The resident place of me
私の居住地

           The resident place news to send the universe
                 宇宙に発信する居住地便り。

 

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           Scenery                風物 

           Work                仕事

           Human being            人間

           Civilization             文明  

 

 

Scenery
風物

日本は四つの大きな島をメインにした島国である。わたしの住む所は、そのメイン島のひとつの四国とよばれる島のほぼ中程辺りで、緑の印がそれである。シコクは四つの国という意味で、いまでも四つの県に分かれている。東西南北の位置にあるうちの東の県が私の住む徳島で、その意味は徳のある島という意味である。私は標高4〜500メートルの山腹に住していて、今の季節(12〜2月)は雪も頻繁に降る。有機肥料無農薬の畑には、キャベツ、レタス、人参、大根、タマネギなどが栽培されているが、一時間も戸外に居れない私と違って、四六時中戸外で寝起きして平気なのには驚く。これは去年ここに越して来て、自給栽培に本格的に取り組んだ結果の、偽らざる思いである。ウサギ、イノシシ、キツネが居る他に、庭の赤い栴檀(せんだん)の実を啄みに、大小の小鳥がやって来る。音楽を聴いていると仲間が囀っているものと思い、ガラス窓から中に入ろうとする。この書斎からは開けた山間から、平地部とその向こうに聳える山脈が望まれる。その山脈の中腹以上には、やはりここと同じように山村が点在している。中腹より下に山村が見あたらないのは、山頂部に降った雨を集めた濁流が丁度そのあたりから下を削り取って、傾斜を急にした所為である。それらの濁流を最終的に集めた、日本では大きな川の部類に入る吉野川が、平坦部を西から東へ流れている。(98.2.5.)

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Work
仕事

MIKAMOの主要産業は農業である。しかし農業に就く若者はほとんど見かけない。私が住む村落は私のところを入れて9軒であるが、20代の若者はいない。9軒のうち少し離れた1軒に小さな子供が居るようなので、そこの若夫婦は30代かも知れない。一度ハイティーンの男子がお婆さんの農作業を手伝うのを見かけたが、それは夏期休暇で帰郷した孫だろう。その他には40代の男性と一度話をしたことがあったが、休日帰郷していただけかもしれない。つまり、ここの住人のなかでは40代の私は若い部類であり、老人が農を営む村落である。大学はない。高校もないようである。よその町の山間部に家を捜しに行ったときに、娘が高校の寄宿舎に居ると聞いたので、高校はすべての町にはないようである。これも正確な情報を得るつもりである。小学、中学は山間部から徒歩、あるいはバイクで通学している。もっと奥まった山間部ではどうだろうか。これも調べてみる。MIKAMOには大きなスーパーが二つ張り合っており、若い娘を見たければそこへ行かなくてはならない。しかし働き手にはパートの既婚女性、中年女性も多く、未婚女性はここでは貴重である。夕方に買い物に行くなら、若い未婚女性の買い物姿もちらほら見受けられる。若い男性の買い物姿もあるので、若さを喪った町というわけでもない。しかし農作業をする若い人を見かけないのはどうしたことか。農業は少なくとも自給規模でこれを行うならこれ程楽しいものはないと、私は思う。もちろん有機肥料、自然農薬のベースでの話である。私はいま言うこれらのベースでの人類皆農の文明論を持っている。無機肥料、石油化学系農薬での専業農はこの皆農の文明論から見れば殺伐として遠ざけたいものとして映る。人はグローバルな視野、深い理解力を喪わない為にも、多門、多業である必要がある。(98.2.5.)

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Human being
人間

人口はまだ調べていない。平坦部は中央に広く吉野川が流れており、田畑が大きな面積を占めているので、戸数は次の項で述べる山間部と同じ位か少し多い程度だろうと思う。そうすると全町で2万人を超えることはないだろう。いずれ正確な数値を調べるつもりである。人柄は総じて都会ズレしていないので、懐かしい雰囲気がある。これを田舎者と言ってはいけない。これが人間本来の在り方である。(98.2.5.)

吠え声顛末記で書いた新聞記者の話を書く。徳島は地元新聞が90%のシェアを握っていて、全国紙の記者としての活動に強い制約を感じるという彼の嘆息に印象を受けた。その辺の事情はこの地方では、隣が泥棒を稼業とする人であってもこれを訴えて出る者はいないという彼が仕入れてきた話に説明抜きに象徴されている。この意味は言うまでもなく、この地方では、個人が自律できない状況に病んでいるということである。話は三加茂の立派な役場のことや、内部のことにまで及んだが、万人に解放されたWebとして微細なことには関わらないで置きたいと思う。彼とは、今後の情報の交換を約束した。

このWebは個人に対してであれ、万人に対してであれ、攻撃の類は排除する。行政に対しても同じであり、行政の在り方のみを糺す外堀からの正攻法のみを取る。つまり、万人に対して、また同じ万人のために、私は論陣を張る。

嘗て、さる大都市のひとつに居住していたとき、私は知事宛に行政はサービス業であるという趣旨の手紙を認めたことがあった。行政はガソリンスタンドと同じである。行政は市民一人ひとりが立法することを忠実に履行するサービス業でなければならない。議会は決して立法府であってはならない。立法は万人により、その代議を議会で行うに留まる者が、議員であり、代議員と呼ぶのが正しい。立法府も行政府も権力を公使するものであってはならない。

この世から権力と呼ばれるものを一切廃さなければならない。土地その他の資本力もこの対象であるこは言うまでもない。自由主義という美名の建前の下、実は力の競争社会はこの他にもありとあらゆる分野で権力構造を造りだし、人は大小の権力に本音を見いだしてきた。環境汚染と破壊はこれらの本音の掛け算としての然るべき帰結である。何人も他の財を盗み取ってはならない。この自明の理の反対もまた真である社会を私は模索する。即ち、何人も如何なる財を所有するものであってはならない。財はまた力と言い換えても同じである。(98.5.10.)

この私の居住地のページに、理想の社会体制の下書きの副題をここで与えることにしたい                                           (98.5.11.)

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Civilization
文明

MIKAMOには三大公害がある。

山間部戸別ゴミ焼却  平地部では焼却設備はあるが、ダイオキシン除去能力がどの程度のものかは、まだ調べていない。山間部に散在する村落の総戸数の正確な数字は知らないが、三桁を下ることはなく、私の見るところでは2〜3000は数えるだろうと思う。山間部ではガラス類、金属類は一月に一度収集に来るが、紙、ビニール、プラスチックなどの燃えるゴミの収集はない。生ゴミは畑に還元されるので問題はない。各戸でゴミ焼却の煙が立ち上がると、私は部屋に逃げ込んで窓を閉め切る。あの煙を吸い込むと頭痛がするのは、ダイオキシンなどの猛毒の化学物質の所為であろう。他の町の山間部では収集しているところがあるので、MIKAMO町が燃えるゴミを収集できないのは問題がある。山間部は集積場を用意しやすいので、一月に一度収集すべきであろう。私は各村落、町中なら各地区に焼却場を個別に設置するべきだと考える。そうするとどの様な焼却設備とならねばならないか、人は考え始めるだろう。発電設備もこれと同じである。そのような設備を住居に隣接できないから、草木の茂る自然地帯を緩衝に必要とすることになるだろう。都市は密集するのではなく、自然の中に散開した状態が普通になるだろう。公害の直中で生活したくないから、科学はもっと急速に進歩しはじめるであろう。現在の科学は経済利益の科学であるが、厚生利益の科学が主導するときこそ、科学の王道が拓ける。現在、既に、無公害の宇宙エネルギーによる駆動機関が開発されて、実際に自動車の走行テストも終えているが、エネルギー・メジャーを中心にこの技術の向こう15年間の製品流通化の凍結カルテルを結んでいる。そればかりではなく、開発者への暗殺の脅迫すらあった形跡がある。その一方で、彼らはその資本力によりこの技術の特許を取得している。こういう人道に反することを許しているのは、それらの力の前に奴隷状態となっている私達である。私達は製品を購入できる自由の奴隷である。私達の小さな罪が幾何級数的に膨れ上がって、いわゆる資本の力の形成に結果するのである。共産圏の場合は、官僚権力の形成に結果する。

町役場のスピーカー放送  大雨で橋脚が危険状態だから通行止めになったとか、土砂崩れで通行不能になったとかの緊急放送は構わない。現に緊急放送に限定した町はある。MIKAMOでは大都市などが月一回発行している広報を各地区、各村落に設置したスピーカーで行っている。ときには入場料の必要な何処何処の大橋開通記念展などの宣伝を、ながながと、それも必ず二回繰り返されるので、私はその間音楽を大音量にしなければならない。台所に立っているときは水を激しく流して迎え撃つ。早朝7時のときが多いので、冬は寝床に居る時間を延ばして戸外の用足し場、洗面場に出るのを控えることもある。そのときは耳を塞いでいる。ある町では有線を引いてMIKAMOと同じような放送を行っているが、この場合は聞きたくない放送は切ることができるので問題はない。多分、2〜30年前に政府が都市圏を除いて全国に設置する予算を付けたらしい。まったく余計なことである。MIKAMOではまた朝昼晩と三回の時を告げるチャイムをこれも大音量で流す。夏期や冬期の学校休暇では、幼稚園、小学校、中学校に代わって、この夕方のチャイムの後に子供達に早く家に帰るように促す放送が、子供を使ってなされる。一事が万事、MIKAMOでは大の大人がこの管理された子供達と同じ扱いを受けている。夜遊びがいけないのなら、学校で何故いけないのかその理由を示し、休暇前に一回注意するだけでよい。何故毎日か、何故有料の大橋開通記念展の宣伝を一週間も連続して流さねばならないのか。いままで誰も大音量でがなり立てるこの余計な、お節介で、独り合点の放送に対して疑問を呈さなかったのか、それが疑問である。

引き売りの大演歌  MIKAMOではもうひとつの大音響スピーカー放送局がある。こちらは移動放送局で、高度経済成長期以後から大手を振って歩き出した演歌という流行歌のみを流す。演歌の中でも恋歌のジャンルは、語音を同じにシャレて、艶歌とも言われる。演歌は読んで字の如く、演ずる歌であり、身振り手振りで思わせぶりたっぷりな劇歌である。経済成長の波に乗って成功した成金のBGMである。たとえ歌の内容が、親に認知されないのなら結婚指輪も車も要らないから駆け落ちしよう、というものであれ、芝居掛かった大演歌の本質は変わらない。私は終戦直後までの流行歌は嫌いではない。特に戦前のものは好ましく思うものが多い。私は戦後生まれだが、それらの曲は私にとって懐かしい響きをもっている。おそらく日本人のみならず、万人にもその懐かしさが分かるだろう。私はいまでも時々それらを聴いている程だから。山間部には他に商店はないので、私自身は利用したことはないが、毎日やって来てくれる引き売りは有り難いと思う。だから、演歌を止めてベートーベンにして貰いたい。地球が滅びるかも知れないこの時期、運命シンフォニーや後期の弦楽四重奏曲(演奏は少し古いがラ・サール カルテットで)は打って付けの思想を奏でてくれる。ベートーベンなら鼓膜が破れても良い。    (98.2.5.)

 

三大公害のうちの後の二つは、行政の怠慢さえなければ簡単に解消できる。問題はゴミ消却である。しかしこれも資金の効率的な投下によって今すぐにでも解消出来る問題である。資金については、豪勢な町施設づくりの政策指針を改めれば、ぼどなく可能となるものであることを保証できる。
無公害ゴミ処理施設を駆動させるエネルギーの生成に関しては、この際その派生毒を問わない。無公害処理技術のそのひとつは、超臨界水である。これは374度、220気圧を超える圧熱水である。超臨界水を密閉した容器に集積されているゴミ中に充満させ、ゴミを超臨界水に溶かし込む。固形物は言うに及ばず、史上最大の猛毒物質であるダイオキシン、またPCB、フロンなども完全に分解され、無毒化される。もう一つはマルチアークである。これは三相交流電極の放電を言い、このアークによる4000度の超高温状態をプラズマジェット炎と言う。アークは電弧と訳され、ここで使った限りでの放電と同じである。プラズマは原子の外側を構成する電子が剥ぎ取られて、原子核が裸の状態で振動し、飛び回るガスのことである。プラズマジェット炎という名称は、酸素による燃焼を指すのではなく、この電離状態にある電子と核の振動を実体とするものに名付けられている。私の判断では、三相交流によるアークが真空の組成を変化させ、真空そのものからプラズマを生成するのではないかと思われる。このプラズマがゴミを原子レベルで分解変性して無毒化する。これら二つの処理を施されたゴミはともに再利用可能である。更にもうひとつの処理技術を付け加えるなら、ビニール、プラスチックなどの石油抽出物に限られるが、これを分子レベルで変換して、元の石油状態に戻す技術も、上の二つと同様に既に実用化されている。
                                          (98.5.12.)

 

以上、この頁は1998年当時、四国の徳島県三加茂町に住んでいたときのものです。

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