし、このノ

ンレム休眠にあっても主観は働きを全く喪ったわけではなく、存在観の内省、

即ち統覚図式と誘導図式の整理を行なっています。主体はこれを仮想的な現実

性を以って行なっており、レム期の夢よりもはるかに内容が乏しく、断片的で

すが、この仮想的現実に於ける誘導図式の整理が夢となります。

 

 

 自律の課題を負っているので、この夢は多く、日中の覚醒時にかくあれかし

と願う主体性の拡張をシミュレーションします。覚醒時の分立本能型の主体は

分立主体型の主体よりも分界域を小さな範囲に留めているので、分立主体型主

体程度までは本能は許容しますが、それ以上となるときに分立本能型のアイデ

ンティティを賭けて、これを撃退するパフォーマンスを行なうのです。

 根本情態性が発動されて、主体はクラッシュします。

 

 

 レム期では主体の認識力はノンレム期よりもはるかに活動的ですが、分立本

能の方は統覚を休眠させており、これに根本情態性をもって応えることはでき

ません。分立本能は”知らぬが仏”状態となっています。

  以上は分立本能型です。

 

 

 これに対して分立主体型が睡眠時に主体性崩壊を起こさないのは、自律には

遠いものの覚醒時に充分な自由の発動を行なっているからです。

 

 

 

 分立本能型主体は存在の意識を本能に在位しています。てんかんの治療に於

ては、患者が分立本能型であるときは、分立主体型にまず移行させてから本格

的な治療にはいらねばなりません。両者の症状そのものには軽重はありません

が、しかし、「罹患度」は圧倒的に分立本能型が重いからです。

 

 

 

 分立本能型は昼間の活動時に於て、主体型に意識転位しないかぎりは発作は

なく、生活に支障を来たすことはありませんが、しかし、主体的自由の成長必

然性の過程に於て、確実に睡眠時の発作の回数は増加し、それだけ脳神経機能

にダメージを与えることになります。

 

 

 

 「摂理」か、あるいは「自由」かを存在的に選択することは、「本態的な治

療」の為にまず第一に為されなければならないことです。自由は『原罪』です

が、自由を持つことは人間であることの運命として必要なことなのです。

 

 

   ∴本態的な治療:てんかんの病因の本態は精神因にあり、完全治癒はこ

    の本態に基づいてのみ可能となります。ここでいうてんかんは「真性

    てんかん」と言われるもので、脳器質に異常を持つ器質性てんかんと

    は区別されます。

 

 

 

 

 

 

                                主体症型・症状症型、及び重畳型

 

 tenp-49.htm

  〈摂理神経症の症型〉

 

                 〈摂理神経症の症型〉

    ┌─────┬─────┬────────────┐

    │分立症型  │主体症型  │   症状症型         

    ├─────┼─────┼────────────┤

    │分立本能型│摂理主体型│主体統覚型    主観型   

                                               

  │分立主体型│自己主体型│本能統覚型  理性型  │          

  └─────┴─────┴────────────┘

 

 

 

 てんかんの症型類型は、先号の末尾の図の症状症型と、前項の分立症型に加

えて主体症型の3つあります。てんかん患者は3つの症型類型の下位カテゴ

リーの型をそれぞれ1つずつ持つことになります。3つの症型類型間の下位カ

テゴリーの型は互いに独立しており、組み合わせの固定はありません。

 てんかん発作の類型は「症状症型」で決まります。

 

 

 「分立症型」は「分立型」ともいいますが、症状自体に変化は与えません。

この症型の分立主体型(主体型)と分立本能型(本能型)との「在位移行」は、

先項で述べたように、治癒可能度の階梯を行き来する変化を持ちます。

 この分立症型の如何に拘わらず、ということは本能型であっても分立主体の

方は、その主体症型を自己主体性であるか摂理主体性であるかのどちらでも選

択できます。この「主体症型」でも症状の基本的な変化は起こりません。

 

 

 基礎編で自己主体性は内省に於て根本情態性から逃走し、また遁走し、これ

に対して精神主体性は真摯に根本情態性と対峙することを述べました。

 摂理主体型は分立主体に於て、常に本能を内観しています。これに対して自

己主体型は本能内観に於て根本情態性と対面するや否や、自由へと逃げ延びる

のです。自己主体型は主体性の危機にのみ関心を抱いているからです。

 

 

 しかし、摂理主体型は生の価値を摂理価値に持っているので、宿命的に根本

情態性に踏み留まってその誠実を露とするのです。

 言い換えるなら、摂理主体型の方が根本情態性に耐性を持ち、その分大きな

根本情態性に直面します。ひるがえって自己主体型は根本情態性にほとんど耐

性がなく、辛抱することを知らないのです。

 

 

 

  このことが、いわゆる「てんかん発作」といわれる「主体性の深崩壊の発作」

の直前に、摂理主体型に「ミオクロニー発作」という「ピクピク痙攣」を起こ

すことになります。

 

 

 しかし一方、自己主体型は、この同じ「てんかん発作直前期」(前駆期、あ

るいは「前駆ミオクロニー期」という)に、分立症型の分立主体型、及び症状

症型の主体統覚型という条件に限定して、更に思春期という条件を得て始まる、

「間代痙攣」という「ガクガク痙攣」を起こします。

 

 

  3つの症型分類のそれぞれに主体型であることが、しかも自律期であること

がこのタイプを特殊にします。

 これら前駆症状は先号の最後の項でも触れました。

 

 

 このように主体型を「重畳」することは、主体性について並々ならぬ執着を

持たせることになります。この執着は主体性崩壊に至ってもなお、次号で述べ

る「残遺意識」に執着させることになります。残遺意識は崩壊後なお主体性の

残骸が残遺されて意識されているもので、この状態が通常崩壊です。

 

 

 発作は通常、ミオクロニー期から時を移さず起こります。発作は深崩壊です。

しかし、この「重畳型」では残遺意識への執着が通常崩壊という形を維持しよ

うとしながら、深崩壊へと引き込まれていきます。言い換えれば、通常崩壊が

深崩壊に嵌入(かんにゅう=はめ入れる)する形を取ります。つまり深崩壊に

至りながら、通常崩壊像が一部食い込んでいくのです。

 

 

 間代痙攣がなぜガクガクとぎこちない間歇(かんけつ)的な痙攣となるのか

については、次々項で述べます。

 摂理主体型に、自己主体型には一般的にはない前駆単独ミオクロニー発作が

ある他は、この両主体の崩壊症状は基本的に同じです。

 

 

 ∴摂理主体:自律期以前の精神主体性、及び自律に至っていない精神主体性

       を、「無意識的精神主体性」、あるいは「無意識的摂理主体性」

       と呼び、これに自律した、即ち意識的な精神主体性を併せてこ

       う呼びます。

 

 

⇒{http://www.dokidoki.ne.jp/home2/planetx/tenp-5.htm

            <主体性の様態と疾患>

 

                          〈主体性の様態と疾患〉
 
                          ┌────────┐                                  
                          │ 幼児共生精神病 │                                  
                                                                            
                          │ 脱力睡眠発作                                     
                          └───┬─┬──┘                                  
                                                                            
                              ┌─┴─┴─┐                                    
    ┌────────────┤個体神経症├────────────┐          
                            └─────┘                                  
                                                                            
                                                                            
                            ┌─────┐                                  
                            │分立本能型│                                  
                            └─┬─┬─┘                                  
                                                                        
        ┌──────┐    ┌─┴─┴─┐    ┌──────┐              
        │ 分立主体型 ├──┤摂理神経症├──┤ 分立主体型 │              
        │ 摂理主体型 ├──┤ てんかん ├──┤ 自己主体型 │              
        │ 本能統覚型 │    └──┬──┘    │ 主体統覚型 │              
        └───┬──┘                    └──┬───┘              
                                                                      
    └────┐    ┌────┐                                        
                                                                  
              └─┼─┘    仮設自由損傷症候群                  ペ│          
                                                            ッ│          
                                                            ト│          
                              仮設主体性                      ・│          
                                                            家│          
                                                            畜│          
                                                            な│          
                          ┌───┴───┐                  ど│          
                          │┌─────┐│    ┌─┼─┐                  
                │    ││ 本能存在 ││                          
                          ││ (身体) │├──┘    └────┘          
                          │└─────┘│                                
                          └───┬───┘                                
                                                                          
                                                                          
                  ├────────┴────────┤                        
                  │本能価値内観      エネルギーの所有│                        
                                                                            
                                                                            
              摂理主体性                          自己主体性
                  │                 │                        
        ┌────┴────┐      ┌───┬────┴────┐              
                                                                      
     意識的             無意識的       自由拡張          自由損傷           
   摂理主体性     ┌─摂理主体性      症候群            症候群           
                                                            
  ┌─┴─┴──┐  │┌─┴─┴─┐│┌─┴─┴────┐┌─┴─┴─┐        
  │ 精神主体性 │  ││精神病    │││ 狂気          ││通常神経症│        
  └──────┘  ││          │││                │└──┬──┘        
                    ││心身症    ├┘│ 虚偽                               
                    ││                                                
                    ││行動精神病│  │ 判断停止                          
                    │└─────┘                                      
                                    │ 根本情態性遮蔽 │                    
                                    └───┬────┘                    
                            ┌───────┘                              
                    └───┐│┌───────────────┘              
                            │││                                              
                       自由損傷症候群
                                                                          
                        ┌─┴─┴─┐                                          
                        │精神神経症│                                          
                        └─────┘                                          
 
      ∴本能存在から上は仮設自由損傷症候群の様態です。
 
 
      ∴人間の存在質量はすべて本能存在にあり、主体性は主観が我観を通じて
    自由の概念を与えることによって成立しています。
 
 
      ∴「精神神経症」は自己主体性をベース(=基体とする主体性)としてい
    ます。その様態は自由拡張症候群、あるいは自由損傷症候群です。
        無意識的摂理主体性の方は、仮想的な主体性として維持しています。
        「精神神経症」に於ては、この仮想性は自由損傷症候群状態にあること
    です。
        従って、ベースの自己主体性の方が自由損傷症候群であるなら、通常神
    経症と精神神経症の、この二つの神経症を持つことになります。
 
 
      ∴「精神病」「心身症」「行動精神病」の場合も、精神神経症と同じよう
        に自己主体性を基体の主体性としていますが、仮想主体性の無意識的摂
    理主体性の方も、無意識のまま自己主体性と両立して「基体」となって
    います。
    この場合は自立(自律)自体が課題ではないので、図では精神神経症の
    ように自由拡張症候群と通常神経症からの個別の結合は省いています。
 
 
      ∴資本主義社会に生きるかぎりは、すべての人は自己主体性であることか
    ら免れ得ません。しかし、精神主体性は自己主体性であることを、苦痛
    を以って受け入れます。他に選択肢はないからです。
 
        しかしまた、それ以前に人は”自由”という『原罪』にあり、自ら進ん
    で自由拡張症候群や通常神経症の自己主体性に堕ちる可能性を持ってい
    ます。
        あるものごとを行なうのに、精神価値を以って始めたにも拘わらず、本
    質を忘れて躍起となってしまっていることが往々にしてあります。
        『原罪』は、純粋に本能に生きる存在に対しての『負い目』なのです。
        人はこの『原罪』を打ち消すためにこそ『大きな愛』を行使していかね
    ばならないのです。
 
        キリストはこの範を垂れました。ブッダは、『原罪』を『愛=慈悲』で
    打ち消した後に残る『生そのものの苦痛』を観て取り、これを本能存在
    としてのあるがままにある『摂理調和=空』の中に内包しました。
    ドイツの哲学者のショーペンハウアーは、この『空』から『愛』を押し
    出して、生は『苦』そのものであり、『有るよりは無い方がよい』と観
    じました。
    旧約聖書のソロモンは、ブッダと同じく王族の栄華の極みの生活の後、
    ”自由”の本質である『永遠・無限性』の観点から、自らの『存在の被
    造性=有限性』を反省して、『一切の空しさ』の意味で、『空』に到達
    しました。
 
    これら4者のすべては人間の内省の究極の姿に至っています。
    古代インドのウパニシャッドの哲学は、人生を4期に分けましたが、そ
    の後半期の始めに「林住期」なるものを設けて、人生の義務を果たし
た後の後4半期を、一人、林に分け入って住み、「(生)死を静かに見つめる」
ことを奨めています。
    即身成仏は能動的に餓死することに他なりませんが、餓死による自殺は
    「自然自殺」として、その他の自殺の「必然自殺」から区別されます。
    「林住期」は決して即身成仏ではありませんが、それに近いものです。
    「林住期の思想」は、キリストを除く3者の思想の帰結でもあり、キリ
    ストの説く大きな愛は、この潔い「死の林住期」と対になって機能しま
    す。自らの磔刑による死はそれを顕にしたものに他なりません。
 
    私達は後半期に入る前から、若くしてこの「死の林住期の思想」を持
    つことが必要です。「死の林住期の思想」は私達人間の基体である自己
    主体性を矯め、愛の思想にその場を譲らしめるのです。
 
 
      ∴そのとき私達は精神主体性となり、その基体を本能価値に置くことにな
    ります。しかしながら、まったき愛に到達した途端に、私達は再び元の
    場所へ転げ落ちるでしょう。そうしてギリシャ神話のシジュフォスのよ
    うに、重い岩を再び山頂目指して運び上げることになります。この繰り
    返される努力の過程こそが、人間をして愛を可能となさしめるのです。
 
    重い岩を運び上げている状態は根本情態性と対峙する内省に他なりませ
    ん。精神主体性の内省は、”死=無”を観じて、根本情態性の不安、絶
    望、混沌、恐怖にたじろぐことなく、従って、「死の林住期の思想」を
    わがものとして内なる自己主体性を矯め、圧迫していた本能価値を顕と
    することです。
 
 

 

 

          以下略(目次のみ)

 

 

       深崩壊と通常崩壊  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

         A 通常崩壊  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

        B 深崩壊  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

         発作機序  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

             A 主体統覚型  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

             B 主観型  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

             C 本能統覚型  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

             D 理性型  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

     てんかん脳波  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

 

  治療編

          仮設自由損傷症候群の治療  ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐1

 

 

 

 

    了

 

 

 

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