Dependence 依存症 (行動精神病)
《治療・療養・克服のための新療法による=在宅心理カウンセリング》
1)
定義:
行動精神病は依存症とも呼ぶことができる。摂食障害の過食症は食依存症である。依存症は嗜癖、あるいは中毒(症)とも呼ぶ。あるいはまたその偏向性の嗜好により偏食(食依存症)や偏愛(家族依存症)などとも呼ばれる。
下の座標の「行動精神病=呪い」域に示したものが、行動精神病の定義である。
行動精神病は心身症、及び精神病とともに、本能の価値の“感謝・愛・善・美“が不全になる価値不全症候群である。
〈価値不全症候群の各存在度〉
(本能的価値の自由)
┌──────┐
│心身症=怒り│ ┌─────────┐
└──────┘ │ │本能価値による理想│
│ └─────────┘
少なくとも現時点までは、 │
本能的価値を押し潰されるこ │ 価値不全症候群では、自然
ともなく、生育的にはまず順 │ 生物としての真の意味での理
調であったが、現在に於て家 │ 想状態を描くことができる。
庭的に、あるいは社会的に本 │ 但し、それは情態的にであり
能的諸価値の不遇、不満、不 │ 言語的に表現できない。無意
良がある。“愛せない”とい │ 識的主体性であるからである。
う怒りを本能自身が受けて身 │
体に様々な病変を起こす。 │
(+・−)域 │ (+・+)域
─────────────┼─────────────
(本能的不良) │0 (本能的現実の良)
(−・−)域 │ (−・+)域
“愛されない”という本能 │ “愛がない”という積年の
的情態が過去から現在に亙っ │ 思いがある。その無意識的な
て積重しており、その無意識 │ 価値尺度は鬱屈しているが、
的価値が不安、絶望、混沌、 │ 本能的な刹那的良、あるいは
恐怖の中で瓦解していく。こ │ 刹那的快を求めて行動するこ
の無意識的な主体理念が喪わ │ とで、愛がない代償とする。
れゆくとともに、主体性が崩 │ 集団│放浪│徘徊
壊する。 │ 家族│情愛│性愛
│ 休息│嗜癖│指しゃぶり、煙草
┌───────────┐ │ 食 │浪費│過食
│精神病=根本情態性捕縛│ │ ┌────────┐
└───────────┘ │行動精神病=呪い│
└────────┘
(本能的価値の不自由)
“集団、家族、休息、食”の四つの本能領域に示した各病態を、上から順に対応して具体的に疾患名を挙げると次のようになる。
人依存症
物依存症(収集癖)
家族依存症(偏愛)
自慰(対象を“所有、支配、権力、翻弄“しない純粋な肉欲の想念に於いて)
ニコチン依存症
多飲症
アルコール依存症(渇酒癖)
カフェイン中毒
薬物依存症(薬物嗜癖)=《モルヒネ(依存)症、麻薬中毒(麻薬嗜癖)、覚醒剤中毒、シンナー、ガソリン中毒、有機溶剤依存》
食依存症(偏食)
その他、指しゃぶり(母乳を飲む代償として乳幼児が行なう:食と休息の本能)や、爪や髪噛み(食の本能)など。
身体の一部を組んだり、触ったりする癖は神経症の症状である。
小児の「愛情遮断症候群」は、心身症、行動精神病、複合症候群の道徳倒錯(頭を打ちつ
ける行動=苦行)などを含む、複数の症候群に付けられた名称である。
この症候群の心身症の「心理症状」として挙げられのは、乳児に於ける「人への無関心」、
幼児の「寡動」傾向と「感情表現の乏しさ」、少年の「学習意欲の乏しさ」などである。
「愛情遮断症候群(施設症候群)」にみられる「身体を揺する」動作は、官
能代償型の「多動(人依存の官能型)」に相当する。
座り込んでその動作が為される場合は、性愛を求める「自慰」であることがある。
幼児の場合のこの自慰は、先自由意志の「身体所有」の試み、及び、神経症
の「弄精」との区別が必要である。
愛情遮断症候群では、心身症による「不眠」もみられ、夜中に覚醒し、身体
を揺するとともに、頭を繰り返しモノにぶつけたりする。
仮想主体性の意志の理念(価値)は先天的な本能によって与えられた、
言語化されない無意識の概念、即ち「何かあるもの」という仮想理念に留まる。
自己の存在を既得のものとして、もはや調和することを知らぬ我欲を追求するに忙しい
自由拡張主体の群に囲繞(いにょう)されて、その出口無き状況に窒息しつつあるのが、
価値不全症候群であり、行動精神病である。この調和のない所有に於ける打算的世界で、
なおも彼らは、この世界では単に沈黙と受け取られるに過ぎない、摂理的な奥行
かしい感情を持して事に当り、その感情の反響が相手から聞こえてくるのを辛抱強く待っている。
何故なら、『摂理価値』それ自体に、“遍(あまね)く調和が行き渡っていることを信じる“ことが
含まれているからである。存在界はそのような素朴な信仰によって、現在に至るまで
多様な生物種が互いに認め合って繁栄してきたのである。
この存在界の不文律を、いとも簡単に踏みにじる人類の資本主義社会への怒りが、
心身症をもたらす。同じくまた、呪いが行動精神病をもたらす。
そして、もっとも深い絶望が精神病に罹患させる。
これら価値不全症候群主体は、これらの怒り、呪い、絶望するパフォーマンスを
発揮することができずに、この怒りと呪いと失望とを自らの中に飲み込んでしまう。
怒りは自虐的に「内屈」し、呪いは自虐的「代償行動」へ向かい、失望の嘆きは
仮想理念を「散逸」させ、その結果、主体性を自虐的に崩壊させてしまうことになる。
2) 発病機序
行動精神病主体は精神病主体と同じく、“愛された”体験を持たないか、
希薄であると言える。彼には、心身症主体のような内的な
”調和の価値=感謝・愛・善・美”への信仰が弱まっている。これに対して心身症で
は、内屈してしまうとはいえ、「怒り」という意志の力が維持されている。
しかし、行動精神病では意志の力が(−)域の不自由に転落して、
”人を愛し、自然を慈しむ”という意志が欠落している。
彼が(−・−)域の精神病に落ち込まないのは、ようやく現実の良と快刺激を求めることが
できるからである。言い換えれば、恒久的な人との愛の繋がりに想い致せずに、
”刹那的今”の感覚的な良、快刺激で保っている生である。
行動精神病主体では活発な複合症候群への罹患傾向が認められる。
複合症候群への傾向を強めると、その依存的「代償行動」が
対社会、対他者への、反抗、敵意、隷属という歪んだ情念に変質する。
行動精神病主体の「呪い」は、”存在の本質である摂理それ自体が功利世界
に向ける呪い”であるので、「代償行動」は資本主義的功利世界に在るかぎり、
タンタロス的永遠の行動となるだろう。彼は代償に縋るかぎり、一過的、幻影的な
(+・+)域を絶えず追い求め続けねばならなくなる。