総論―人類が罹患する精神疾患の定義

1) 定義

一個の存在に鬩(せめ)ぎ合う、命(本能)と主体の闘いが人間の精神疾患である。その様々な力学的機序の結果が、種々の精神疾患の現実となって顕われる。

 

2) 発病機序

人間は持って生まれた生得の命(本能)に、主体という自由の領域を載せている。主体性は言葉の習得によって取得する。赤子の時代に狼に攫(さら)われて、狼の群れと一緒に育てられた少年のように言葉を知らなければ、本能的に生きる動物レベルの存在として生涯を送る。

人間の赤ん坊が生後半年間も寝たままで過ごすのは、まさに言葉を覚える為である。

 

主体性は、本能を覆う形で機能していて、それ自体は身体性も質量もない。つまり、主体性は概念でしかない。言葉の体系によって機能しているのが、主体の司令塔である《自己=私》である。

 

主体の自己に対して、本能の動物としての存在を取り纏めているのは個我である。「腹が空いた」ことを知ることができるのは、個我あればこそである。腹が減ればエネルギーが出ない。働けない。眠ることも覚束なくなる。食べたいのに、また自由に食物を得ることができるのに義務的な仕事などでこれが妨げられると、終いには「腹が立って来る」。

 

そこで周りの人に当り散らす。この怒りの多くは主体の自己が発するものである。もちろん動物的個我も怒るのであるが、動物の生活は単純であるので、仕事上の義理などは生じない。彼らは単純に怒る。そして、その場で食物の獲得に失敗したなら場所を移動して新たな食の可能性に直入できる。しかし、人間は文明社会の制約の中で、謂わば縛られて生活しなければならないので、屈折したり内向したりする怒りとなる。ストレートに開放する怒りとはなれない。

 

内向する怒りや悲しみなどが内攻(=自己攻撃)することが常態となれば、精神は焦燥し、社会生活の営みに狂いが生じて来る。彼は、生きるという作業を継続する意欲を失くするだろう。そうして精神は混迷し、消退し、命をコントロールできなくなる。

 

個我(命)は独立してはいるが、日常を生活するに足る力は最早ない。人間の生活は言語の指示なければ、最早成立できないからである。人間精神(自己)は言語の体系なので、精神力を失った人間は生活を言語的に支持できずに、精神疾患に罹患するのである。精神疾患とは自己の疲弊である。あるいは自己の暴走の場合もある。どちらの場合も、自己に統制されている命(本能)がコントロール不能に陥る。命はその本能的な本義を全とうすることができなくなる。

 

しかしながらこれらの葛藤を表面とするその深部には本体=核が隠されている。この核こそは、中村精神病理学が世界で始めて明らかにし得たことである。

 

精神疾患に至る《核=原動力(病因)》は、すでに定義に述べたように、命(本能)と主体の闘いにある。上の食の例えでは、命それ自体に由来する食の本能と、人工的な主体的文明社会の対立の結果が精神疾患を齎(もたら)した。この対立機序の原型を成しているのは、冒頭で述べた“主体が命を覆う”形態である。これを言い換えれば、主体は命に対して“所有・支配・権力・翻弄“の力を行使している、ということになる。人間にあっては、《命=本能》は常に、言語という剣を持つ主体と闘っているのである。

 

自分自身を観察できるようになれば、自己と個我のそれぞれの発動の様子が判って来る。性欲を見れば一目瞭然である。性欲は子孫を残すための生物の戦略であるが、人間は子孫を残すことなど全く勘定に入れないで、これを様々な精神様態の中で“使用“する。

人間の精神疾患は全て、本能と主体のこの二つの要素の角逐によって生じる。私の療法は存在の核心を掴み、存在を丸ごと了解して救済できるので、あなたはもはや再発の不安などとは無縁のところに場所を確保できるだろう。

 

人間の主体は、自己主体性と精神主体性に大別される。前者は“所有・支配・権力・翻弄“の意志を持ち、後者は”感謝・愛・善・美“の意志を持つ。主体性が何も陶冶(教育・躾)されないで生育すると、自己主体性になる。精神主体性になろうとすれば、理想社会での理想の教育が必要となる。

 

下の自己主体性の理想生育史は、精神主体性にもまた適用される。精神主体性もまた

『原罪』を有し、原罪性の自己主体性である。原罪は「自由の概念」そのものであり、

この概念の身体への組み込み困難性は、本能の不調和発動である不安、絶望、混沌、
恐怖の“おそれとおののき=根本情態性”に由来する。本能の根本情態性が常に

主体性の基本構造を揺るがせている。

 
「自己主体性」は精神疾患の一つである自由拡張症候群の主体の存在性である。
しかし、主観を立てる人間の主体性は本能存在である身体を所有、支配し、
主体性であることそれ自体がすでにして自己主体性を理念に持つ存在である。
この主体性の機構の原罪性は、この表に於いて「主観体」から「原主体」までの発達
過程に相当する。
 
人間の全ての精神疾患は、自由拡張症候群(自己主体性)に起因する。
      表の「存在の様態」の項は、各生育期の上が主体、下が本能の様態であり、共に主体の
観点から見られた様態を表わす。本能の存在性が「原主体」期を最後に、主体に奪われ
て行くことが判かる。「意識的主体」期の「破壊質量性」は本能が主体に完全に所有、
支配されて、認知症へと崩壊の過程にある様態である。
認知症は自由拡張症候群の極限の発露である。
               
        

 

                    〈自己主体性の理想生育史〉

                                                                            
  主体名│          発達段階    │  主体と本能の関係          │存在の様態
────┤0才  ────────┼───────────────┼─────
                我観発達期    │[言語記号+主観=自由の概念]│概念性    
  主観体│      (主観搖籃期)  │が産出され、我観は主観に所有、│          
                              │支配される。                  │存在性    
────┤三ヶ月  主観定立期  ─┼───────────────┼─────
                              │「自由」に基づく主体意志が、誘│半身体性  
  先主体│        分立二義期    │導図式と知感覚刺激によって本能│          
            (身体所有習練期)│統覚に侵入して、本能の存在性を│          
                              │奪い始める。主体は身体の完有 │半存在性     
                       │(母子分離期〜2才)を目指す。│半存在性  
────┤八ヶ月  母子分離期  ─┼───────────────┼─────
                              │本能は自己の統覚主導力を奪われ│身体性    
  原主体│    身体所有期   │、潜在化する。主体は身体を完全│          
              (自立葛藤期) │に掌握し、主体意志で自由に本能│          
                              │を翻弄できるようになる。身辺社│  
                              │会での自立(四才)を目指す。 │潜存在性
────┤四才    第一反抗期  ─┼───────────────┼─────
    │               │扶養者の前意識的理念の下で、自│自立存在性 
前意識的│     自立期     │前の存在観を確立し、成人に伍し│          
主体  │       (自律葛藤期) │て社会に自律することを目指す。│          
                              │本能はほぼその存在性を喪い、質│
                              │量的客体化を示す。            │反抗質量性 
────┤十二才  第二反抗期  ─┼───────────────┼─────
                              │認識力が発達し、自由主観は自己│          
                              │内省が可能となる。主体は価値観│自律存在性
 意識的│                  │(アイデンティティ)を定立し、│          
  主体          自律期        │自律する。この強力な主体体制の│          
                              │下にあって、本能はモノ化され、│          
                              │調和の弁証法に生きる個体存在性│破壊質量性
                              │が抹殺される。                          
────┘死  ─────────┴───────────────┴─────
 
 
    ∴生後4歳までは『原罪』性を有し、それ以後は『罪』性を有す。
     人間は主体性を習得することで、自然の摂理から乖離(かいり)していく。
 
 
 
 
 

 


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